二人、並び立つ場所
その日、私はいつもより早く庁舎に来ていた。
理由は特にない。
ただ、そうするのが自然だった。
窓から差し込む朝の光はまだ柔らかく、廊下には人の気配も少ない。
この時間帯に庁舎にいるのは、いつも決まって限られた人間だけだ。
執務室に入る。
彼の席は、変わらず空いている。
書類の位置も、椅子の角度も、最後に使っていた時のまま。
私は、そこを動かさなかった。
彼が戻るかどうか。
それは、ずっと不確かなままだった。
それでも私は、席を消さなかった。
片付けもしなかった。
「戻る場所」を、残すと決めたのは――
私自身だったからだ。
***
「随分、整いましたね」
背後から聞こえた声に、私は一瞬だけ動きを止めた。
聞き慣れた声。
けれど、もう二度と聞けないかもしれないと、覚悟した声。
振り返る。
そこに立っていたのは――
「……レイン様」
少し痩せている。
顔色も、以前より穏やかだ。
けれど、視線は変わっていない。
理性と覚悟を宿した、あの目。
「戻っても、よろしいでしょうか」
冗談めいた口調だった。
私は、一拍置いてから答えた。
「遅刻です」
「厳しいですね」
「席、空けてありますから」
それだけ言った。
彼は、静かに息を吐いて笑った。
「ありがとうございます」
それ以上の言葉は、なかった。
でも――
胸の奥で、何かが確かにほどけた。
張り詰めたまま、立ち続けていた糸が。
ようやく、役目を終えたように。
***
「あなたが進めた改革案、拝見しました」
並んで座りながら、彼が言う。
「どうでしたか」
「非常に合理的です」
淡々とした評価。
けれど、それは彼にとって最大限の賛辞だった。
彼は、少し間を置いてから付け加える。
「私がいなくても、問題ありませんでしたね」
私は、首を振った。
「いないのと、必要ないのは違います」
言葉にした瞬間、自分でも驚くほど、声は静かだった。
彼は、少しだけ目を細める。
「……相変わらずですね」
「ええ」
私は、机に向き直る。
「でも、戻ってきてくださって良かった」
それだけ言って、書類に視線を落とした。
感情を飾る言葉は、必要なかった。
彼は、隣の席に座る。
椅子の軋む音が、やけに心地よい。
その音が、ここに人が戻ったことを、何よりも雄弁に語っていた。
「これからも」
「はい」
「並んで、仕事を」
「ええ」
可愛げがない。
そう言われ続けた私が、ここまで来た。
笑顔も、愛想も、器用に振る舞うこともできなかった。
ただ、逃げずに立ち続けただけだ。
でも――
私は、私のままでよかった。
誰かの隣に立つために、形を変える必要はなかった。
隣に、戻る人がいる。
対等に、言葉を交わせる人がいる。
それで、十分だ。
私は書類に目を落とし、彼は同じ机を見る。
同じ方向を向いて。
同じ場所に立って。
それが、私たちの選んだ答えだった。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
この物語は、
「可愛げがない」と言われ続けた一人の女性が、
それでも自分の足で立ち続け、
最後に認めてくれた人と並ぶ場所を選ぶまでの話でした。
派手な展開はありませんが、
誰かの心に、静かに残る物語になっていれば嬉しいです。
もし少しでも
「良かった」「最後まで読んでよかった」
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ご好評につき、第二章も続けて執筆しますので引き続きよろしくお願いします。




