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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

胃の中の蛙

作者: あばば


 世の中には、クールぶってるビビリがいる




 授業もすべて終わり訪れる自由な時間帯。茜色の日差しが差し込む図書室に俺は居た。

 締め切られた窓の外から部活に励む部員達の声がかすかに聞こえるが、図書室の中は心地よい静けさで満たされていた。必要以上の音がないこの空間はとても心地がいい。見渡しても室内には片手で足りる程の人数しかおらず、各々本の世界や勉強に励んでいる。放課後の図書室の雰囲気が俺は好きだった。ここでは誰かの干渉をうけることもなく、一人の時間を楽しめる。なんというか、一日の喧騒の中で唯一心が休まる場所である心のオアシス、みたいな。

 だれも俺のことを気にしない。俺と一緒でここにいる人間は自分の世界の中に入っているから他人のことを気にする暇などないからである。だからこそ俺の心はなにも気負うことなく休むことができるのだ。

 けれども、ここ最近そんな俺のオアシスを破壊しようとしてくる不届きな奴がいた。ずけずけと土足で、いや土足なんてものじゃない全身濡れ鼠の泥鼠状態で家の中に上がり込んでこようとする無礼者だ。配慮も遠慮もない。こちらの都合も意思もおかまいなしで俺が嫌いな喧騒を背負ってやってくる。

 壁に付けられた時計を見る。かちこちと時計が刻む時間を確認して、体に少しだけ力が入る。今日もいつもどおりなら、そろそろあいつがやってくる時間だ。

 慇懃無礼に俺の平穏を壊そうとするあいつが。


 「やっほーい。えいちゃーん、愛しのダーリンがお迎えにきてあげたよ~」


 「…煩い。静かにしろ。そして消えろ」


 静けさをものの見事にぶち壊して登場したのは今もっとも俺が嫌っている、例の奴。この空間には似つかわしくない格好をした男の登場に俺の眉間には深い渓谷が刻まれる。自分の世界に入り込んでいた他の人たちも、場違いなほど明るい声になにごとかと顔を上げる。そしてその姿を見てまたかと顔をしかめる人もいれば、なんでこいつがここにと首を傾げる人とその反応は様々だ。前者の人たちにはいい加減にしてくれと言いたげな視線を向けられ申し訳ないと思う反面、俺も被害者の一人なのだと大声で叫びだしたい気持ちにもなる。俺だって、この男に平穏な時間を邪魔されているのだ。俺が一番フラットな俺でいられる空間を毎度のごとく破壊されている俺も立派な被害者であると言えるだろう。

 だけどそんなことは赤の他人からすれば「関係ない」の一言で片付けられてしまうのだ。わかっている。俺だって逆の立場だったなら同じような考えを抱いていただろう。静寂を求められる空間で、それとは全く別のことをしでかす人間とその現象を引き起こしている原因である人間がいるのだ。今すぐどっかにいってよ!と思うのが普通である。

 そこまで理解しているのならこの場所に来ることをやめればいいのだろうけれど、この男のせいでオアシスを手放してしまうのはなんだか負けた気がして嫌だった。だから他の人に迷惑になると分かっていながらも、俺は変わらずここに足を運ぶ。本当に、俺のよくわからない勝負心のためにご迷惑をおかけして申し訳ありません。だけどやっぱり俺よりもこいつのほうが悪いと思う。

 片手をひらひらとふりながら軽薄な笑みを浮かべ近づいてくる男にそうだ、やっぱりこいつが一番悪い。と、とみに思う俺である。そんなことを考えているうちに男との距離はあっという間に縮まった。

 椅子に座っているためそばにきた男を見上げれば視界で燃える色。男の赤く染められた髪が夕陽とまざって深い紅にきらめく。奇抜すぎるその髪色も整った男の顔立ちだとよくにあっていた。せっかく綺麗な体で生んでもらったのに耳にびっちりと開けられたピアスの数々、だらしなく着崩された制服。これだけで分かるかもしれないが、一応言っておこう。そう、俺の嫌うコイツは俗に言う「不良」くんだ。

 それもこの不良くんと俺は同じクラスときている。実に最悪だ。毎日放課後だけでは飽き足らず、教室でも顔を合わせなければいけないなんて。そもそもどうしてこの男は俺に関わってこようとするのか。男の思考回路はなぞすぎる。不良で煩くてイケメンで意味不明で、うん。実に最悪だ。


 「キャー。えいちゃんひっどぉーい」


 「地に還れ」


 「え?血祭り?うーわー!えいちゃんカゲキ~」


 「……」


 何度辛辣に当たろうとも、こうしてへラリと笑ってかわすばかりで俺につきまとうのをやめてくれない。何がそんなに楽しいのか、ここ最近ずっとなにかと俺にちょっかいをかけてきては意味のわからない事をのたまうコイツの行動の意味が全く理解出来なかった。暇なのか?俺につきまとう位暇なのなら、是非とも他の人間の所にいってほしい。と思う。いっそのこと俺の目の前からいなくなってくれないかな。今すぐに。お前だったら引く手あまただろうに、どうして俺なんかのところにくるんだ。たんなる冷やかしと暇つぶしならほかでやってくれ。

