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天使流進化論

 新しいクロノスホテルは帝都の街の外れにある。建てられて間もないらしいが、どういうわけか市街地の中心から少し離れていた。

 しかし新大陸からもたらされた新時代のホテルとして、これまでにないサービスやシステムなどで、いつも政財界や貴族たちが訪れるほどだ。

 全体的に華やかでいて、どこかしら威厳と静けさがある。イシグロは、そんなホテルのカフェでブライアンを待っていた。一日待てば、そこそこ情報を集めてくれると約束してくれた。


「お待たせしました」

「待つのも悪くはない。後ろの席からおもしろい話を仕入れたよ。このホテルはクルーナ伯爵が出資しているらしいな」


 実際、そう思った。こうしてコーヒーを飲んでいるだけでも、噂話は聞こえてくるものだ。斜め後ろの二人の客の話を聞くともなしに聞いていると、聞こえてきた。


「いやはや。わざわざ私がお知らせすることでもありませんでしたね。今フロントのところにいるのが」


 ブライアンは、パリッとした制服で髪も整えられた、ほどよく品のある女性の給仕にコーヒーを頼んだ。


「渦中のロイロット伯爵ですよ。彼は川向いにある土地の名士でしてね。しかも軍の有力者です。このたびの戦争でも活躍しました。むろん裏で。銀行連盟にも名を連ねているのです。川向かいは新官公街です」


 ブライアンは新聞紙を置いて、下にメモを渡してきた。煙草に火をつけたイシグロは、メモを軽く読んで燃やすと、灰皿の中で揺れるように燃える紙を眺めた。


「街は再開発を進めていましてね。旧市街地の北は入り組んでいるので、すべて捨てて川の南のひらけた平地を区画整備して官公街を移しているところでして」


 これまで土地しか持っていなかった貴族たちにチャンスが来た。これも橋や高層ビルを作れるほどの鉄鋼技術ができたからだということだ。偉い人々は歪に密集して拡大に拡大を繰り返した街を捨てることを決めた。ブレンディア伯爵は、土地や再開発の利権に目を付けたのではないかと、ブライアンは推測していると聞かせてくれた。


「人のすることは興味がないが、クルーナ伯爵がホテル業に成功したのは才覚でもないのか」

「あるとは思いますが、新市街の開発のおかげで銀行の融資も効いているんです」

「死神や天使が朝早くから顔を突き合わせてするには艶のない話だな」


 イシグロは、思わず苦笑しながらガラス越しに広がる、まだ芝生の育ちきれていない庭を見た。こらから根がつくまで丁寧に面倒を見なければならない。しかし他の街並みを見ていたイシグロには、一部でしかないが、白いレンガを使ってあるホテルとは珍しい。ここにも新技術があるのか。


「明日の早朝の列車で伯爵と夫人は屋敷を発つとのことです。昼前に駅に着きます」


 ブライアンの情報では、一週間遅らせたとのことだ。お陰で街を知ることもできた。給仕がコーヒーが運んできて、ブライアンは砂糖を入れて掻き混ぜた。もし川の南の再開発が順調に進めば、おそらくこれまでにないくらいの都市になるはずだ。

 これから人々の暮らしも農村から都市へと変わるし、経済も含めてすべてのシステムが、今まさに大変革を迎えようとしているという感じだ。田舎の貴族はかつての土地貴族でいられなくなるかもしれない。

 地方に広大な土地を持つ地主も、商人としての才なくして、暮らせなくなるかもしれない。貴族のステイタスとして、天使と契約していた人々は、天使と離れなければならなくなる。金銭で何とかなるかもさそれないし、それこそ金銭で済むなら天使はますますもっとあるところに契約する。


「善き魂は一部の天使に独占され、人に与えられなくなるかもしれない。善き人も聖人も生まれない人々の世界は闇です」

「魂に関することは、天使や死神の特権でもないはずだ。人自身が生きる中で自分たちでポリッシュすることもある。前世の俺はたくさんのそんな話を読んできた」


 イシグロは丁寧に灰皿の底に煙草を押し付けた。神様が何とかしてくれるためには神様を信じる人がいなければならない。しかしこれから神様や天使、死神を信じていた人々の心は、金銭や宝飾品、工業製品、豊かな食品などに移るかもしれない。


「神や天使にできることは、せいぜい与えることですからね。我々の方が人とともにいた歴史は古い。何せ我々は人が死を意識したとき以来からのお付き合いですから」


 ブライアンもロベルトと同じことを言っている。死神は皆、天使と人の関係がどうにかなるのを期待しているのだ。


「俺はアマランタとレメディオスの幸せのために働くと決めた。レメディオスの魂が穢れなきものであろうとキズがあろうと関係ない。前世であの二人にしてやれなかった後悔に対する自分へのリベンジだ」

「娘さんが天使に喰われるとすれば?」

「追い払う。当面の俺の問題は、マーガレット・ウォルターハウスは、どこまで本気でレメディオスを守ろうとするかだ。天使の家系と言われてるそうだが、俺は自分で確かめるまでは信じない」

「ですから噂を蒔いたのですか」

「奴らは天使の存続のために穢れない魂を求めているのかもしれない。レメディオスに安全を保証するなら好きにすればいい」

「できないと判断すれば?」

「レメディオスを守るのが、ウォルターハウスである必要もない。俺が守ろうとしてるものを守れないならいてもいなくても同じだ。守護天使とは話せるのか?」

「ウォルターハウス家のですか?おそらく高位の天使は、いくら守護天使と契約している家系でも姿を見せないかと」

「気にするな。引きずり出してやるよ」

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