知らされない兆し
その日の朝、王府医務室では、小さな変化が起きていた。
「……数値が、下がっていますね」
医師が、信じられないものを見るように呟く。
「昨日までは、ほとんど動きがなかったのに」
アレクシス・レインは、椅子に座ったまま、静かに頷いた。
「体調は」
「正直に言えば、変わりません」
息が浅く、体は重い。
良くなった実感は、まだない。
それでも。
「進行が、止まっています」
医師は、はっきりと言った。
「これは……極めて珍しい反応です」
確証はない。
回復と呼ぶには、早すぎる。
だが、希望と呼ぶには、十分だった。
「引き続き、安静を」
「承知しました」
彼は、淡々と答えた。
そして、ふと思う。
――彼女に、伝えるべきか。
答えは、すぐに出た。
まだだ。
期待を持たせるには、確証が足りない。
***
一方その頃、王府庁舎。
私は、いつも通り席に着いていた。
昨夜の熱は、引いている。
少しだけ体が重いが、支障はない。
「代理殿、本日の予定です」
部下が、書類を差し出す。
「ありがとうございます」
淡々と受け取る。
視線を上げると、窓の外は晴れていた。
良い天気だ。
それだけで、少しだけ気持ちが軽くなる。
***
午後、改革案の最終調整会議。
長引いた議論の末、ようやく結論が見えた。
「……以上で、第四段階への移行を承認します」
拍子木の音。
会議が終わる。
誰かが、小さく息を吐いた。
「本当に、ここまで来ましたね」
部下の一人が、そう言った。
「ええ」
私は、頷く。
「でも、これは通過点です」
達成感より、次の課題が先に見える。
それが、今の私だった。
***
夜。
自室で、一通の手紙を書いた。
宛名――アレクシス・レイン。
内容は、いつもと同じ。
――改革案、第四段階へ移行。
――大きな混乱なし。
――体調はいかがでしょうか。
書き終えて、ペンを置く。
返事は、急がなくていい。
彼は、療養中なのだから。
けれど。
封を閉じた瞬間、胸の奥が、わずかに痛んだ。
理由は、分かっている。
私は、彼に頼っていない。
それは、成長でもあり、同時に――寂しさでもあった。
***
数日後。
医務室から、非公式な報告が庁舎に届いた。
――アレクシス・レイン殿、症状安定。
――数値に改善傾向あり。
だが、その文書は、私の元には回ってこなかった。
意図的に、だ。
希望は、確証になってから。
それが、王府の判断だった。
私は、そのことを知らないまま。
今日も、前に立っている。
彼が戻る席を、守るために。




