壊れることの美学
壊れることは、こわい。
でも、壊れる瞬間には、
静かで柔らかい美しさが潜んでいる。
心も身体も、関係も、生活も、
ひとつひびが入ると、世界はゆっくり揺れる。
その揺れの中で、私たちは知らぬ間に形を変えている。
小さな破片の一つ一つが、
新しい自分への道しるべになるのだ。
陶器が割れる音を聞いたことがあるだろうか。
鋭くもあり、同時にどこかやさしい。
古い建物が崩れゆく影も、
悲しいだけではなく、光を映している。
そして人間の心もまた、
壊れることで初めて本当の光を取り込むのだ。
完璧であり続けることは、静かに自分を閉じ込めること。
壊れなければ、新しい自分には会えない。
壊れることは、変態の扉をそっと開ける風のようだ。
触れたくない痛みも、避けたい不安も、
そのすべてが柔らかい光の粒になって、
少しずつ私たちを変えていく。
破壊には痛みがつきまとう。
大切にしてきたもの、愛したもの、守りたかったもの――
それらが崩れるとき、胸は押し潰されそうになる。
でもその痛みは、空白を生む。
その空白に、少しずつ光が差し込み、
まだ知らない感情や思考、
そして新しい自分が芽吹くのだ。
人間の変態は、創造だけではなく、
壊れることの中でも起こる。
壊れ、揺れ、混ざり合う中で、
私たちはそっと生まれ変わる。
壊れることを恐れず、波に身を任せるとき、
変化は静かに、でも確かに進んでいく。
不安定で、儚く、脆いことは恥ではない。
それが人間らしい美しさの源だ。
壊れる瞬間の輝き、揺れる感情、
そして漂う余白の中で、
私たちは今日も少しずつ、自分を作り直している。
人間=変態。
壊れ、揺れ、漂いながら、
それでも歩き続けること。
そのゆらぎの中にこそ、
生きることの美しさがあるのだ。




