彼女が外されても問題は起きないはずだった
中央政策案件の準備会議は、滞りなく進んでいた。
「では、この予算配分で確定ということで」
「異論ありません」
会議室には、穏やかな空気が流れている。
誰もが、自分たちの判断を疑っていなかった。
――あの令嬢がいなくても。
「ノートン子爵令嬢は、今回は地方出向でしたな」
「ええ。優秀ですが、少し融通が利かない」
部長は肩をすくめる。
「こういう場では、空気を読む者の方が重要です」
「確かに。数字ばかりでは、貴族は納得しませんからな」
笑いが起きた。
彼らにとって、仕事とは調整であり、
正しさは二の次だった。
「彼女の資料は、前回までのものを使えば十分だ」
「多少の修正は必要でしょうが、問題ないでしょう」
――そう、問題はない。
誰もが、そう信じていた。
***
一方その頃。
私は地方行政局の一室で、黙々と書類を整理していた。
与えられた机は、窓際の小さなもの。
仕事は、過去案件の整理と写し取り。
表向きは「経験のため」。
実際には、重要な決定から外された場所だ。
それでも、私は手を止めなかった。
「……これは」
ふと、一枚の資料に目が留まる。
中央で進められている政策案。
私が、途中まで関わっていた案件だった。
――この数字、おかしい。
予算配分。
試算の前提。
利権の流れ。
一つ一つ確認していくと、
見過ごされている歪みが浮かび上がる。
私は、息を吐いた。
「このまま進めば……」
最悪の場合、
地方の反発で計画は頓挫する。
それでも、私は口を挟まなかった。
命じられていないことは、しない。
それが、補佐官として身につけた処世術だった。
***
その日の夕方。
地方行政局に、一人の男が訪れた。
背筋の伸びた、無駄のない所作。
華美ではないが、存在感がある。
「中央からだ。局長に用がある」
短い言葉で名乗り、通されていく。
廊下の先ですれ違ったとき、
その男は一瞬、私の手元の資料に視線を落とした。
「……それ」
低い声。
「誰が作った」
「以前、私がまとめたものです」
男は足を止めた。
「名前は」
「マリエル・ノートンと申します」
数秒の沈黙。
「……なるほど」
それだけ言って、男は去っていった。
けれど。
その背中が、どこか引っかかった。
***
夜。
私は一日の作業を終え、書類を閉じた。
中央では、今日もきっと
「問題ない」という言葉が飛び交っているだろう。
――本当に、そうだろうか。
私は、胸の奥に小さな違和感を抱えたまま、灯りを落とした。
そして同じ頃。
中央行政局の会議室で、
誰かが、初めて顔を曇らせていた。
「……この数字、合っているか?」
静かな一言が、
まだ誰にも気づかれていない綻びを、示していた。




