喪服の婦人
舞踏会がはじまる。若くて自信のある人々は楽団の演奏に合わせて踊るが、イシグロのような独り身はカウンターにもたれて酒をチビチビと飲んでいたし、友人がいる人々はフロアのテーブルで笑みを浮かべながら談笑していた。
イシグロは二階の踊り場に数人が並んだのを見つけた。マーガレットとソフィアとハルトだ。マーガレットは長い煙管を持ち、何か物語の支配者でも演じ、ソフィアはスリットの入ったサテンのドレス、ハルトは海賊の手下のように布を頭に巻いていた。また怪我でもしたのかと笑った。
ロイロット伯爵夫人は、快活で、誰ともなく誘われて姿を披露した。ここまでステップと衣擦れの音が聞こえるかと思えば、海の底から見上げる波のようにたゆたう姿も彼女らしい。
演奏がしばし休憩に入ると、彼女はたくさんの人々に囲まれていた。これまで単なる土地持ちでしかなかったロイロット伯爵は、今や新しい都市開発の未来に左右するくらいの重要な人になっている。
やがて夫人のヘレン・ロイロットは談笑から逃れて、イシグロに近付いてきた。
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とある一室、ロイロット伯爵はブレンディア伯爵の申し出に難しい顔をした。新しい都市開発は誰か一人でもなく、国そのもののためにならなければならない。だからこそロイロット伯爵も土地を貸すことにしたのだと話した。もっともなことだ。読者諸君は毅然としたロイロット伯爵に賛辞を贈ろうではないか。しかし悪名高いブレンディア伯爵は、ロイロット伯爵の昔犯したちょっとしたいたずらのような行為を調べていたのだ。ロイロット伯爵はサウスト伯爵の幼い令嬢に恋文を渡していたのだ。私ならロイロット伯爵に同情したい。
☆☆☆ ☆☆☆
イシグロは小説を笑い捨てた。何が同情したいのかわからない。むしろ同情されるべきは夫人とレベッカではないか。この作品の貞操観念がわからない。もうここまでくれば、こんな三文小説は必要ない。
夫人がバーテンダーにほほ笑み、少しサッパリしたものを飲みたいと頼んだ。間にも数人が夫人に声をかけて、彼女は笑い返した。
「こんなところまで来て本をお読みになるなんて勉強熱心ね」
「捨てようと思いましてね」
「あなたの仮装は死神ね?わたしの喪服に似てるわ。二人でいい具合に見えるわね」
「ええ。飛ぶ鳥を落とす勢いのロイロット伯爵夫人にしては、喪服とはね」
「ご存知なのね」
「噂ですからね。飲まない方がいい」
夫人はイシグロにグラスを傾けた。彼女は湿地しかない、片田舎の土地貴族に生まれたが、戦争中から湧いてきた都市計画のおかげで土地からの収入が増えたのだと話した。婿養子のロイロット伯爵は戦争株で稼いだ。今や一流の貴族の仲間で、戦争中にも関わらず、十三歳にもならない伯爵令嬢に恋をして振られた。しかも彼女は他にも誘惑していた恋文を咎められ、継母に責められて自殺したとうことだ。
「お相手のお名前は?」
「名誉のために。わたしはあんなかわいらしい令嬢が誰彼かまわずに恋文を出していることは信じられないし、信じてないわ」
「レベッカ・イースト嬢」
「ご存知ですの?」
イシグロは軽くほほ笑んだ。
「このチャリティは、普段の夫の愚かな行いの償いにでもなればとね」
夫人は夫に訴えたのだと話した。
「喪服はあなた自身にですか」
「この舞踏会で昔のわたしは死ぬわ。死神がいてくれるなんて。彼はおカネの使い方を知らないで生きていく。これからも人の命の犠牲の上で踊ればいいんだわ」
緩やかな曲が流れはじめた。
イシグロは夫人に誘われたが、踊れないのでと断ると、構わないからと連れられた。香水の甘い匂いと紫煙が巡る。
「きっとあなたはわたしの命を狙いに来たんだわ。腰の鎌でわたしの首を掻くの。それとも懐の銃で?」
