下級天使、教育にびびる
マーガレットを突き放すと、イシグロは一階の台所に降りた。レベッカとミランはセラに怯えていた。
「強くなりたいっていうから、わざわざ教育係として連れてきたんだぞ」
「わたしなんて召使い姿で地上でコソコソ生きてる天使よ。雲の上にいるような天使に何を教えてもらえばいいのよ」
レベッカが泣きそうな顔で答えた。ミランも同じような顔で頷いた。
「頼めよ。おまえ自身行動しなきゃどうにもならないんだぞ。そもそもおまえは何で殺されたんだ。つらいかも知らんが話してみろ。振り返ることからはじめろ」
丁度、レメディオスが来て、コンロの前で膝を付いて覗き込んだ。イシグロは火種が残っているのかと尋ねると、彼女は何とかできるみたいだと答えた。
「わたしの恋文を見付けられたの」
レベッカは緊張で唾を飲み込んだ。嫌なことを思い出して、人に話すほどつらいことはない。イシグロはテーブルに腰を掛けてレベッカを見ないようにして聞いた。
「恋文なんてはじめてだから、どうしていいのかわからずに燃やした。あるときわたしが隠していた恋文を突きつけられた」
「燃やしたんじゃないのか」
「ええ。でもいくつもの出てきた。教養深い方々を誘惑するなんて、継母にイースト家の恥さらしがと罵倒された」
イシグロは煙草をくわえて、レメディオスがいるので火をつけずに聞いた。甘い葉の匂いが鼻腔をくすぐる。レベッカの苦い気持ちと合わさるとせつなくなる。
「で、相手は」
「ロイロット伯爵……」
「レベッカ・イースト様は前世は人を惑わすほどの美少女で有名でした」
ミランは毅然と答えた。
妙な間。
レメディオスが慌てて「レベッカは今も美人よ」と付け加えた。ミランは「それともっともっと健気でした」とかぶせた。
「ミラン……」
レメディオスは苦笑していた。
「わたしも惚れたもの。お嬢様の前世を見せてあげたいくらいよ。あなたも惚れるわ」
「おまえは茶でも淹れろ」
レベッカは、床に散らばった石炭をひとつまみずつコンロに放り込んだ。イシグロも隣に膝を付いて、同じことをした。
「で、呪い殺されたのか」
「魔性を祓う儀式で炎に包まれた。わたしのせいでミランも」
「つらかったな」
「一緒に燃えたくれたのがミラン」
ミランはレベッカを抱き締めた。守れないことが悔しくて天使に生まれ変わろうと決めたらしい。天使から天使へ……か。
「そろそろ話はついたの?いつまで待たせれば気が済むのよ。時間はないわ。誰を鍛えればいいのよ」
セラが我慢できずに来た。
「ミラン、強くなるんだろ?今度はレベッカも一緒だ。もうおまえたちは一人じゃない。少ない時間だが、鍛えてもらえ」
「でも急に高位の天使に学ぶなんて」
「セラ、おまえから二人に教えてやれ」
「偉そうに言わないで。これでもわたしにも立場があるのよ。天使でも貴族レベルなの」
「とことん面倒臭いな。とにかくレメディオスとアマランタを守れるくらい強くしてやれ。そこそこはできるんだ」
「でもさ、二人ともアマランタに勝てないレベルなのよね?人にやられるくらい。んなもん鍛えるくらいなら新しい天使連れてきた方が早いわよ。人に負けるのよね」
「ほらあ」
レベッカか泣きそうに答えた。
「そういうんじゃないんだ。レメディオスたちには二人が必要なんだ。友だちみたいなもんだよ。おまえにもいるだろ?」
セラは見る見る涙を浮かべた。
「いなきゃいけないの?」
「いなくてもいいけど、ひょっとしていないのか?暇なときに話す奴とか。好きな奴とか。愛してるとか。愛してたとか」
こらえていた涙が落ちた。
「ずっとずっと誰からも見られないで生きてきたのよ。みんなが幸せになることがわたしの幸せだと言い聞かせてきた。人々を見てるから、わたしも友だちとか恋人とかのこと知ってるわ」
「だよな。悪い。俺が悪かった」
「別にあなたが悪くはないと思うけど!」
くっそ面倒臭いぞ。
レメディオスは、背の高い涙の天使を見上げて、彼女の手を包んだ。
「セラ、あなたは一人じゃないわ。誰にもあなたの姿が見えなくても、わたしはあなたがそこにいることがわかる。だから泣かないで」
セラは片膝を付いて頭を垂れた。
このレメディオスという娘は何者だ。
「二人をわたくしが一人前にしてみせます」
と答えた。イシグロはよくわからない彼女たちから離れて、台所から出た。荒れた玄関のエントランスホールに出てから溜息を吐いて煙草に火をつけた。
「話は済んだのか」
階段にいたロベルトが尋ねた。
「済むも何も……」