 そうじゃないといろいろと持ちそうにないのだ。

 だって、なぜなら。


 「まぁ、でも、相手を血祭りにあげるカイカンはたまんないよねぇ~?」


 「…ッ。そんなの、知らない」


 「あ、そうか。えいちゃんは俺と違って『おりこうさん』だもんね。この前のテストも学年30位に入ってたし。俺なんか下から数えたほうが早かったよ」


 すごいね、えいちゃんは。


 なんて笑うコイツが、本当は怖くて怖くて仕方が無いのだ。

 口では強く言っているが、内心では不良であるコイツにビビリっぱなしなのである。

 その異様な髪の色だとか、まとうオーラだとか、いつもはへラリとしているくせに時折見せる鋭い視線だとか、とにかくいろんなモノが俺を刺激して震え上がらせる。

 できることなら同じ空間になんていたくない。今すぐにでも逃げ出してしまいそうになる体をおさえるのに必死だった。声は、手は、体は、震えていないだろうか。俺がこの男に抱いている恐怖は、バレていないだろうか。いっそのこと一目散に逃げていく奴らみたいに俺も逃げられたら楽だったのに。だけど俺にはそれができない。いや、しないのだ。俺には逃げるという選択を選ぶことが出来なかった。

 どうして選べないのか。それはビビリな自分を他人に知られたくないという変なプライドが理由で、自分自身にクールという仮面を被っているからだ。どんなに怖くても素知らぬ顔を装い、どんなに逃げだしたくてもそれを悟られないよう必死だった。恐怖し、慌てふためく姿をどうしても他人に見られるのが嫌だったのだ。俺みたいな平凡野郎が外面を取り繕ったところでなにがどうなるわけでもない。周りが平凡である俺に格好よさや頼もしさを求めていないことはよく分かっている。

 だけど気づけば見栄をはってしまう自分がいる。自分でもなんでこんなに平気なフリをしようとしてしまうのか不思議だった。どうしてここまで必要のない見栄をはりたがってしまうのか。


 「…別にすごくない。ちゃんと授業を受けてればあれくらい取れるだろ」


 「ちゃんと授業を受けてるっていう時点でえらいよね」


 「…おまえ何しに学校きてるの?」


 「え?そんなのえいちゃんに会うため?」


 「キモい」


 こうして一見ふつうに会話しているように見えるいまも心臓はバクバクしているし、手のひらは嫌な汗でぬれている。一体一。コイツと対峙するとき俺に逃げ場はない。そして逃げ場もそうだが、コイツとのやり取りには終わりがみえないのだ。

 今まではその場の一瞬を我慢すれば良かった。どんなに怖くても逃げ出したくてもその場を持ちこたえられればそれで終わりだったのだが、コイツの場合はそうじゃない。

 神出鬼没に現れては俺を構い倒し、自分の気が済めばどこかに消えていく。優しいのかと思えばこちらを威圧してくるし、馬鹿なのかと思えばこちらが驚く程の策士で狡猾な面をのぞかせる。

 そしてなによりコイツは物理的にも怖いのだ。簡単に言えば、喧嘩が半端なく強く、暴力の権化のような人間だった。力でねじ伏せるとはこの男のために存在する言葉なのではないかと思うくらい、コイツは他人を力で従わせることに長けていた。以前たまたまみかけた男の暴力の現場を思いだして、蘇る恐怖に背筋がざわつく。あんな、あんな風に、


 (笑いながら人を殴るなんて異常すぎる)


 やめてくれと請う声も、虫の息で抵抗できない人間も関係なく狂ったように殴り続けていた姿はまさに『狂人』だった。

 そんな奴が毎日毎日つきまとってくるのだから恐怖以外の何物でもない。

 だから最初コイツに話しかけられた時は目を開けたまま気を失いそうになった。よく気を失わなかったなと自分に拍手を送りたいくらいだ。ポーカーフェイスを浮かべていられたのも奇跡のように感じられるほど、その時の俺はとてつもない恐怖に襲われていた。逃げだしたくてしょうがなくて…でもそれが出来なくて泣きそうだった。実際には泣かなかったけれど。

 それでも歩く暴力の前で見栄をはってしまう己のサガを恨みながら耐え忍んで相手をした結果、なぜかなつかれる羽目になったのは予想外だった。こんな未来が待っていると分かっていれば一目散に逃げていたのに。とそこまで考えて、それでもやっぱり俺は張らなくてもいい見栄をはってしまうのだろうなと他人事のように思う。これはもう、病気のようなものなのだ。一生治らない、不治の病。


