皮膚の下の変化
人間は、見えないところで変わり続けている。
それは劇的な変身ではなく、
誰にも気づかれないほど微細な変化の連なりだ。
朝、鏡に映る顔は昨日と同じはずなのに、
どこか違う。
疲れでも化粧でもなく、
言葉にできない“揺らぎ”のようなものが潜んでいる。
あれはきっと、皮膚の下で何かが変わっている証だ。
皮膚は、人と世界の境界でありながら、
内側と外側を分ける唯一の嘘でもある。
風が当たれば心が震え、
傷がつけば魂まで痛む。
だから人は、皮膚の奥でしか変われない。
本当の変態は、誰にも見せられないところで起きる。
細胞が生まれ、死に、入れ替わるように、
心の中でも、昨日までの価値観や言葉が
少しずつ抜け落ちていく。
残された空白に、新しい感情が芽を出す。
それを人は「成長」と呼ぶけれど、
その実態はもっと曖昧で、不安定で、
ときに痛みを伴う“変態”なのだ。
生きるとは、絶え間なく古い自分を脱ぐこと。
脱ぎ捨てた殻の上を歩きながら、
新しい皮膚を探す旅のようなものだ。
けれど、人は変化を恐れる。
変わってしまえば、
かつての自分を裏切るような気がするから。
でも、本当に裏切っているのは「停滞」だ。
変わらぬままにいることほど、
静かに自分を殺していく行為はない。
人間は、変化に怯えながらも、
どこかでその痛みを求めている。
失恋も、失敗も、時間の経過も、
すべてが新しい皮膚をつくるための摩擦だ。
痛みのあとで、少しだけ柔らかくなる心。
それを、変態と呼ばずして何と呼ぶのだろう。
皮膚の下では、今日もざわめきが続いている。
細胞の声と、記憶の残響と、
まだ名づけられない感情たちが
静かに混ざり合い、新しい形を探している。
人間とは、そうした変化の総体だ。
誰もが、自分の中の“見えない変態”を抱えながら、
今日もまた、知らぬ顔で世界を歩いている。




