第121話:【生放送】本当の声で、こんにちは。――デジタルな「自分」を脱ぐ夜
公園での「対話」から数日。HALの部屋には、再び明かりが灯っていました。
しかし、その景色は以前とは少し違います。メインモニター以外は電源が落とされ、部屋には窓から入る月明かりが差し込んでいました。
配信タイトルは、あえて飾らない言葉。 『【テスト】地声で、少しだけ。』
通知が行った瞬間、リスナーたちはざわつきました。 コメント:「え、地声!?」「HALくん、ボイチェン(声を変える機械)忘れたの?」「何が始まるんだ……」
配信開始のボタンを押してから、10秒間。スピーカーからは、HALの少し荒い呼吸の音だけが聞こえていました。 いつもなら、完璧なBGMと、加工されたカッコいい合成音声がすぐさま場を支配するはずです。
「……あ、……えっと」
ようやく聞こえてきたのは、細くて、今にも消えそうな、十代の少年の生身の声でした。
「……こんばんは。HALです。……驚かせて、ごめんなさい。今日は、機械を通さずに……僕の、本当の声で話をさせてください」
チャット欄のスピードが跳ね上がります。
コメント:「えっ、これHALくん!?」
「思ってたより可愛い声……」
「めちゃくちゃ震えてるじゃん」
「僕は……ずっと怖かったんです。学校で上手くいかなくなって、誰かと直接向き合うのが怖くて。……だから、ネットの中に『完璧な自分』を作って、そこに引きこもっていました」
HALは、公園で感じた砂利の感触や、子供の笑顔を思い出しながら、たどたどしく言葉を繋ぎました。
「でも、ある人に言われました。このままだと、僕は30年後、本当のひとりぼっちになるって。……画面の中のログじゃなくて、誰かの体温を感じられるようになれって。……正直、今も怖くて逃げ出したいです。でも……」
HALは、マイクを握りしめました。
「『完璧な僕』じゃなくても、この震えてる僕のままでも……みんなと繋がれるか、確かめてみたいんです。……不格好で、全然王様じゃない僕だけど……今日から、やり直させてください」
コメント:「HALくん、勇気出したね」
「声、震えてるけどすごく綺麗だよ」
「今の声の方が、ずっと近くに感じる」
荒らしや冷やかしのコメントも少しありましたが、それ以上に、HALの「弱さ」を受け入れる温かい言葉が画面を埋め尽くしました。
HALは、モニターに映るその文字を見て、初めて「回線」の向こう側にいるのが血の通った人間であることを、心から実感しました。
配信を終え、HALはヘッドセットを外しました。
耳に残るのは、静寂。でも、それは以前の「拒絶の静寂」ではなく、明日へと続く「休息の静寂」でした。
そこへ、スマホにメッセージが届きます。
『お疲れ様。マイク越しでも、あなたの「体温」はしっかり届いていましたわ。……これでようやく、あなたはネットの中に捨てていた「臓器」を、自分の中に取り戻せましたわね。』
HALは小さく笑い、自分の胸に手を当てました。 そこには、激しく打ち鳴らされる心臓の鼓動がありました。データには残らない、彼が生きている証拠です。




