第136話 とある獣人の過去・前編
幼い頃から自分は特別な存在なのだと知っていた。
同族の大人たちも、俺が10を越えた頃には俺に敵わなくなっていた。
ガーフェルドという実力本位の国に生まれたことは、俺にとって幸運だったと思う。
俺の生まれた街自体は、優れた戦士を輩出し続けている種族の街なので、国からの要請で一線級の男達は外へと傭兵や冒険者、王都の防衛部隊員として普段は街から離れてしまっているが、たまに戻ってくる連中と手合わせをしても、15になる頃には負けはなくなっていた。
戦力の高さで王を決めるこの国なら、俺は王になれる。
そう確信していた。
あの王を見るまでは...
18になり、近隣の村々の連中を含めた中でも最強の存在となった俺の下に、王都から声がかかった。
遅すぎるくらいだとは思ったが、それでもついに俺の力が王都にまで届いたことは素直に嬉しく思えた。
次の年には選王戦が予定されており、おそらくはその前に俺の力を見ておこうということだろう。
既に王になるための準備として近隣の村の若い連中を配下にしていた俺は、皆を集めて言った。
「やっと王都からお呼びがかかった。
遠からず俺はお前らだけのリーダーから、この国の王になる!
いきなり王になれはしないだろうから、おそらく今回は国の要職へのスカウトを兼ねた実力テストってところだろうが。
だが、数年先には選王戦に出ることになる!
待っていろ!」
意気揚々と宣言し、街を出て王都へと向かった。
王都で俺を待っていたのは、スカウトでもテストでもなく、裁きだった。
近隣の村々から、若い村人を力でねじ伏せ、無理矢理に言うことを聞かせているヤツがいるから何とかしてくれ、と陳情が出ているらしい。
これ以上そんなことを続けるなら、牢に入れるか犯罪奴隷として労働地に流すことになると言われた。
部族の管理監督を行っている監督官から直々に、各村々を巡って虐げた者たちに謝罪し、二度とこのようなことをしないと誓って回れ、と命じられた。
「なぜ俺がそんなことをしなければならないんだ!」
思わず叫んでしまうほど、俺の心は掻き乱されていた。
「なぜだ!
俺は実力であいつらを、村を、街を手に入れたんだ!
誰も俺には敵わなかった。
俺が一番強いんだから、俺にはあいつらに命令をする権利があるだろう?
この国ではそれがルールなんじゃないのか!?」
誰も俺に「いやだ」なんて言わなかった。
『強い者に従う』
これがこの国の第一原則じゃないのか?
「そんなわけ無いだろうが。」
急に背後から声が聞こえてきた。
今日までの十数年間、自分が信じてきたルール。
自らの拠り所と言ってもいいだろうこのルールを真っ向から否定してきた人物に怒りの矛先を向ける。
「なんだとっ!
この国は、暴力で王を決める国だぞ!
力こそが全てに決まってる!
俺はあと数年で王になる!
そうなったら、お前みたいなヤツはぜった......
そこまで言ったところで、その人物、獅子族の男から並々ならない威圧感が溢れ、言葉が喉に詰まって出てこなくなった。
「なんだ?
俺みたいなヤツは、どうするんだ?」
鋭い眼光で一睨みされ、直前まで以上に全身が縮み上がる。
「ゴルム様!?」
監督官が、背後で驚きの声を上げていた。
ゴルム・ガーフェルド
俺でも知っている名だった。
ほんの数舜前までこの男に、数年後に挑み、打ち倒し、成り代わって王になろうと考えていた、いや、そうなるものと確信していたのかと、自らの思い上がりに愕然とした。
(勝てる訳が無い...)
相手は力を欠片も見せていないどころか、ただこちらを睨んだだけだ。
なのに、自分の身体はまるで他人のもののように動こうとせず、ただただ殺されない為に、相手を刺激しない為に、敵意があると思われない為に、固まってしまった。
「ふん、野望も無謀も、若いやつの特権みたいなもんだからな。
それ自体は構わない。
むしろ、そのくらいの方が有望だ」
目の前にいる力の化身の様な存在は、どうやら自分を評価してくれているらしい。
精悍な表情からも、厳しさの中に上機嫌さが含まれているような気がする。
どうやら殺されないようだ、とやっと頭が判断を下し、肉体とのリンクを再開する。
詰まっていた息がやっと吐き出され、全身がいくらか弛緩して肉へと戻っていくのを感じる。
「が、弱者を虐げて強くなった気になるようなヤツはダメだ」
緩み始めた肉体に、先程までよりも強い威圧が向けられる。
怒気をはらんだそれが自分にぶつけられていると気がつく前に、視界が暗くなっていき、そこで俺は意識を手放した...
気がつくとそこはベッドの上だった。
辺りから先程の威圧は感じられず、見慣れない一室にいるという事以外、普段と変わらないように思えた。
(そうだ、ゴルム王が現れて...)
後に倒すことになると考えていた王に相対し、何も出来ずにどころか、何もされずに敗北をした。
いや、勝負ですらなかったのだから、負けですらない。
ただただ敗北感を味わい、『敵わない』と思い知らされるだけの純然たる力の差がそこにはあった。
口惜しさすらも湧かないほどに、未だにゴルムに対する恐怖が色濃く残っているのがわかる。
ここ数年で、自分の強さは極まっているものと思っていた。
昔のように、日一日と強くなっているような実感も無くなり、自分に敵う相手もいなくなっていたので、尚の事その思いは強まっていった。
この国を治める王が弱い訳はないとは思っていたが、それでも数年の間に経験と知識が身につけば、勝てるものだと思い込んでいた。
が、その思いはあまりにも簡単に崩れ去った。
おそらくは王城の医務室か休憩室であろう室内には、穏やかな空気が流れている。
こんなにも自分の考えてきた未来が粉々にされたというのに、まるで世界には何の影響もないと言わんばかりに。
この世界は、自分が思い描いたように進むと信じていたのに、こんなにもあっさりと世界は俺を裏切った。
まるで『お前はそこらの村人と変わらない存在だ』というかのように。
この穏やかな空間が、当たり前の日常のような空気が、だからこそひどく攻撃的に感じられた。
(そうか、俺は自分で思っていた『俺』とは違うのか。)
自分を形作っていた何かが消えてしまったように、強固な骨も、屈強な筋肉も、鋭い爪も、自信の源となっていたものの全てが空虚に感じられた。
「そうか、俺は弱い側の一人だったのか...」
生まれて今日まで、自分は強者であると思っていた。
が、どうやら違ったようだ。
上には上がいる。
もしかしたら、あの王よりも強い者もいるのかもしれない。
しかし、そんな相手がいようがいまいが、あのレベルで強い者から見れば、俺も子分たちも変わらない存在なのだろう。
そう考えると、先程感じた口惜しさすらすぐに消えていった。
向こうはこちらに屈辱感を味あわせようなどと思っていないだろうし、そもそも勝ち負けで考えてもいないのだろうから。
一時は勝手に敗北感を味わい、自信を打ち砕かれもしたが、今となってはもうどうでもいいように思えた。
ベッドサイドにあった水入りのカップを手に取り、中身をグイッと飲み干す。
(さて、帰るか。)
自分の配下として見てきた皆に、自分が高みには至れない存在だったと伝え、詫びよう。
きっと、だれも俺と共にのし上がろうなどとは思っていないのだろうが、それでもだ。
隊も解体し、皆の手伝いをしよう。
そう心に決め、ベッドから立ち上がると、部屋の扉が開いた。
「おっと、目が覚めたみたいだな」
そこには、力の象徴、ゴルムが立っていた。