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六話 春の嵐

 「鯉ですか? その辺に泳いでるの引っ捕まえたら駄目ですか?」


 「観賞用ではなく、食用を準備してください」


 花琳ファリンの大胆な言葉に、杏雪シンシュエは冷静に返す。花琳は食べたそうに池の鯉を眺めていたが、ちゃんと杏雪の言った通り新鮮な鯉を用意してくれた。水が少なかったのか、桶に鯉がびちゃびちゃと跳ねている。


 杏雪はまな板の上に鯉を載せると手早く血抜きをして、鱗を包丁の背で取り始めた。鯉の鱗を剥ぐたびに、銀の欠片が宙に舞う。まな板を叩く音は、どこか心臓の鼓動のようだった。


 「杏雪様、魚は他にいっぱいいるのに何で鯉なんですか?」


 隣で見ていた花琳が尋ねる。


 「鯉は熱を下げる清熱性の魚です」


 ワン婕妤しょうよの吹き出物は赤く少し熱を持っていた。清熱性の魚である鯉が今から作る薬膳に相応しかった。


 目に良い菊花、清熱解毒の効果がある緑豆、体液調整のため利尿作用のある冬瓜、気の巡りに配慮した陳皮、胃を温めて体を冷やし過ぎないための生姜を加える。


 「調いました。清熱解毒のための薬膳、菊花と鯉のあつものです」


 王婕妤の前に出されたのは温かな湯気が立ち昇る羹だった。


 「食べたら、治るの?」


 王婕妤は首を傾げながら、杏雪に尋ねる。


 「すぐには治りません。体は食べたもので作られます。こうした薬膳を取り入れて、体の内側から吹き出物を治しましょう」


 杏雪の言葉に頷いた王婕妤は匙を取り、まずは羹を掬った。魚介の出汁の旨みが溶け出した羹に、王婕妤は頬が落ちそうなほどの笑みを浮かべた。


 「おいしいわ」


 そう呟いて、次は鯉の身を掬う。口に運んで、またおいしいとため息を吐くと、次は冬瓜だ。溶けるように柔らかく煮込まれて羹が染み込んで、口に広がる。そして気づけば完飲していた。


 「まあ! 完食なさったのですね。婕妤様。いつも偏食で揚げた芋しか召し上がらないのに」


 侍女の一人が驚いたように声を上げる。


 「揚げた芋ばかりじゃないわ!」


 王婕妤は年頃の少女らしくむくれて見せた。


 「揚げた芋ばかり召し上がるのですか?」


 杏雪が尋ねると、王婕妤は恥ずかしそうに頷いた。


 「揚げた芋の油分が、吹き出物の原因かもしれません。食べ過ぎず、適度に抑えてください」


 さすがに痛いほどの吹き出物を経験した後だからか、王婕妤は大人しく杏雪の指示に従った。背中にまで広がった吹き出物に関しても、衣服を清潔に保つことで改善が見られるだろうと言うことを告げた。一応、塗り薬も処方しておく。だが、効く効かないは体質によるのだ。


 「あと、治るまでは化粧はお控えください。常に肌を清潔に保つことをお考えください。この白粉は私めが処分いたします」


 杏雪は白粉の入った貝殻の入れ物を手に取った。王婕妤も「それがいいわ。もうこんなに痛いのはこりごりよ」と言って、杏雪に白粉の処分を任せた。


 王婕妤の殿舎から出ると虞淵ユィユエンが待っていた。


 「終わったのネ、お嬢。あら、高級白粉持ってるじゃナイ! ちゃっかり貰ってきたのネ」


 虞淵がにやりと笑うと、杏雪は白粉を肌につけてみた。指の腹の分だけ、雪が落ちたようにそこだけが異様に白くなる。もともと、杏雪の顔は白いが、それよりも白粉は白かった。


 「ええ〜!? 杏雪様は白粉狙いだったんですか?」


 花琳は驚いたように杏雪を見る。


 「高級白粉、これは鉛白入りの毒です。私は鉛毒を肌から摂取しているのですよ」


 杏雪は微笑みながら答える。花琳は「毒!?」と驚いていたが、虞淵は何かを察したように頷いた。


 「そういえば、杏雪様。体は食べたもので作られるとおっしゃいましたよね。杏雪様が白いのは雪でも食べたのですか?」


 花琳が純粋な瞳で尋ねてくる。彼女に悪気はないのだろう。杏雪は父と花の蜜を吸って毒を摂取したことを思い出した。毒の摂取は辛いことだったが、辛いばかりではなかった。


 「春の雪解け水を飲んだのですよ」


 杏雪は微笑みながらそう答えた。白銀の髪も、青白く顔色が悪いのも、全て毒が原因だ。しかし、杏雪は毒の摂取をやめることができない。それは龍帝の近くにいるので、危険だからでもあるが、もう中毒のような状態になっているのだろう。


