天使の罠
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アマランタはバスルームでレベッカの手にヤケドを見付けた。給仕室のベルにロウで細工した際、迂闊にもヤケドしたのを見逃すことはない。今まさに平気な顔をしている召使いが悪魔の肉体で男を誘惑し、レメディオスを殺させようとしていたのだ。アマランタ、君しかいない。君こそが娘を守れるのだ。伯爵夫人である淑女が暴力を振るわなければならないとは!しかしか弱き腕でも戦わなければならぬ!神は麗しいアマランタに何たる試練を与えたのだろうか。諸君も応援してくれたまえ!
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「ご都合主義な。俺が話したからだ」
改めてイシグロは裸同然の濡れたレベッカの指のヤケドを見付けた。ロウソクのロウで鈴を固めたのだな。万が一のときに誰にも知られずに落とせるはずだ。
「あ、手紙……」
レベッカの脱がせた給仕服のポケットを探して封筒を出して、濡れていてインクが歪んで何もかも読めない。スティレットで封を裂いた。二つ折りにした一枚の手紙を丁寧に広げたが何も書かれていない。
「宛名は首都クロノス三番街のマーガレット・ウォルターハウスだな」
ロベルトはパイプに火をつけると、いぶし銀のシガレットケースを寄越した。紙巻き煙草が入っていたので一本、彼のパイプから火を移した。
「シガレットケースはくれてやる」
「売れるのか。なぜこんな水でかすれた封筒の住所が読めるんだ」
「以前にも見た。マーガレット・ウォルターハウスは守護天使を継ぐ家だ。レメディオスの兄ライアンと姉ソフィアの親だ」
「伯爵の元嫁か」
不意にレベッカが身を起こした。
イシグロは驚いた。
「ここは?死んだかと思った」
彼女は濡れた髪を乱して、地面のスティレットに飛びついた。イシグロは伸ばした腕を抱えて肩越しに背負い投げた。すかさず彼女が起き上がろうとしたとき、ロベルトは巨大な園芸用の革靴で胸を踏んて、ライフルの銃口が頭をとらえた。
「暴れるな、小娘。ここは私の庭だ。ロベルトの庭で好きにはさせん。今朝は見逃してやったが、あれは慈悲だ。これから吹き飛ばされた頭のカケラでも探すか?」
レベッカは銃口から銃身、パイプをくわえた髭面の庭師を見つめていた。イシグロはレメディオスを誘拐しようした弁解を聞いてやると、彼女を覗き込んだ。
「ごめんなさい。でもここにいればレメディオスお嬢様は殺される」
「待て待て」
イシグロはページを開いた。
「今から読むから聞くんだぞ。あ、日本語で読んでもわからんのか」
「私が術を施したんだ。通じる」
イシグロは今にも泣き出しそうなレベッカに読み聞かせた。
「レメディオスが誘拐された。月の綺麗な夜に彼女は悪魔に連れ去られたのだ。病に伏しているレメディオスに、神はさらに苦難を与えようとしている。悲嘆に暮れたアマランタは気が触れた。伯爵家の灯火が消えた。前妻の亡き今、アマランタこそ伯爵家になくてはならない人なのだ!」
レベッカはキョトンとしていた。さすがに庭師も考えあぐねているようだ。イシグロも彼らと同じく考えた。レベッカからすれば、なぜ本に自分たちの行動が記されているのか不思議に違いない。
「仮にだ。この小娘の行動がおまえの持ってる本に書いてあるんなら、おまえさえいなければレメディオスは屋敷から逃げていたことになるんじゃないのか」
「ん?」
イシグロは小首を傾げた。丁度レベッカはかわいらしいくしゃみをした。庭師が着せてやれと巨大な靴から解放した。
「下着が濡れてるの気持ち悪い」
「ゴロツキの天使のくせに贅沢言うな。おまえは天使なのか。天使は翼があるんじゃないのか」
「触んないでよ。寒気する」
「じいさん、ここに召使いは来てないか。レベッカ・イーストというイカすスケだ」
眼光鋭い若者が暗い納屋を疑い深い陰気な表情で覗いた。腰には拳銃がある。他の二人は散弾銃を持っていた。
「誰だ、コイツは」
イシグロが濡れた姿のまま椅子の背もたれに肘を置いて、煙草を吸いながらくつろいでいたのだからムリはない。
「彼は薔薇の種を持ってきたんだ」
「海外から来た」
「また薔薇か。じいさん、いい人生だぜ」
若者はぞんざいな態度で納屋へと入ってきた。一人が腰から抜いた剣で積まれた藁をグサグサと刺し、肥料を混ぜた箱を覗いて臭いと唾を吐き捨てた。もし召使いらしき奴がくれば、すぐに知らせるように言い残して、三人ともなだらかな庭を隣の土地に繋がる雑木林へと向かいはじめた。
「大丈夫か」
「俺は気にならん」
「小娘だ。刺されたようだが」
レベッカは麦わらの下から埋めきながら這い出してきた。左肩に裂かれて鮮血が流れていたが、痛み以上に腹立たしさが込み上げてきているように牙を剥いていた。




