創造という変態
人間は、何かを作ることで初めて自分を知る。
絵筆の先、ペンの軸、指先で触れる粘土や光――
それらはすべて、内なる変態を形にする手段だ。
創造の瞬間、人は過去の自分を脱ぎ捨てる。
思考の殻が破れ、感情の奔流が溢れ出す。
その衝動は、理性を超え、時に自分をも壊す。
だが、壊すことこそが、新しい自分を生む道なのだ。
芸術は、変態の最も華やかな姿かもしれない。
常識や枠組みを超え、世界を再構築する行為は、
誰もが潜在的に持つ破壊と創造の衝動の表れだ。
だからこそ、創造には痛みと喜びが混ざり、
狂気の匂いを漂わせる。
人は作ることで、世界を少しずつ壊し、
同時に再び組み立てる。
思考の断片、感情の残滓、記憶の断片――
それらを集めて、新しい形を生む。
そのプロセスこそ、人間が変態である証だ。
創造は孤独であることも多い。
誰も理解しなくても、誰も褒めなくても、
自分の内なる叫びに従って手を動かす。
その孤独こそ、変化を可能にする土壌だ。
自分の影と対話しながら、
少しずつ形を変えていく――
それが創造の本質であり、変態の証明でもある。
人は創造を通して、生きていることを知る。
破壊と再構築の果てに残るものは、
完璧ではないが確かに存在する自分自身だ。
そしてその痕跡が、
誰も知らない自分だけの変態の記録となる。
人間=変態。
それは、作りながら壊し、
壊しながら生きるということ。
変化を恐れず、形を変え続けることこそが、
私たちの生きる証なのだ。




