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あじゃらもくれん

 イシグロはフィリップと別れた後、街を警戒しながらも悠々と歩いていた。伯爵が裏で支配する街には、もちろん歓迎されていないらしい。一つの二階の窓のカーテンが揺れ、人影が見えた。すぐに道の反対に渡ると、その建物の玄関に飛び込んだ。

 イシグロが階段を一つ飛ばしに駆け上がると、肩にライフルを担いだ犯人が窓からロープを伝って裏の川岸へ逃れていた。迎えに来た蒸気船でライフルを構えた。音もなく弾丸がイシグロの頬をかすめた。追いかけようとしたとき、背後に天井を見上げるほどの二人組が待ち構えていた。


 大道芸でもするのか。


 ここで人目に付かずに片付けようということなのかもしれないが、敵が人なのか死神なのか天使なのかがわからない。


「待て」


 イシグロはとっさに手で制し、内ポケットの小説を出した。さっき読んだページの近くのどこにも記載がない。コミカライズオリジナル展開にぶち込まれている。


「誰に何のために頼まれた。俺は伯爵の部下に話すべきことは話した」

「列車で好きにした。俺たちのジョウをコケにしてくれたな。この街でよそ者が好きにできると思うのか?」

「不思議だな。おまえらジョウの部下なら今こそがチャンスだとは考えないのか」


 敵の二人は顔を見合わせた。

 空いた部屋から数人が現れた。イシグロたちは狭い廊下と階段に挟まれた空間で互いの熱気を警戒しながら対峙した。


 まずは目の前の二人か。


 立ち向かう構えを見せつけて、空き室に飛び込んだ。斧が待ち構えていた。もう少しで頭から砕かれるところをかわした。

 怪力でぶん殴られ、暖炉に飛び込んで灰がもうもうとした。彼は煙突に伝いに必死で屋根の上の光へと駆け上がった。


 こっちが大道芸だな。


 覗いてきた奴に発砲した。

 煙突の雨よけを強引に剥がし、スレート瓦の屋根へと上がると、屋根裏部屋から出てきた敵がそれぞれに撃ってきた。

 イシグロは長屋の屋根を逃げた。

 狭い路地を飛び越える。


 敵だらけだな。


 何とか対面の軒にしがみついて、降り注ぐ銃弾の中、煙突の陰に隠れた。


 これは俺も落ちそうだな。

 ま、死ぬことはないか。


 首をすくめて、次の煙突まで走った。

 足もとに弾が跳ねた。

 交通量のある道の向こう側、屋根に人影を見付けて、イシグロは川沿に面した屋根に隠れた。


 他にも狙撃手かよ。

 ひとまず退散するとしようか。


 軒まで滑り落ちると、何とか屋根裏に繋がる出窓にしがみついた。窓をコツコツと叩くと、青白い顔の青年が窓を開けてくれた。


「入っても?」

「どうぞ」


 イシグロは屋根裏部屋に逃れた。拳銃をホルスターに入れ、シガレットケースから煙草を出した。


「追われてるんだ」

「だから屋根が騒がしいんだ」


 青年は呑気に天井を見上げた。マッチを擦ったイシグロもつられて見上げると、太い梁のところに少年が腰を掛けていた。


「絵描きか」


 青年は照れたように答えた。キャンバスに渓谷が描かれていた。イシグロはどうして薄暗い屋根裏部屋で、見えもしないところの絵を描いているのだと尋ねた。すると青年は写生旅行に行ってきて、渓谷は心にあると答えた。


「なるほどね。でも外で描けば日々刻々と変わる光やら風やらも描けると思うが?」


 壁に立て掛けたA3サイズのキャンバスを指で繰りながら話した。


「これは天使か?」

「見えたんですよ」

「想像していたのと違うな。もっと神々しいもんじゃないのか。かわいらしいな」


 青年が苦笑して、自分は天使に見捨てられたのだと答えた。イシグロは天使を見捨てたんじゃないのかと言うと、青年は咳をしつつ死神に憑かれていると答えた。


「死神と交渉してやる」

「どうも」


 冗談だと思ったらしく、青年は会話に付き合うように曖昧な笑みを浮かべた。信じないだろうなと苦笑しつつ、イシグロは梁の少年に話しかけた。


「おまえは回収人か?」

「そうですね。見えるなんて驚き」

「どうだ。交渉しよう」


 イシグロはブライアンから受け取っていた魂の入った革袋を少年に放り投げた。


「たくさんですね。しかも汚れてる」

「これ以上は出ないが」

「そこまでして守る人ですかね。僕としては構いませんけど」

「ギブアンドテイクだ。画家は俺を窓から入れてくれた。おまえは離れな」


 少年は五つ選んだ。


「条件があります」

「聞いてみよう」

「画家は街から出ていくこと」


 イシグロは青年に、街から出れば死神はついてこないそうだと伝えた。たぶん信じられないが、信じてくれと命じた。

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