49.境界線の向こう側――「悪」を語る資格
「記憶の寄託先」としての配信から数日後、咲良はVTuber界でも前代未聞の活動を報告しました。
それは、**「刑務所へのオンライン慰問」**です。
法務省との特別な協力体制のもと、個人を特定できないよう変声機と専用アバターを使用し、罪を犯した受刑者たちと一対一で対話を行うという試み。
「皆様、今日はいつものような華やかなお話ではありませんわ。わたくし、少しばかり『塀の向こう』の方々とお話ししてまいります」
しかし、この告知に対し、チャット欄ではかつてないほどの拒絶反応が起こりました。
荒れるチャット欄と、咲良の沈黙
コメント:「加害者をケアするなんて時間の無駄」
コメント:「被害者の気持ちを考えろ」
コメント:「犯罪者に知恵を授けてどうするんだ」
画面を埋め尽くす攻撃的な言葉の数々。
普段なら「おほほ」と受け流す咲良でしたが、今夜の彼女は違いました。彼女は静かに、しかし冷徹なまでに響く声で、リスナーに語りかけました。
「……皆様、少しお静かになさいな」
その一言で、数万人のタイピングが止まりました。
アバターの瞳には、今まで見せたことのない、深い「闇」を覗き込んできた者の鋭さが宿っていました。
「被害者の痛みを知らぬわけではありません。
ですが、加害者をただの『怪物』として切り捨て、石を投げるだけで満足している皆様。
……あなた方は、本当の『地獄』を見たことがありますこと?」
咲良は、外交官時代に目の当たりにしてきた光景を、感情を押し殺したトーンで語り始めました。
「わたくしは見てきましたわ。親を殺され、飢えに耐えかねて盗みを働いた幼い子供を。
環境という濁流に押し流され、それ以外の生き方を知らずに手を汚した若者を。
……彼らを『悪』の一言で片付けるのは、あまりに傲慢ですわ」
彼女の声に、怒りの色が混じります。
「生まれた場所が少し違えば、親が少し違えば、あなたが今その石を投げている相手は、あなた自身だったかもしれない。
……わたくしが信じているのは、盲目的な性善説ではありません。
どんなに泥にまみれた魂であっても、たった一筋の『言葉の光』があれば、再び人間として歩き出せるという、人間の底力を信じているのです」
「……この活動を否定する方は、どうぞ今すぐこの場を去りなさい。
わたくしが救いたいのは、綺麗事だけで塗り固められた世界ではなく、泥の中でもがく全ての魂ですわ」
配信画面は切り替わり、厳重なセキュリティで保護された専用ルームへ。相手は「受刑者A」。姿も見えず、声も加工されています。
「……俺みたいな人殺しに、話すことなんてねえよ」
投げやりな男の声に、咲良はいつもの穏やかな、しかし凜とした声で答えました。
「人殺し、ですわね。その事実は一生消えませんわ。
ですが、あなたが今日までその罪の重さに、たった一人で耐えてきたことも事実です。……さあ、吐き出しなさいな。あなたが、どこで、どの瞬間に、自分自身を捨ててしまったのかを」
対話は1時間に及びました。
咲良は決して罪を肯定しませんでした。
しかし、彼が育った過酷な環境、誰にも頼れなかった孤独を、一つずつ丁寧に解きほぐしていきました。
「……あなたはまだ、人間ですわ。やり直すことはできなくても、償いながら生きることはできる。わたくしが、あなたの『更生』という名の、果てしない旅の証人になって差し上げます」
最後、受刑者Aが絞り出すように言った「……すみませんでした」という言葉。
それは被害者へ、そして自分自身への、初めての心からの謝罪のようでした。