「あなたは伯爵と別れる気ですね。この仮装舞踏会はロイロット伯爵への葬儀だ」
「彼はわたしを殺そうとするわ」
「そうですね。ここでは何も口にしないでください。シャンパンもワインも。あなたには生きて、新しくできる街、新しい世界で活躍してもらわないといけません」
「あら。おかしなことを」
「死神に守られるのは嫌ですか」
イシグロは彼女と離れた。
何とも賢い夫人だ。
夫人は話したそうにしている男性のところへ身を寄せた。しばらくイシグロを見ていたが、静かに頷いた。
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一方、アマランタとセラは二人で抱き合うように音楽に身を委ねていた。どこかの美人と美しい麗人との組み合わせは嫌でも注目を浴びた。イシグロは陰に隠れた。
「あんたね、イシグロの好みに化けてるつもりなんだろうけど、そうはいかないわよ」
「何でわたしが奴の好みにならないといけないのよ。て、これ彼の好みなの?」
曲が軽やかに変化した。
「今回のことは、おまえが一人で背負い込めば済んだ話だ」
「前世、わたしはひどいところで育てられた。でも彼が救い出してくれた」
「前世のことなんて忘れろ」
「忘れるもんですか。彼との子どもとともに殺されたの。わたしはグロウとレメディオスが幸せになれるなら死んでもいい」
「いい心がけだ。これからおまえは二人で新大陸へ行くことになる」
「エンドマークがつく?新大陸で追われるなんて嫌よ。レメディオスは穏やかに暮らすためには、わたしがいてはいけない」
セラは腕に力を込めた。アマランタはセラの胸に抱き締められると、頭一つ背の高いセラは腰にまわした腕に力を込めた。
「前世での二人のことは聞いてる」
「口の軽い人だわ」
「ずっと人んちの守護天使として生きてきたわたしとは考えは合わないけど。彼はおまえしか見ていない」
顔を近付けてきた。アマランタはキスされるかと思い、心臓が跳ねた。
「それからここだけの話だ。わたしもレメディオスに恋をした。だからおまえに悪いことはさせない。わたしを気に入ろうが気に入るまいが、今は信じてくれ」
「ええ……」
「面倒臭い奴らが来た」
視線を追うと、マーガレットとソフィア親子とハルトがテーブルにいた。今ソフィアはハルトを誘おうとしているところだ。
「わたしはツラが割れてる。化けていてもわかるはずだ。奴らは何しに来た?」
「バルコニーの下を見なさい。グロウが陰に隠れてるわ。あなたたちに任せる」
「うまくやる。レメディオスのことは新大陸でも天使に伝えておく。こちらもこちらで都合があるだろうから、うまくできんこともあるが」
「ありがとう」
アマランタはセラと離れた。
ブレンディア伯爵が現れた。
「ずいぶん楽しんでいたな」
「彼女にも嫉妬でもするの?」
「交渉はまとまった。ようやくおまえがやるべきときが来た。レメディオスの命が惜しいだろ」
「どこにいるかも知らないくせに」
「新大陸行きの船だ。今頃は港にいる。ここは私の街だ。私に何も知られずに生きることなどできんのだよ。貴様はうまくやった気でいるのかもしれんがな。仲間とやらもな」
アマランタは、イシグロの後ろに影が三人ほどいることに気付いた。すでにこの会場すべてがブレンディアの監視下に置かれているのだ。
「たかだか仮装舞踏会ごとき、当日にでも来てもよかったんだがな。私は完ぺき主義者なんでな。奴が来ているな」
「奴……?」
「屋敷の廊下で消えた男だ」
やれと言われるように離された。
ロイロット伯爵はブレンディア伯爵の申し出を断ろうとしている。しかししょせんは土地成金の彼には、暗黒街で生き抜いてきたブレンディアの敵などにはなれない。
「さ、わたしのために踊れ」




