第一話
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」
謎の言葉だ。
お姉ちゃんだからなんだと言うのだろう。
私の両親は、昔から2つ歳の離れた妹のステファニーを溺愛していた。
妹が「あれが欲しい」と言えばすぐに買い与え、「ここに行きたい」と言えば公務を放り出してでも連れて行った。
「あれが食べたい」「これが食べたい」は日常茶飯事。
あげくには、私が大事にしていた人形を「ちょうだい」と言って奪っていった。
さすがにそれには抵抗を示したものの、母からは
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」
と言われ、妹に人形を奪われた。
お姉ちゃんだから何だというのだ。
たいして歳も違わない妹に、なんでここまで譲歩しなければならないのだ。
結局、妹は「いらなくなったから返す」と言って、私が大事にしていた人形を泥まみれにして突っ返してきた。
どうやら綺麗な女の子が泥まみれになって悲惨な目にあっているというシーンを作りたかったらしい。
それだけのために、ステファニーは私が大事にしていた人形を泥まみれにした。
怒りで泣きそうだった。
それが私が10歳の時である。
それからも、ことあるごとに妹は私の部屋を訪れた。
そしていろいろ物色しては「ちょうだい」と言って奪っていった。
たいした物は置いてなかったが、私のものならなんでも欲しかったのだろう。
ヘアバンドやリボン、カチューシャまでも奪っていった。
私が抗議しても、母からは
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」
と言われた。
父に相談しても
「それぐらいあげればいいじゃないか。わがままを言うんじゃない」
と叱られた。
わがままなんて言ってない。
当たり前のことを主張をしているだけだ。
けれども、両親は妹のことばかり気にかけていた。
大きくなるにつれ、私とステファニーの差は広がっていった。
金色でふわふわの髪をしたステファニーはどんどん綺麗になっていき、姉の私が見ても「お人形さんみたい」と思えるほど。
対する私は赤毛のくせっ毛で、アソード伯爵家の令嬢とは思えないほど貧相な顔立ちになっていった。
「メアリー様は何代か前のご当主様の髪色を引き継いだのですね」
ある日、侍女に髪を結われながらそう言われた。
そう、私の髪の毛は先祖返りで、アソード家に赤毛の者は一人もいなかったのだ。
だからだろうか。
両親は一層、妹のほうを溺愛した。
「ステファニーは本当にかわいい子。メアリーと違って」
それが母の口癖だった。
※
そんなある日。
20歳になった私に縁談が舞い込んできた。
ハウエル公爵家のご令息レオナルド・ハウエル様が、私を嫁にもらいたいと言ってきたのだ。
雷に打たれたかのような衝撃だった。
レオナルド・ハウエル様といえば容姿端麗で頭も良く、剣の腕前も王国騎士団長に匹敵するほどだという。
美しすぎる公爵として名を馳せ、多くの女性を虜にしてきたレオナルド様がまさか私に縁談を申し込むなど思ってもみなかった。
「よかったわね、メアリー。公爵様との縁談だなんて、私も嬉しいわ」
「よくやった、メアリー。ハウエル家と縁が結ばれるなんて、父として誇らしいぞ」
今まで私に一切の関心を寄せてこなかった両親も、この時ばかりは両手をあげて喜んでくれた。
申し出を受け入れる返事を出してから一週間後、レオナルド様が屋敷へとお越しになった。
返事のお礼と両親への挨拶をするためだという。
そこで初めて彼を見たが、本当に美しい方だった。
銀色の髪は太陽の光を浴びて輝いており、青い瞳はまるで宝石のよう。
長身で姿勢も良く、穏やかに微笑む姿は直視できないほど眩しい。
本当に?
本当にこの方と夫婦になるの?
私はレオナルド様を前に平常心を保っていられなかったものの、心の中は幸せでいっぱいだった。
夢を見ているのではないか。
そんな気すらした。
レオナルド様は数日間お屋敷に滞在され、笑顔で帰って行かれた。
「今度は婚約パーティーでお会いしましょう」
そう言って。
まさに幸せの絶頂だった私は、次の瞬間、耳を疑った。
「ねえ、お姉様。レオナルド様との婚約、私に譲ってくださらないかしら?」
妹のステファニーがそんなことを言ってきたのだ。
「は? なにを言ってるの?」
言葉の意味がわからず問い返すと、ステファニーは欲しいおもちゃを見つけたかのような表情で私に言った。
「いいでしょ? 私だってあんな男性と結婚したいわ」
「無理に決まってるじゃない。レオナルド様は私に結婚の申し込みをしてきたのよ? それとレオナルド様をあんな男性呼ばわりするのはやめなさい」
「どうして? お姉様はなんだって私にくれたじゃない」
「くれるくれないの問題じゃないわ」
「いや! 私もレオナルド様と結婚したい!」
「だから無理だと言ってるでしょう」
さすがに声を荒らげてしまった。
でも仕方のないことだ。
姉の婚約者を欲しがるなんてどうかしてる。
あまりの非常識さに辟易していると、母がやってきた。
「あらあら、どうしたの。ステファニー」
「お母様、聞いて! お姉様がレオナルド様を私に譲ってくださらないの!」
「レオナルド様を?」
「私もレオナルド様と結婚したいのに! でもお姉様が無理だって……」
お得意の泣き顔で母に抱きつくステファニー。
いつもはこれで籠絡される母だけど、今度ばかりはうまくいくはずない。
そう思っていたはずなのに……。
「うふふ、そうね。レオナルド様もメアリーよりステファニーのほうがいいわよね」
母はとんでもないことを言い出した。
「メアリー、ステファニーもこう言ってるんだし、譲ってあげてちょうだい」
「ちょっと待って! なんで私に来た縁談をステファニーに譲らなきゃいけないの!?」
「なんでって、お姉ちゃんでしょ? 我慢しなきゃ」
「な……」
呆気にとられるとはこのことか。
私は完全に言葉を失った。
今まで散々我慢してきた。
妹にすべて奪われても、文句は言わなかった。
けれども私の婚約者まで奪うのは度が過ぎている。
抵抗しようとしたその時。
父がやってきた。
「どうしたんだ、騒々しい」
「お父様、聞いてください!」
私は父に説明した。
ステファニーが私の婚約者を欲しがってること。
私に譲れと言っていること。
母もそれに賛成していること。
助けを求める気持ちで伝えると、父は言った。
「ステファニーが欲しいというのなら、そうすればいいじゃないか」
「は?」
わけがわからない。
母だけでなく父もステファニーの味方をするなんて。
「メアリーは長女なんだからそれぐらい我慢しなさい」
「でも私に来た縁談よ?」
「実は昨晩、レオナルド様と今後のことについて二人だけで話をしたんだ。そこで知ったんだが、どうやらハウエル家が欲しがってるのはメアリーじゃなく、うちが独占契約を結んでる鉄道会社らしい」
「え?」
「だから別に結婚相手は誰だっていいんだそうだ」
ハウエル家が欲しがってるのは鉄道会社?
結婚相手は誰だっていい?
私は足下がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく気がした。
「ステファニーが結婚したいなら、そうしようじゃないか。ステファニーならきっと可愛がってもらえるぞ。メアリーだったら捨てられる可能性もあるから心配だったんだ」
「嬉しい! お父様!」
「よかったわね、ステファニー」
父も母も妹も、私の中でどんどん遠ざかっていく。
まるで仲睦まじい家族風景を、外から眺めてるような感覚だった。
そうか、私は家族じゃないんだ。
彼らの中では私は部外者なんだ。
そう思った私は、そのまま屋敷を飛び出したのだった。




