静かな指摘
翌日の会議室は、昨日と同じ場所だった。
違うのは、私の席だけだ。
「……ノートン嬢、こちらへ」
上官に促され、私は壁際の補助席から、長机の一角へ移動した。
わずかな距離。
それでも、周囲の視線が一斉に集まるのを感じる。
「席、用意されてたんだな」
「補佐じゃなかったのか?」
小声が、耳に届く。
私は気にしない。
書類を机に置き、ペンを揃えた。
会議が始まる。
「では、例の事業案について続けましょう」
「修正点は特になし、という認識でよろしいですね」
何人かが頷いた。
私は、黙って資料に目を落とす。
数字は、昨日と同じだ。
問題も、同じ場所に残っている。
「……異論は?」
一瞬の沈黙。
誰も口を開かない。
私は、視線を上げた。
「あります」
声は、思ったよりも静かだった。
だが、その一言で、空気が止まる。
「ノートン嬢?」
上官がこちらを見る。
驚きよりも、確認するような目だった。
「簡潔にお願いします」
「はい」
私は、立ち上がらない。
座ったまま、資料を指で押さえる。
「この事業案は、初年度の収支だけを基準に設計されています」
「それが何か?」
「人員配置が固定化されている点が問題です」
数人が、顔をしかめた。
「人件費は既存基準だ」
「ええ。その“既存基準”が、現在の物価と乖離しています」
私は、別紙を差し出した。
「こちらは、直近五年の推移です」
「……」
数字を追う視線が、次々と紙に落ちる。
「このまま進めた場合、二年目で調整が入り」
「三年目には、追加予算が必要になります」
「大袈裟だな」
「事実です」
言い切った。
感情を挟む余地はない。
「地方で同様の設計を行った結果、同じ経路を辿りました」
「失敗例、ということか」
「はい」
室内が、静まり返る。
誰かが咳払いをした。
「……では、修正案は?」
そう尋ねたのは、先ほど反論していた男だった。
私は、少しだけ視線を向ける。
「人員配置を流動化します」
「簡単に言うが――」
「簡単です」
私は、資料の一部を示した。
「期間ごとに必要人数を再計算するだけです」
「……前例は?」
「ありません」
一瞬、空気が硬直した。
王都では、その言葉が壁になる。
私は、続けた。
「ですが、失敗の前例はあります」
「……」
「成功させたいのであれば、こちらを避けるべきです」
上官が、ゆっくりと腕を組んだ。
「君は、前例より結果を取るのか」
「はい」
即答だった。
「それが、仕事ですので」
沈黙。
長い数秒の後、上官は息を吐いた。
「……修正案を基に、再検討する」
「よろしいのですか?」
「数字が、筋を通している」
そう言ってから、私を見る。
「ノートン嬢」
「はい」
「次回から、この案件の実務責任者に入ってもらう」
小さなざわめきが起きた。
「補佐ではなく、ですか」
「補佐では足りない」
それだけだった。
***
会議が終わり、席を立つと、何人かが視線を向けてきた。
さっきまでとは、違う目だ。
「……あの資料、どこで?」
「地方の案件で」
私は、簡潔に答える。
それ以上、言葉はいらない。
机に戻り、書類を整える。
手が、ほんの少しだけ、震えていることに気づいた。
――大丈夫。
私は、深く息を吸う。
彼がいなくても。
一人でも。




