第74話 不和
「ぷっ、くくっ! あ~はっは~っ!」
我慢できず、盛大に笑い声をあげるシェリー。
その様子を見て、不機嫌そうに「何がそんなに面白いのよ。 アタシは、何度もあの王子様に邪魔されて、なにも楽しくないってのに。」と不満げな言葉を漏らすアリス。
「ふふっ、ゴメンねアリス。 そこの人とアリスが、あまりにも噛み合ってなくって、面白くなっちゃった。 はぁ~、うん。 落ち着いてきたわ。 もう大丈夫。」
そんな二人の、この二人以外にとっては場違いすぎる掛け合いを、その場の皆が呆然と聞いている中、「えっと、さっきの続きですけど、皆の力を合わせれば、すぐに大森林を取り戻せると思うので、頑張りましょう!。」とすこぶる普通の事を言うアリス。
役目は終えた、と言わんばかりに、椅子に座りなおし、「じゃ、次は竜人の番ね。」と言っている。
この局面で、この空気の中で、まさか自分の紹介が回ってくるとは思っていなかった竜人は、そんな雰囲気ではなくなっているにも関わらず、とっさに立ち上がると、自己紹介を始める。
「え~、竜人です。 私自身は大した貢献は出来ませんが、親しい人たちのためにも出来ることをしますので、皆様宜しくお願いします。」
紹介をしていると、やっと思考がまとまってきた。
王子の発言と、様子から見て、早くも厄介事になることは確定事項のように思えた。
王族に関わるような事は、間違いなく目立つので避けたかったが、大森林が絡んでいるとはいえ仕方なく関わった途端、案の定こんなことになるとは...
情報を整理すると、王子様は神託を受けて嫁探しに来ていて、それがアリスだと思っている。
国の一大事になりうるような、王子の嫁取り。
そんな中、アリスはそれをバッサリと切って捨てた訳だ。
改めて室内を見渡すと、あまりよろしくない空気を纏っている者が数名。
(こりゃあ参ったね。 まぁ、王族相手にこの態度だと、そうなるか。)
アリスに矛先が向かっては困るので、こちらを見つめながら「これ以上、引っ掻き回さないでくれ!」という懇願するような目をしているボーンに心の中で詫びてから、言葉を繋ぐ。
「先程もアリスが言っていましたが、アリスは俺の妻です。 残念ですが王子様、余計な手出しをなさりませんよう。」
そういって、ニヤリと口角を上げる。
その瞬間、直前までアリスに向かっていた敵意だけでなく、その場にいた殆どの人物からの、殺意と言っても過言ではないほどの視線が竜人に集中する。
特に、敢えてそうしたとはいえ、近衛隊の副隊長からは、王子への侮辱ともいえる発言に対して落とし前をつけようという、今にでも飛び掛ってきそうな雰囲気が出ていた。
実際、竜人の席が彼らの隣だったら、そして、王子が止めていなければ、そうなっていただろう。
「... 竜人、といったな。 アリスさんの夫、なのだな?」
「ええ、そうです。 アリスは俺の妻です。」
ハッキリとそう、王子を見据えて言い切る竜人を見て、ギリリと奥歯を噛み締めるジョーイ王子と、ウットリしながら竜人を見つめるアリスという、両極端な視線を一手にその身に受け、そのあまりの温度差に何ともいえない表情となる。
「私は神託で、そのアリスさんと結ばれるよう言われたのだ。 二人が結ばれることで、人間と獣人、共に発展をしていける、と。 その恩恵は、王国に、大森林にと、皆の為になるのだぞ? 君にそれが出来るのか? いや、出来るはずがない。 私なら、アリスさんに何不自由ない暮らしをしてもらいつつ、人間と獣人の新たな時代を築いていけるのだぞ。 そう、そうだ! お前はアリスさんに、そして人間と獣人の未来に相応しくない! 今ならまだ無礼を許そう。 彼女から手を引くのだ。」
王子の隣で、やり取りを聞いているボーンは、既に頭の中が真っ白になっているようで、ただただ静かにしていた。
実際、このような状況になってしまった以上、自分に出来ることは、どのような事が起こるのであれ、『何事かが起こった後の事後処理』を全力で行い、被害を極力小さくすること位だろう。
まぁ、すでに些事で済むような事ではなくなっているのだろうが...
