変化と生命
生きているということは、
静かに壊れ、漂いながら、少しずつ形を変えることだ。
人は一度として同じではない。
昨日の自分はもういないし、
今日の自分もまた、瞬く間に変わっていく。
皮膚の下で生まれ、死にゆく細胞のように、
心もまた、知らぬ間に入れ替わり、変化し続ける。
その変化を恐れる人もいる。
だが、恐れることそのものが、
人間らしい変態の証なのだ。
私たちは、欲望の中で揺れる。
愛し、嫉妬し、渇望し、
他者を通して自分を知る。
孤独の中で自分と向き合い、
創造の中で自分を形作り、
破壊の中で新しい自分を手に入れる。
すべてが、人間という存在の変態性の証明だ。
変わることも、壊れることも、欲することも、
すべては、命が生きているという確かな証拠。
変態とは、決して恥ではない。
むしろ、それを受け入れ、抱きしめることこそが、
生きることの祝福であり、救いである。
私たちは変わることによって、痛みを知り、喜びを知り、
自分の内側に眠る光を見つける。
そしてその光は、時に静かで、時に激しく、
私たちを次の形へと導く。
だから、完璧でなくてもいい。
不安定で、脆く、揺れてもいい。
そのすべてのゆらぎが、人生の音色となり、
人間という存在の深い美しさを奏でる。
壊れ、漂い、揺れながら歩くその姿こそが、
変態としての生の讃歌なのだ。
人間=変態。
それは、世界にひとつだけのやさしい真理であり、
生きることの奇跡を静かに示す言葉でもある。
今日も、少しずつ変わりながら、
私たちは新しい自分として明日を迎える。
そしてその明日も、きっと、
また少し違う自分になるだろう。
変化は終わらない。
それは恐怖でもあり、希望でもあり、
私たちが生きる限り、決して途切れることのない、
やさしい、静かな波のようなものだ。




