欲望という変態
人はなぜ、こんなにも何かを求め続けるのだろう。
手に入れても、すぐに次を探す。
満たされても、どこかで渇いている。
それはまるで、心の奥底に巣食う生き物が
「もっと、もっと」と囁くようだ。
欲望は、人を狂わせる。
それは理性の敵でありながら、
生きるための唯一の推進力でもある。
恋をすること、夢を追うこと、
誰かに認められたいと思うこと——
そのどれもが、人間の“変態的な部分”の表れだ。
愛は、美しい形をして人を溶かす。
誰かを想うことで、自分の輪郭が崩れていく。
嫉妬も執着も、優しさも、
すべては“変わりたい”という願いの裏返しだ。
愛するとは、相手の中に潜り込み、
自分という形を一度壊して再構成する行為なのかもしれない。
欲望のない人間は、もう生きていない。
それがどんなに歪でも、どんなに愚かでも、
欲することが、呼吸と同じくらい人間を人間たらしめる。
欲望がなければ、痛みも希望も生まれない。
変化は、いつも渇望の中から始まる。
人は何かを求めながら、
同時にその欲望に怯えている。
叶うことを恐れ、叶わぬことに酔う。
そんな矛盾の中でしか、
心は形を保てないのだろう。
欲望とは、変態の装置だ。
それは人の理性を溶かし、
古い殻を壊し、
まだ見ぬ形へと導く。
だから、欲望を恥じる必要はない。
それは、生きたいという叫びのかたちなのだ。
綺麗に見せる必要も、正しくある必要もない。
ただ、欲望の熱に焼かれながら、
人は少しずつ別の自分に生まれ変わっていく。
――人間=変態。
それは、欲望と共に生きるということ。
欲するたび、壊れ、また立ち上がる。
その果てのない変化こそが、
人間のもっとも人間らしい祈りなのだ。




