第3話 二つの思惑
グランタクト州北部にある深い森。
その森の夜は、不穏な空気に満ちていた。
風に揺れる木々の葉擦れ。遠くで鳴く鳥獣の声。
それらはすべて、闇に溶け込むための背景音に過ぎない。
その中を、一つの影が音もなく駆けていた。
(……いた)
影は足を止め、気配を殺す。
視線の先、木々の隙間に異質な存在があった。
肌は赤黒く、目は無く、口は裂け、手足が異常に長い。
人の形をしていながら、人ではない歪な存在
――規格外妖魔
(はいはい、今日も夜更かしお疲れさまでーす)
内心でそう呟きながら、影は腰を落とす。
軽い思考とは裏腹に、身体の動きには一切の無駄がない。
妖魔が背を向けた次の瞬間、影の身体はすでに跳んでいた。
そして踏み込み、刃が閃く。
「ガシュッ!!」
断末魔を叫ぶ間もなく妖魔の首が宙を舞い、
胴体はその場に崩れ落ちる。
(うわ、相変わらず硬っ…)
月明かりが、木々の隙間から差し込む。
一瞬だけ、影の輪郭を照らし出した。
それは、闇に溶け込む一人の女だった。
妖魔が完全に動かなくなったのを確認し、女は近づく。
(ま、規格外っていうくらいだし、これくらいは手応えないとね。どれどれ…)
だが――
(……違う。コイツじゃない)
倒れ伏す妖魔を探り終えると、女は眉をひそめる。
(おかしいなぁ…夜になると、この森に出没するって…)
「……あ」
視界の端で、月光を弾く光。
揺れるペンダント。
その淡い輝きは、夜の闇の中でもやけに目立っていた。
(いたいた!ビンゴ。あれを回収すれば、当分の間は凌げるかも!)
女の表情が、僅かに引き締まる。
ペンダントを下げた妖魔は、森の奥へと逃げていく。
その周囲を、ゴブリン型の雑魚妖魔の群れが取り囲む。
数だけは無駄に多い。
「……めんど」
小さく吐き捨て、女は追撃に移った。
木を蹴り、枝を渡り、距離を詰める。あと一歩。
「っ!」
前方から、複数の気配。
ゴブリンの取り巻きが、まるで盾のように進路を塞ぐ。
(うわ、コイツら守る気満々じゃん。忠犬すぎてちょっと引くわ…)
次の瞬間、刃が走った。
女は、計7体を一刀のもとに斬り伏せる。
すると女に存在に既に気付いていたのか、
ペンダントの妖魔が間髪入れずに、女の足元に粘液を飛ばした!
(しまった…!足が…重い…!!)
両足の自由を奪わながも、
女は襲ってくるゴブリンを屍の山へと変えていく。
やがて全てのゴブリンが倒れ、目の前の視界が空くと、
ペンダントの妖魔はは森の闇へと溶けていった。
「……あー、もう!」
小さく舌打ちし、女は動きを止める。
追えない距離じゃない。
けど、ここで無理するほど無謀でもない。
(焦って突っ込んで、それで死んだやつ、何人も見てきたし)
女が刃を納め、倒れた規格外妖魔を見下ろす。
フラッシュが一度、瞬いた。
(一体か……本命には、逃げられちゃったけど…)
「ま、いっか」
そう呟く声は、軽い。
が、決して諦めの様子は感じられない。
「次は逃がさないし」
夜の森に、静寂が戻る。
そこに彼女の姿は、もうなかった。
そして、夜が明けた――
* * *
ナユタ邸での合奏の翌日の朝――
若宮一吹から招集の連絡を受けた
英エレナ(はなぶさ・えれな)と黒須ナユタ(くろす・なゆた)は、
指定場所であるリザイヤ本部の訓練場に姿を見せていた。
訓練場はテニスコートほどの広さを持つ殺風景な個室がいくつも並び、
その一つで二人は軽い訓練をしながら、一吹の到着を待っていた。
「……っ、ナユタ! そっち行ったよ!」
「見えておりますわ『クロノ・ウォール』!」
ナユタが結界を展開すると、訓練用のAIロボットが放ったエネルギー弾が、
淡い光の壁に吸い込まれるように消滅した。
だがその瞬間、背後からもう一体が静かに迫る――
「させないっ!『マグナ・フォルテ』!!」
エレナが右手をかざすと、磁力の竜巻が巻き起こり、
金属製ロボットを巻き込み、勢いよく宙へ弾き飛ばす。
同時に、ナユタに攻撃が通じないと判断したのか、
一体目のロボットがエレナに向かって突進してきた。
