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第72話:母のスープ(中編)

「……信じられない。咲子さん、見てくださいこれ!」


翌朝、佐藤家のリビングに舞の叫び声が響きました。


タブレットに映し出されていたのは、昨夜、咲子が配信で紹介した「スープのレシピ」が世界中で爆発的にシェアされている様子でした。


ハッシュタグ #MothersSoup (母のスープ)。


最初は日本のリスナーたちが「作ってみた」と投稿し始めたものでしたが、その波は瞬く間にA国とB国のSNSへと飛び火しました。


『待て、この咲良が隠し味に入れたハーブ。うちの村の特産品だぞ』


A国の兵士が、塹壕の中で撮った泥まみれのスマホから投稿しました。


すると、信じられないことが起こりました。


それに対して、敵対するB国の兵士からリプライ(返信)がついたのです。


『嘘だろ。俺の母さんも、冬になると必ずそのハーブをスープに入れてた。お前、どこの出身だ?』


『A国の西側、リンデン村だ』


『……隣の国だけど、俺の村から山を一つ越えたところじゃないか』


ネットという広大な戦場で、それまで殺意をぶつけ合っていた匿名のアカウントたちが、一変して「故郷の味」について語り始めました。


軍の上層部がいくら「敵は冷酷な悪魔だ」とプロパティを流しても、画面越しに漂うスープの湯気と、共通の記憶までは否定できなかったのです。


「おほほ。胃袋に国境はございませんのよ、みゆちゃん」


咲子は縁側で、みゆが焼いてくれたトーストをスープに浸しながら楽しそうに眺めていました。


「人間、お腹が空いている時は『正義』を語りたがりますが、温かいものを食べている時は『思い出』を語りたがるものですわ」


しかし、この温かな変化を苦々しく思っている男がいました。


B国の軍事境界線を統括する猛将、ザイツェフ将軍。


彼は司令室で、兵士たちが持ち場を離れてスマホを覗き込んでいる報告を受け、椅子を蹴り上げました。

「ふん、スープだと? 外交官気取りの小娘が、戦場をままごと遊びに変えるつもりか!」


ザイツェフは部下を怒鳴りつけ、司令室から退出させました。


静まり返った自室。彼は重い金庫を開け、その奥から「あるもの」を取り出しました。


それは、古びて一部が欠けた、一冊の本でした。

「……見ていろ」


彼は一人、その本を握りしめ、かつて自分に名前さえ告げずに去っていった母のような女性の面影を打ち消すように、鋭い視線でモニターを睨みつけました。


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