第80話:不戦の微笑
配信60日目。 画面の中の咲子は、いつになく静かでした。
しかし、モニターの中に映る「数字」と「ニュース」が、かつてない異常事態を告げていました。
B国の独裁政権は、ついに自国の通信網を完全に遮断し、国民から咲子の声を奪おうとしていました。
同時に、国際社会に対して「咲良の身柄確保と配信停止」を要求する最後通牒を突きつけたのです。
「咲子さん……。B国の軍部が、この配信を『サイバーテロ』に指定しました。
これ以上続けたら、私たちの国も国際法違反に問われるかもしれないって……」 舞が震える声で最新のニュースを読み上げます。
「おほほ。わたくし一人の雑談が、一国の軍隊をそこまで怯えさせているのですか。光栄なことですわね」
咲子は18歳の可憐なアバターを纏いながら、マイクのスイッチを入れました。
同時接続者数は、検閲を突破しようとする世界中の有志たちの手によって、ついに1億人を突破しました。
そのほとんどが海外視聴者ですが、冷やかし目的の視聴者も依然として多く存在しています。
「ごきげんよう。……そして、B国の指導者の皆様。モニター越しに、わたくしをどうやって黙らせようかと頭を悩ませている方々も、こんばんは」
咲子の声は、穏やかでありながら、世界中の指揮官の耳元で囁くような凄みを持っていました。
「あなた方は、わたくしの口を塞げば、兵士たちの迷いが消えるとお思いかしら? 彼らが銃を置いたのは、わたくしが命じたからではありません。彼ら自身の中にあった『誇り』が、醜い争いにNOを突きつけたのですわ」
咲子は、カメラのレンズを真っ直ぐに見据えました。
その瞳は、画面越しに独裁者たちの喉元に刃を突き立てているようでした。
「あなた方が恐れているのは、わたくしという個人ではありません。わたくしが鏡となって照らし出した、あなた方自身の『臆病さ』ですわ。……もし、わたくしの言葉が間違っているとおっしゃるなら、どうぞ。全世界が見ているこの前で、わたくしの存在を消してみなさいな」
咲子は優雅に椅子から立ち上がり、不敵に微笑みました。
「平和を壊したいのなら、まずわたくしを殺しなさい。わたくしの声を無理やり奪い、この放課後を汚してみなさいな。その瞬間、あなた方は未来永劫、人類の敵として歴史に刻まれることになりますわ。……わたくしを消してまで、その椅子にしがみつく覚悟はありますか?」
静寂が支配する世界。 B国の司令部では、配信を強制停止させるボタンに手をかけた将校が、そのあまりの「微笑みの重圧」に指を震わせていました。
今、彼女を強引に黙らせれば、自国が「真実を恐れる卑怯者」であることを世界に証明してしまう
――その外交的破滅の恐怖が、彼らの動きを封じ込めていたのです。
「おほほ……。賢明な判断ですわ。わたくしたちの『放課後』は、まだ続きますのよ」
咲子は再び椅子に座ると、視聴者に向かって優しく微笑みました。
「本日の授業はここまで。……みゆちゃん、大福をもう一ついただけますかしら?」
配信が切れた直後、リビングの電話が鳴り響きました。
それは物理的な暴力ではなく、政府からの冷徹な「通告」でした。国家が武力で彼女を折ることを諦め、次に選んだのは「法」という名の鎖だったのです。