「計算通り……ですわ」
ナユタがそう呟くと、疾走するロボットの目の前に突如エネルギー弾が現れ、
真正面から直撃した。
「ドォオオオンッ!!」
衝撃でロボットは停止した。
「ふぅ………何とか勝ちましたわね。エレナ」
言葉とは裏腹に、ナユタの表情は明らかに曇っていた。
「ねぇ、見た?見た?新技開発しちゃった!バッチリ決まってたよね!」
ナユタとは対象的にエレナは、満面の笑みを浮かべていた。
「そうですわね。ですが……敵が金属では無かったら、
わたくしはきっとやられてましたわ…」
「大丈夫だよ!金属じゃなかったら、きっと別の方法でナユタを助けたと思う!」
エレナは迷いなく即答する。
「三つ目の妖魔の時もそうでしたが……
近接攻撃にめっぽう弱いのが、わたくしの克服すべき課題ですわね」
自分の弱点を冷静に受け止めながらも、エレナの言葉に少しだけ元気を取り戻した様子だった。
その時、訓練場の入口から柔らかな靴音が二つ響いた。
現れたのは、薄いピンク色の髪を無造作に整えた、中性的な顔立ちの青年だった。
深い藍色のシャツに黒のベストを重ね、落ち着いた色合いのスラックスを履いた私服姿。動きやすさを意識した装いではあるが、どこか指揮官らしい端正さが滲んでいた。
彼の隣には、いつもの白い軍服に身を包んだ一吹が静かに佇んでいる。
「やあ、僕はリザイヤ本部指揮官、小湊明楽だよ。よろしくね!」
「黒須ナユタですわ」
「はっ……英エレナです」
指揮官というともっと厳格、あるいは屈強そうなイメージを持っていたエレナは、
目の前に居る男性のフランクさに少し驚いた様子だった。
「今日はね、良い報告に来たんだ。
英エレナ、黒須ナユタ。君たち二人のリザイヤ正式加入が決定したよ」
「えっ……!?」
エレナの目が大きく見開かれる。
ナユタの表情も、わずかに和らいだ。
「叙任式は、一週間後だよ。
あ、式と言ってもそんなに堅苦しくなくていいよ。
好きな格好で来てほしい。君たちらしい服装でね」
「はい……!ありがとうございます!」
「ご期待に添えるよう。日々精進したしますわ」
三つ目の妖魔との戦いを経てから、エレナは人を救うために戦う妖魔スレイヤーに強い憧れを持ち始めていた。
そして今、その一歩が認められたのだと胸が熱くなった。
「それと……こちらの一吹さんからも話があるみたいだよ」
小湊指揮官が話を振られると、横にいた一吹がすっと一歩前に出た。
「エレナ殿、ナユタ殿。任意で構わないのだが……
これから、私が引き受けている案件に同行いただけないだろうか…?」
「案件……実戦任務ですか?」
エレナが質問した。
「グランタクト州北部にある森の付近なんだが……
正式加入前に少しでも実戦経験を積んだほうが、今後の助けになると思ってな。
……どうだろうか?」
エレナは息を呑んだ。
一吹の凛とした声は澄み切っていて、押し付けがましさは一切ない。
何よりも、妖魔スレイヤーに憧れるきっかけとなった先輩からの同行依頼だ。
断る理由など無かった。
ナユタは裾をつまみ、優雅に一礼した。
「光栄ですわ、一吹先輩。ぜひ、ご指導のほどお願いいたしますの」
「わたしも……!ぜひお願いします!」
一吹は表情をやわらげ、小さく頷いた。
「では、三人で行くとしよう……今回の依頼は3つある。
第一に、少女の捜索だ」
一吹は一瞬間を置いてから続ける。
「…それと野盗の捕縛、規格外妖魔の殲滅だ」
「規格外妖魔……?」
聞き慣れない言葉にエレナが反応すると、一吹は淡々と説明する。
「従来のゴブリンやオークなどとは明らかに異なる固有の見た目、、
そして桁外れの戦闘能力を持つ新種の妖魔だ。
……君たちも一度、対峙しているだろう?」
エレナの脳裏に、三つ目の妖魔が一瞬でよみがえると、緊張感のある表情に変わった。
「そう、それだ。気を抜くなよ」
一吹の言葉に、エレナは強く頷いた。
エレナの胸が高鳴る。
(これが……わたし達の最初の任務…)
訓練場の扉が、静かに閉ざされた。
その向こう側に待つものを、まだ誰も知らないまま。




