第五話
「王太子殿下が個展を開くらしい」
そんな情報が私の耳に届いたのは、それから数日後のことだった。
その話をしたのは、私の髪を結っていた侍女だ。
「どういうこと?」
鏡の前で私が問いかけると、噂好きのその侍女は軽快な口調で教えてくれた。
「なんでも王太子殿下って昔から絵を描くのが趣味だったそうで、身分を隠していろんなところに行っては絵を描いていたらしいんですよ」
「へ、へえ……」
「最初は国王陛下もかなりご立腹されていたそうなんですが、王太子殿下の描いた絵を見たとたん、心変わりして全面協力するようになったんだとか」
「全面協力?」
「屋敷を一棟買い上げて、そこを美術館にして個展を開かせようって」
侍女の話を聞いてるうちに、私は心臓がバクバクしてきた。
彼女の話とジェフの姿が妙に重なる。
……もしかして。
その王太子殿下って、ジェフのこと?
まさか、そんなわけないと思いつつも、なぜかジェフが王太子殿下だと思えてきた。
「王太子殿下だとバレると騒ぎになるから、平民に扮装して準備してるって話ですよ。はい、できました」
髪を結ってもらい終わったあとも、私は鏡の前から動けなかった。
侍女の話が本当なら、ジェフは王太子殿下ということになる。
自然体で気さくで話しやすかった彼がこの国の王子様?
ウソでしょ?
そこで私はハッと気がついた。
美術館に飾られていた貴婦人像。
ジェフのお母様と言っていたあの絵。
あそこに描かれていた女性は国王陛下のお妃様だ。
十年前に病気で亡くなられたと聞いている。
国王陛下は今でもお妃様を心から愛しておられ、独り身を貫き通しているという。
そう思えばあの貴婦人像が厳重に守られていた理由もわかる。
私は引き出しにしまっていた招待券を取り出すと、それをまじまじと見た。
『先行お披露目会招待券』
これはもしかしたらとんでもないものなのかもしれない。
私は体が震えてしまった。
※
そして迎えた先行お披露目会の日。
開館一時間前に美術館に行ってみると、すでに外には大勢の人たちが集まっていた。
年配の方が多いような印象だが、よく見ると錚々たる顔ぶれである。
社交界でしかお会いできないような上流階級の貴族たち。
界隈で名を馳せている偉人たち。
中には平民の格好をしている者もいたが、会話に耳を傾けると王族の血縁者とわかって肝が冷えた。
せっかくだからと社交界用のドレスを着てきてよかった。
いつもの外出用の装いだったら浮いていたかもしれない。
いや、集まってる人々を見るとそれでも浮いてる感は否めない。
私はドキドキしながら美術館前で開館を待った。
「あら、あの赤毛の子、アソード伯の娘でなくて?」
「殿下に呼ばれたのか? あの女性嫌いの殿下が招待するなんて珍しいな」
「特別な方かしら」
ヒソヒソと話す声が聞こえてくる。
こういうのは本当に困る。
どうせなら聞こえない距離で話して欲しい。
せっかく楽しみにしていたのに、なんだか居づらくなってしまった。
やがて、美術館の中からジェフが姿を現わした。
その場にいた大勢が彼を前に礼をする。
私も慌ててまわりに合わせて礼をした。
「皆さん、ようこそお越しくださいました。遠路はるばる来られた方もいらっしゃって大変嬉しく思います。今日は無礼講です。気楽に楽しんでいってください」
拍手が巻き起こると同時に、美術館の扉が大きく開け放たれた。
ゾロゾロと館内に入っていく人々につられて、私も進む。
と、その腕をガシッとつかまれた。
「やあ、メアリー。来てくれたんだね。嬉しいよ」
「ジェフ!」
ジェフは入場しようとする私を引っ張って、列からはみ出させた。
自然と私は彼の胸の中へと飛び込んでしまう格好になってしまう。
「ひあっ! ごめんなさい!」
初めて会った時と同じだ。
慌てて離れるとジェフは「ごめんごめん」と笑いながら謝った。
「にしても、今日は礼装なんだね。よく似合ってるよ」
褒められて嬉しい気持ちが沸き起こるが、それ以上に私はジェフに言いたかった。
「あなた王太子殿下だったの!? ……でございますか?」
思わずいつもの調子でしゃべってしまい、すぐに訂正する。
まずい。
そんなに偉い人だとは全然思わなかった。
少しは訳ありの人だと思っていたけど。
「はは、いつもの調子でしゃべってくれよ。黙ってたのは僕の方なんだし、今更かしこまられても困るよ」
殿下が私にくだけた会話をしてるのがよほど珍しいのか、入場していく人たちがみんな私を凝視していた。
「いや、でも、だって、この国の王子様でしょ?」
「今はジェフという一人の男だよ。絵を描くのが趣味のね」
そこへレスリーさんがやってきた。
「メアリー様、ようこそお越しくださいました」
「レスリーさん、ごきげんよう」
「殿下のこと、隠していて申し訳ございませんでした。メアリー様を疑ってはおりませんでしたが、どこで知れ渡るかわかりませんでしたから、内緒にしていたのですよ」
「ちなみにレスリーはこの国の宰相ね」
「さ……!!」
思わず平伏しそうになる。
ちょっと待って。この国の最高峰の二人が目の前にいるの?
「わたくしも仕事が山積みですのに、国王陛下たっての希望でお手伝いをして差し上げていたのです」
「ほんと、レスリーには感謝してる。すべて完璧だったよ」
「お褒めにあずかり光栄です」
「ということでメアリー」
「は、はい?」
「よければ僕が館内を案内したいんだけど、いいかな?」
そう言って肘を突き出してみせる。
いいのだろうか。
たかが伯爵令嬢が王太子殿下の腕を取って歩くなんて。
「このレスリーからもお願いします。殿下が女性に関心を示されるのは初めてですから」
「レスリー、余計なことは言うんじゃない」
少しムッとするジェフの姿に、いつもの感じが出ていてホッとする。
「じゃあ、お願いしちゃおうかしら」
私は笑いながら彼の腕に手を回した。
「一枚一枚、丁寧に説明するから覚悟しておいてよ」
「ジェフの話だったらずっと聞いていたいわ。きっとどれも素敵なストーリーがあるんでしょうね」
「ヤバ、変なプレッシャーかけられた」
冗談めかして言うジェフに、私は心から幸せを感じたのだった。




