押しかけ師匠
イシグロは片手でひしゃげた文庫本を持ちながら、もう片方でジャケットのポケットから煙草を出してマッチを靴底で擦ろうとしたとき、庭師が視界から消えた。
「参った!」
イシグロは降参した。
「はじめから素直にしていれば私もこんなことはせん。人の庭を踏み荒らした罰だ」
「すみません」
「よかろう。これで顔を拭け。まったく急に撃つ奴があるか」
イシグロは庭師に出された油臭い手拭いで泥塗れの顔を拭い、頭蓋骨が歪んでいるような気がしながら首の骨を鳴らした。
「死ぬかと思ったな」
「一度死んどる」
「何か知ってるのか?」
「むろんだ」
「俺は誰なんだ」
イシグロは小道に置かれた石のベンチを促されて庭師と並んで腰を掛けた。
「おまえは死神だ」
「んなもん本に出てきてないけどな」
「何の話かわからん」
イシグロは泥に塗れた文庫本を開いてラスト近くを読んだ。
☆☆☆ ☆☆☆
何と哀れなロイロット伯爵夫人。
死に魅入られし美しい貴婦人は花に包まれた世界で永遠に眠ることになる。悲劇のヒロインを演じた姿のまま夫であるロイロット伯爵の腕に抱かれた。アマランタは伯爵の悲しみと息子の彼女を呼ぶ声を聞きながら立ち尽くしていた。レメディオスのためとはいえ、この家族たちに不幸を与えていいのかと静かな廊下に飛び出した。
☆☆☆ ☆☆☆
もう少しページを進めた。
☆☆☆ ☆☆☆
アマランタはレメディオスの手を取ると、新しい世界へと旅立つ船に乗った。今や伯爵も暗黒街もない。二人の世界は新大陸に!
☆☆☆ ☆☆☆
「結局アマランタはロイロット伯爵夫人を殺すのか。で、新天地へ……か」
一九八二年、九月二四日、第一刷発行という、もう四十年も前の古い本だ。しかも天使も死神も出てこない。
「おい、じいさん」
「じいさんではない。ロベルトだ」
庭師はナイフで鉛玉を抜いた。
「なかなかやるが詰めが甘い」
「ここに出てくる神様とは何だ?」
「おそらく天使たちが信じている高位の存在だろうな。見たこともないがね」
「死神は?」
「我々だ。死んだ人の魂を還るところに還したいる。ま、修業はいるがな」
死神にもギルドがあるらしい。徒弟制度で師匠の下で修行して独立する。途中様々な術を学んで一人前の死神になれば、はれて構成者として名を連ねることができるのだと話した。
「この世界の死神は見えるのか」
「本来は見えん」
「でもじいさんも見えてるぞ」
庭師はパイプに煙草を詰めたので、イシグロはマッチで火を渡した。
「ロベルトだ。そのうちわかる」
「天使がよかったな」
「俺はアマランタとレメディオスの二人を守れればいいんだ」
「二人のために死神に転生したんだ」
「マリアは転生して伯爵の息子の夫人、今は息子の親の伯爵夫人だ。レメディオスは伯爵夫人の娘。俺は死神だ。笑える」
「まだおまえは死神の何たるかを理解しとらんようだな。これから修業に励め」
こうして話していると、昨夜レメディオスにナイフをかざした奴が茂みから現れたので、イシグロは身構えた。しかし姿を消す術があるとのことで、ロベルトが使った。
「向こうからは見えん。コイツはここで死ぬことになるかもしれない」
「なぜそんなことがわかる」
「何となくだ」




