表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
99/148

第98話:瓦礫の中の一服


「……お退きなさい。この方は、私が直々に相手をする」


ザイツェフ将軍の冷徹な一喝に、兵士たちは困惑しながらも道を開けました。


軍靴で瓦礫を踏みしめながら、彼は咲子の数メートル手前で足を止めました。


その手に握られた拳銃の銃口は、迷いなく咲子の眉間に向けられています。


咲子は茶碗を清めながら、ふっと柔らかく微笑みました。


「おほほ。ご立派な将軍様になられて。……ニコライ。わたくし、姿も声も、あなたと出会った時とはずいぶん変わってしまいましたけれど。どうして、わたくしだと分かったのかしら?」


40年前、瀕死の彼がスープを啜った時に見ていたのは、60代の、既に「伝説」と呼ばれ始めていた老練な外交官としての咲子の姿でした。


今の彼女は、その時よりも遥かに幼い、18歳の「咲良」の姿です。


ザイツェフは、引き金にかけた指を震わせながら、吐き捨てるように言いました。


「……忘れるはずがない。その傲慢なまでの落ち着き。周囲の雑音をすべて無意味にする、その眼差し。……何より、そのお節介で鼻につく『正しさ』の匂いだ、花村咲子」


「あら、手厳しいことですわね」


咲子は気にする様子もなく、サラサラと茶筅ちゃせんを振るい始めました。


瓦礫の山の上で、シャカシャカという竹の鳴る音だけが、不気味なほど静かな戦場に響き渡ります。


「外交も、言葉も、もはやここには存在しません。あるのは力と、力による決着だけだ。あんたが今更どんな若い姿で現れようと、私の絶望は変わらない。ミサイルの発射は止まらないんだ」


「ええ、存じておりますわ。今のあなたは、平和を愛したお父様さえ否定し、すべてを灰にすることでしか自分を保てない……。けれどニコライ、そんなに肩を怒らせていては、せっかくのお茶が苦くなってしまいますわよ」


咲子は、点て終えたばかりの泡立つ緑茶を、一礼して彼の方へと差し出しました。


「一服、いかが? 40年前、わたくしが差し上げたスープのように、お口に合うかは分かりませんけれど」


ザイツェフの瞳が、激しく揺れました。


「スープ」という言葉が、彼の心の奥底に沈めていた、あの極寒の戦場で60代の咲子に救われた記憶を無理やり引きずり出したのです。


銃口は向けられたまま。

世界中がスマホの画面を凝視し、瞬き一つできずにこの異様な光景を見守っていました。


「……ふん。毒でも入っているのか?」


「まさか。わたくし、おもてなしに手は抜きませんの。たとえ相手が、世界を滅ぼそうとしている駄々っ子であっても」


ザイツェフは、自嘲気味な笑いを浮かべると、ついに拳銃をホルスターに収めました。


そして、膝をつき、泥に汚れるのも構わずに、咲子の正面に座り込んだのです。


「いいだろう。死ぬ前の最後の贅沢だ。あんたの言う『平和』とやらが、この一杯で語れるものなのか、見せてもらおう」


硝煙と砂埃の中、一国の命運を握る独裁者と、時を越えて蘇った伝説の外交官。


二人の「最後のお茶会」が、今、始まりました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