アマランタな口づけ
イシグロがセラのために新しい街を案内した後、本格的にレベッカとミランは鍛えられていた。セラ曰く、三日にしてはなかなかうまくできているとのことだ。
「防ぐことくらいはできるわ」
「武器は?」
「特注のを作らせた。ま、武器を使いこなせるかどうかは二人の度胸次第ね」
「それなら心配いらない」
二日後、仮装舞踏会が開催される夜、銀行連盟ビルディングの前には、国を代表するくらいの有志が姿を集まっていた。
戦争犠牲者チャリティという側面もあるので、それぞれ政財界の有志たち、普段はぶっきらぼうな経営者ですら、記者たちの前で今回の戦争の意義を話していた。
もちろんそんな人々の中、ひときわ目立つブレンディア伯爵もいた。伯爵は仮面の剣士の姿に仮装し、彼の隣でアマランタはグレイシアの森の妖精の姿をしていた。
イシグロはボロ布をまとい、エントランスへと簡単に滑り込んだ。一階フロアから吹き抜けの二階では、シャンパングラスを持った紳士淑女が歓談していた。誰か知人を見つけては、上から声をかけていた。
記者から解放されないブレンディア伯爵から離れたアマランタが、階段をドレスの裾を少し上げてイシグロに近づいた。
「来てくれたのね」
彼女からホールは一階フロアだが、ゲストは二階からホールへ入る道しかないと教えられた。エントランスには、いくつものソファが並んで、二階にはそれぞれ商談のための部屋があるのだという。ブレンディア伯爵は、アマランタが休める一室を押さえているらしい。個別に夕食会を開く連中もいるとのことだ。ロイロット夫妻も別に部屋があるということだ。
「なるほどね。これだけ集まれば商売するには好都合だな。舞踏会はオマケだ」
「一人?」
「レベッカとミランがレメディオスと新大陸行きの船にいる。朝三時に出港する」
「わたしも行くのね。途中で船が沈められるなんてないわよね」
「小説版ではね。コミカライズ版は知らないから小説版で押しきる。俺は行間にいる潜んでいるんだとよ」
「誰かに言われたの?」
「ん?」
アマランタのアンテナは鋭敏だ。給仕がシャンパングラスを持ってきた。アマランタは一つを持ち、イシグロにも促した。
「振る舞いが伯爵夫人だな」
「レメディオスは小娘らで平気なの?」
「訓練させた」
「誰に?」
「ん?」
フロックコートにモノクル、ベストに懐中時計の金の鎖を垂らした美人が、颯爽と階段を上がるのが見えた。セラだ。
「お待たせしたかしら。ミランとレベッカを船に乗せてきたわ。もちろんレメディオスもね。ついでに新大陸に渡る天使もいたんで、三人のことで挨拶してきたわ。豪華客船よ。このビルディングが動くみたいだわ。はじめまして」
「誰?」
不穏な空気が漂う。
セラはモノクルを外してフロックコートの胸ポケットに入れた。ブレンディア伯爵が現れたのを察したイシグロは、アマランタから離れた。口だけ見える髑髏の仮面をしているが、近くにいることはない。
「待って。こちらは?」
逃げようとしたが、アマランタに呼び止められた。余計なことに彼女自身がセラ・グロウと名乗った。もちろんアマランタはカチンと来ていた。わたしはイシグロに聞いているのよという顔をしていた。
イシグロはそっと離れた。
「お美しい方だ」とブレンディア。
「伯爵は薔薇がお好きだと」
「薔薇の庭はあるがね」
「兄が薔薇を手がけているのです。以前お伺いしたようですのがご挨拶を」
「お会いしたかな」
「庭師の方とお話はしたようです。お嬢様が大変なときなようでして」
「申し訳ないですな」
人混みの中、イシグロは暗殺しそうな勢いで部屋に押し込められた。誰かの食べた跡の残るテーブルのナイフをイシグロの喉に突き付けてきた。
「ちゃんと話してくれるのよね」
「セラのことだろ?守護天使だ」
ウォルターハウスの守護天使カルディが新しい都市計画とともに人々に干渉しようとしている。これ以上、彼が穢れぬうちに阻止したいと話した。伯爵は新都市に暗黒街を組み込もうとしている。
片付けるために給仕が現れた。
クロゼットに隠れた。
『新しくできるホテルに転職するの?』
『中央駅の上のホテルね。魅力的よね。美人しか雇わないとか聞いてるわよ』
『女にはハンサム好きもいるのにね』
イシグロはクロゼットの中でアマランタの額にキスをしてみせた。まだ上目遣いのアマランテは、許してはくれていない様子で顎を上げて、半ば開いた唇を差し出してきたので、イシグロは唇を重ねた。
二人が片付けを終えて退室した。
クロゼットの扉を開いた。
「浮気者」
「セラは守護天使カルディを捕まえるために来てるんだ。カルディとやらはおまえの夫のライアンに都市を捧げる。街の守護天使になる」
「死んでるのに?」
「生きてるのかもしれない」
「死んだのは間違いないみたいよ。前線に志願したみたいだしね」
「なぜ前線に志願した?俺には詳しくはわからないけど、貴族なんだ。カネの力で後ろで働くことくらいできたはずだろうが」
アマランタは何か気付いた。もしかしてカルディが捧げようとしてる相手はレメディオスじゃないのかということだ。
「ライアンは自分の魂と引き換えに、カルディとやらにレメディオスの幸せを頼んだんだわ。そして伯爵もマーガレットも己の運はレメディオスにあると気付いている」
「なるほど……」
「ソフィアはカルディを奪われたくないからレメディオスを殺そうとした。マーガレットも孫が継承者だと気付いてる」
二人はクロゼットから出た。
丁度、セラが扉から滑り込んできた。
「やたら口説かれたわ。てか口紅」
セラはイシグロを指差した。
アマランタは悠々とバッグからコンパクトを出して、イシグロにかざすようにした。スカーレットのような口紅がイシグロの頬まで付いていた。
「この期に及んで肉欲なんて無様ね」
セラは笑った。
「セラさん、あなたは肌を重ね合う心地よさを知らないのね。守られてる気持ちになるのよ。あなたは好きな人とセックスしたことある?これで死んでもいいと思うような夜を二人で過ごしたことは?」
アマランタはセラにコンパクトを持たせて口紅と化粧をなおすと、そろそろブレンディア伯爵のところに戻ると退室した。
セラが拳を震わせていた。
「セックスてそんなにいいの?」
「そっちかよ」