バンッとテーブルを叩く音が響くと同時に、アリスが立ち上がる。
「さっきから聞いてれば、一体何なのよ! アタシは神託なんて知らないし、そもそも不自由なんてしてない! アタシが、ってならまだ分かるけど、竜人がアタシに相応しくないなんて、そんな訳あるわけないじゃない! 大森林を取り戻すのに力を合わせるって言うから来てみれば、何だって言うのよ!」
アリスの怒りを一身に受け、王子は一瞬たじろいだが、ハッとした顔をして言った。
「そうだ! 大森林! 大森林を取り戻すのに、我々の力が必要だろう? そのためにも、君が私の元に来るべきだ! 仲間の獣人たちのためにもなるのだぞ!?」
この時点で、既に王子は自分が何を言っているのか分からないほどに追い詰められていた。
先程まで、会議に参加していた獣人のトップ達は、竜人とアリスの関係を知っていた上で、ジョーイ王子という、ここ数日で知り得た人格者とアリスが結ばれるということに肯定的だった。
確かに既に夫がいる身ではあるが、相手はこの王国の王子で、獣人に対しても好意的だ。
夫が人間な時点で、アリスは人間と結婚するのに抵抗はないのだろうし、先程王子が言っていたように、これからの未来を考えれば、多少のことには目をつぶり、王子と結婚をするように勧める気でいた。
はじめは夫と別れさせられて辛いかも知れないが、この王国の王子が相手なのだ。
きっと幸せな、満ち足りた暮らしを送れるはずだ、と。
だが、今ほど王子の口から出たのは、交換条件だった。
アリスを差し出さなければ、大森林の奪還には協力しない、というのだ。
獣人は、人間よりも恩を重んじる。
大森林の奪還が成された後で、結婚の話が上がっていれば、あるいは反応も違っていたかもしれない。
が、王子は言ってしまった。
彼らの故郷を、交渉材料としてしまった。
その時点で、多くの獣人たち、特に、この場にいるような戦士や長老たちからの信頼は失われてしまった。
獣人の首脳陣が顔を見合わせると、一様に頷いていた。
ダンクが立ち上がると、会議に参加していた皆を見渡すようにしてから口を開いた。
「皆さん、本日までこの街に滞在させていただいた事に感謝します。 態勢を整える機会を与えていただきました。 ですが、それもこれまで。 我らは我らのみで大森林の奪還に向かうことにします。 受けた恩は必ずやお返しします。」
そういうと、獣人たちは席から離れていく。
シェリーの、「あれ、私の自己紹介は? 出番なし??」という声が、王子の「ふざけるな!!」という怒声でかき消される。
「何故だ、何故そのような判断をするのだ!? 私は獣人族のためを思って言っているというのに! 皆のことを考え、これが最良だと言っているのに!! 私の力がなければ、大森林は取り返せはしないのだぞ! どうして私を運命の相手から遠ざけようとする? なぜ私の邪魔をする? アリスさんは、私と共にいるべきではないのか!? 王族の判断に逆らうのか! 神託に背くのか!?」
王子が、先程まで築き上げてきたイメージを悉く破壊している中、獣人たちは振り向きもせずに出て行ってしまった。
近衛隊の副隊長が席を立とうとするのを、ボーンが圧力をかけて止めていた。
国家に対する反逆ともとられかねない行為だったが、ここで止めなければ、もっと大事になるだろう、と判断してのことだった。
出て行くダンクたちに続き、これは俺達も出て行ったほうが良いな、と判断した竜人も退出する。
その後に続き、シェリーとアリスも席を立つ。
部屋から出る直前、「アリスさん、本当にそれで良いのか! 後悔するぞ!」と王子の声が背中を打ったが、振り向いて怒鳴り返そうとするアリスを竜人が止めた。
「王子様、私たちは一度退出しますが、一度冷静になってください。 あなたは、本当に獣人と人間のために、と行動をしていたはずです。 アリスは俺のものなので渡せませんが、本当にこんな形で終わらせてしまって良いんですか? っと、失礼な言い分でしたね。 失礼します。」
三人が部屋から出て行った後、力なく椅子に崩れ落ちた王子は、しばし呆然としていた。
領主などの参加者は、声をかけることも出来ずにいた。
ボーンが王子に声をかけ、一旦仕切りなおしましょう、と伝える。
ひとまず、ホームズに指示を出して、獣人たちにまだ行動を起こさないでいてくれ、とメッセージを届けるように言う。
併せて、竜人たちに、こんな席に引っ張り出したことは、やはり間違いだった、と詫びておいてくれ、とも言付ける。
ボーンに諭され、王子は小さく「そうだな...」というと、自身の部屋へと戻っていった。
付き従っていた近衛隊の副隊長に、「カノンを呼べ。」とだけ言い残し、部屋の扉は閉じられた。