 (こんな風に笑いながら、あの時も人を殴ってたんだよな)


 今向けられている笑みと、暴力の中で笑っていた笑みが重なる。もしかしたら、次の瞬間には俺も殴られているのかもしれない。そんな思いがつきまとう。

 コイツと関わるようになって何ヶ月かたつけれど、いまだに恐怖は拭い去れない。ただのクラスメートのままろくに言葉も交わさないような関係でいられれば良かったのに。その平穏は、男自身の手によって奪われてしまった。


 「ホントーにえいちゃんは辛口だよね」


 いささかトリップしていた思考がアイツの声で引き戻される。ビビリながらも気だるさを装ってそちらを向けば楽しげに笑うアイツと目が合った。いつの間にか図書室には俺と男の二人だけになっていた。きっと、こいつの登場でみな去って行ったのだろう。図書係か司書の人が居るはずなのだが、その姿も見当たらない。もしかしたら奥の資料室にこもってなにか作業をしているのかもしれない。ここの図書室はいがいと広いから色々と整理することがあるのだと前に言っていたような気がする。だけどそれ以外の人間は、跡形もなく姿を消していた。

 はからずも二人っきりとなってしまった状況に、冷や汗がにじむ。

 もうやだ。怖すぎて俺は死んでしまうかもしれない。そう思うのに、俺はこの場から立ち去らない。


 「それとも俺にだけ辛口なの?あ、もしかしてえいちゃんツンデレっていうやつ?」


 「うるさ、」


 「もう一人のえいちゃんもツンデレなのかな、それともデレデレになっちゃう?……あー、ちがうか。きっともう一人のえいちゃんは、俺のこと恐がって怯えちゃうね」


 「……え?」


 うるさい。と言おうとすれば遮られて、代わりに紡がれた言葉に俺の動きが止まる。

 もう一人の、えいちゃん…?

 聞き捨てならないワードに体中の血液がザーッとひいていく。呆然と見やれば、何を考えているのか一切読み取れない顔で笑う男が俺を見ていた。

 え?もしかして…でも、そんなわけ…。

 とっさに行き着いてしまった考えにありえないと目を見開く。もうポーカーフェイスを繕っているひまもなかった。あれだけ晒したくないと思っていた姿を、俺は一番見せたくないと思っていた相手に晒してしまう。

 そのことにさえ気づけないほど動揺した俺は、ただただ信じられない思いで目の前にいる人物を凝視した。

 そんな俺を見つめて、男はいっそう笑みを深くした。


 「あれ?もしかしてバレてないと思ってた?」


 「…ッ」


 「はは。そーいうトコマジで可愛いよねぇ。一生懸命隠そうとしてるえいちゃんは本当に可愛かったよ?そりゃもう、」


 食べちゃいたくなっちゃうくらい。


 クスリと笑いながら距離を詰めてくるアイツに、言葉にならない恐怖が足元から這い上がってくる。狭まる距離から逃げたいのに、根が張ったように足が動かなかった。

 こちらを見つめるアイツの瞳が妖しい色を帯びてきらめく。蛇のようにねっとりと、だけど熱を孕んだ瞳が、ついには見上げればすぐそこにまできて、俺は人知れず息を呑んだ。


 「ねぇ、えいちゃん」


 「…やっ」


 為す術もなくカタカタと震える俺を愛しげにその瞳に映す。アイツの冷たい手が頬に伸びてきて短く声を上げて顔を背けるが、その手は容赦なく俺の顎をすくめとった。

 クイっと上を向かされ強制的にあの瞳を見ることになってしまい、俺は愕然とした。俺を見つめるアイツの目に浮かぶものは、想像以上に苛烈なものだった。視線一つで俺を抑え込む。そんな底闇のような瞳で俺を、見ている。耳のすぐそばにあるのではないかと錯覚するほど煩く鳴る心臓が、どうしようもなく俺の恐怖心を煽っていく。


 「…そろそろ本当のえいちゃんを俺に見せてよ」


 そう言って綺麗に綺麗に微笑むアイツ。

 顔は笑っているくせにその目は俺を戒め絡め取り一切の抵抗を奪い去って行く。視界いっぱいにアイツがひろがりそれ以外を意識することができないくらい、支配される。冷たい手が、頬を撫でた。アイツの瞳の奥で、暗い炎が燃えている。ゆらゆらゆら、その色はアイツが持つ髪色よりも暗く深い。

 逃げ出すことも、声を出すことも出来ずにただ恐怖に身を固める俺へとなおもアイツは囁いた。




 「そしたら一生愛して離さないって誓ってあげる」




 歌うように囁かれたそれは、誓いと呼ぶには歪な音を奏でていた。




 END

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