噂の中心
婚約の噂が広まるのに、時間はかからなかった。
「聞いた?」
「レイン様が婚約なさるって」
「相手が、ノートン子爵令嬢ですって」
官庁の廊下でも、資料室でも、視線が集まる。
以前は好奇心だけだったそれが、今は評価と探りに変わっていた。
「……落ち着きませんね」
思わずそう漏らすと、隣を歩くレイン様は首を傾げた。
「問題でも?」
「私に注目が集まるのは、あまり慣れていなくて」
「無視すればいい」
「できれば楽なのですが……」
彼は一瞬だけ考えた後、淡々と言った。
「仕事が遅れるなら、私が排除します」
「排除……」
「余計な干渉です」
本気だった。
***
その日の午後、社交界からの招待状が山のように届いた。
「……こんなに」
机の上に積まれた封筒を見て、思わず息をのむ。
「今まで一通も来なかったのに」
「それは、あなたが変わったからではありません」
彼は、きっぱりと言った。
「周囲が変わっただけです」
封筒の一つを手に取る。
「“ご婚約おめでとうございます。ぜひ一度――”」
「出る必要はありません」
「でも、今後のためには……」
「今後必要なのは、結果です」
その言葉に、私は苦笑した。
やはり、この人は一貫している。
***
官僚養成学校時代の知人からも、声を掛けられた。
「マリエル、久しぶり!」
「……お久しぶりです」
彼女は、以前は私を避けていた一人だ。
「あなた、すごいじゃない。レイン様の婚約者ですって?」
「まだ正式ではありません」
「でも、見る目があったのね」
「……そうでしょうか」
その言葉に、違和感を覚える。
「見る目があった、というより」
「?」
「私は、ずっと同じです」
彼女は、一瞬だけ言葉に詰まった。
「前は、ちょっと近寄りがたくて」
「そう言われていました」
「でも今は……」
「今は、“価値がある”からですか」
自分でも驚くほど、冷静な声だった。
彼女は、何も言えなくなった。
***
夕方、仕事が一段落した頃。
「疲れていませんか」
彼が、書類から目を上げずに言った。
「少しだけ」
「なら、休憩を」
差し出されたのは、温かい紅茶だった。
「……覚えていてくださったんですね」
「砂糖を入れない方がいい」
「ええ」
何気ない気遣いが、胸に染みる。
「不思議です」
思わず、口にした。
「何が」
「評価されるようになったのに、以前より落ち着いています」
彼は、少しだけ考えた。
「基準が、変わったからでしょう」
「基準?」
「可愛げ、ではなく」
「……能力、ですか」
「はい」
その言葉に、胸が温かくなる。
***
夜、自室で一人になる。
鏡に映る自分は、以前と何も変わらない。
飾り気のない服。
控えめな髪型。
それでも、私はもう知っている。
可愛げがない、と言われた私でも――
必要としてくれる場所がある。
そして。
「並ぶ相手だ、なんて」
思い出して、少しだけ頬が熱くなった。
噂の中心に立っても、私は私のままでいい。
そう思えたことが、何よりの変化だった。




