正式な婚約
正式な婚約の発表は、静かに行われた。
大広間でも、舞踏会でもない。
王府の会議室で、関係者立ち会いのもと、淡々と書類が交わされる。
「マリエル・ノートン」
呼ばれて、一歩前に出る。
「アレクシス・レイン」
彼も同じように、名を呼ばれる。
「両名の婚約を、ここに認める」
それだけだった。
拍手も、祝辞もない。
だが、胸の奥で確かに何かが決まった。
***
その日の午後。
「正式に、婚約が成立しました」
レイン様は、いつも通りの調子で言った。
「……実感がありません」
「そのうち出ます」
「そうでしょうか」
「不便が出たら、調整します」
相変わらずだ。
でも――
「婚約者として、不都合はありませんか」
彼が、珍しくそう尋ねた。
「今のところは」
「“今のところ”?」
「仕事と立場が変わらないので」
彼は、少しだけ考えた。
「変えますか」
「……いえ」
私は首を振った。
「変えなくていいです」
この距離が、心地いい。
***
発表の効果は、すぐに現れた。
「ノートン子爵令嬢、改めてご挨拶を」
「今後とも、ぜひ」
今まで無視していた官僚たちが、揃って頭を下げる。
その中に――
「おめでとうございます」
ラドフォード男爵もいた。
「……ありがとうございます」
彼は、以前のような余裕を失っていた。
「あなたは、良い選択をなさった」
「そうでしょうか」
私は、静かに言った。
「私は、何も変えていません」
彼は、言葉を失った。
***
実家からも、知らせが届いた。
『婚約、おめでとう』
『お前が誇らしい』
父の筆跡は、どこか硬い。
それでも――
認められたのだと、思えた。
義母からの一文は、短かった。
『体に気をつけて』
それで、十分だった。
***
夕方。
庁舎を出ると、彼が待っていた。
「一応、聞いておきます」
彼は、真正面から私を見た。
「後悔は?」
「ありません」
即答だった。
「可愛げがない、と言われ続けた私を」
「はい」
「対等だと言ってくれた」
彼は、少しだけ目を細めた。
「事実です」
それだけだった。
でも――
「婚約者として」
「?」
「今後とも、よろしくお願いします」
そう言って、彼は手を差し出した。
一瞬、迷ってから。
「こちらこそ」
私は、その手を取った。
可愛げがない。
そう言われ続けた私が、選ばれたわけではない。
並んだのだ。
これからも、彼の隣で。