 「それにしても、水の気質、春の湿熱って何ですか? 杏雪様。私は言われた通り材料を用意しただけで治療のことはさっぱりわかりませんでした。ただのご飯がお薬なんですか?」


 花琳はわからないことを知りたいらしかった。その姿が幼い杏雪が父の後を雛のように着いてまわって「これは何」「あれは何」と聞いていたことを思い出させた。父は優しく「この植物は薬になるよ」「これは毒だから危険だよ」と教えてくれた。


 「火、空気、水、土の四つが万物を構成して、その気質があります」


 杏雪は父が語ってくれたことを思い出しながら喋った。きっと刀圭の一族に伝わる医学書のようなものからの引用だろう。杏雪は血筋は刀圭の一族だが、その「家」にいたことはないのでわからないが、リウ一族の家訓は「以毒為薬、以智為刃(毒をもって薬となし、知恵をもって刃となす)」らしい。


 「火は胆嚢という臓器に反映され、体液は黄胆汁です」


 杏雪の言葉に花琳は「お勉強ですか〜? 頭こんがらがりそうですぅ」と頭を抱え、虞淵は「真面目に聞きなサイ。アンタもアタシも医女付きなのヨ」と知識を得ることに意欲的だ。


 「空気は肝臓と血液、水は肺臓と粘液、土は脾臓と黒胆汁です」


 「えっと、ワン婕妤様は水の気質が揺れていたのですよね。粘液が狂っちゃったから、あんな症状に?」


 「花琳さんは飲み込みが早いですね」


 杏雪が微笑むと花琳は照れたように笑った。


 「春の気候は湿熱であり、人体の体液が増え傷など血性病が起こりやすくなります。今回の王婕妤は体液が増えすぎ余剰の体液が分泌され吹き出物という形で現れたのです」


 「でも揚げ芋の食べ過ぎが原因でしょう? ちょっと自業自得な部分がありませんか? あんなに赤く腫れて騒いで…春の嵐みたいな人でしたね〜」


 杏雪の言葉を聞きながら、花琳は疲労感を滲ませたため息を吐いた。


 「確かに、食べ過ぎも原因ではありますが。しかし、吹き出物は心理的圧力によってもできます。家や侍女たちから何としても皇恩を授かれという圧力が、王婕妤に揚げ芋を大量に食べて気持ちを発散させるという行動を起こさせたのかもしれません」


 杏雪の予想を聞いた花琳は先程「自業自得」と言ってしまったことを後悔しているような表情を見せた。妃たちの重圧を真にはただの女官たちはわかってやれないのかもしれない。


 「夏の気候は乾熱で、黄胆質的病が多いです。

 秋の気候は乾寒で昼は暑く、夜は寒いという気候のため、昼と夜の寒暖差が大きく、風邪、リウマチ、神経的な病が多いです。

 冬の気候は湿寒で、肺病、傷寒、関節の痛みが多いですね」


 「秋が一番、大変なんじゃないですか!?」


 杏雪の説明に花琳は驚いたように声を上げた。


 「確かに、季節の変わり目は体調崩す人が多いワヨネ」


 虞淵は自分の知識と結びついたのか納得したように頷いた。


 「食材や生薬にも熱・冷・湿・乾の気質があり熱いもの によって寒性の病を治し、寒いものによって熱性の病を治すのが基本です」


 花琳は「ああ!」と杏雪の言葉に納得したように手を叩いた。


 「だから、清熱性の鯉!…でも鯉は濃い味噌を塗って食べたいですよね〜」


 じゅるり…と垂れた涎を花琳は袖で拭った。


 「では今晩の夕食は鯉にしましょうか」


 杏雪がそう提案すると花琳は「やったぁ!」と飛び跳ねたが、虞淵に頭を叩かれていた。「アンタとアタシが料理するノヨ! お嬢に雑用なんてさせられないワ」と虞淵は自分たちの職分を守ろうとしている。


 露葉閣ろようかくへの帰路、頭上には夕焼けが広がっていた。鮮やかな橙から濃い紫や紺への姿を変えていく。日が闇に飲まれていく瞬間だった。


 花琳が言った「ただのご飯」が薬膳という「薬」になったように、毒だった杏雪も薬になれただろうか。少しでも近づけただろうか。


 昊天ハオティエンの顔が思い浮かんだ。


 「あなたのいう通り、薬になれてますか」


 杏雪はそっとつぶやいた。彼とは宮廷に帰還した時、以来会っていない。彼も第一皇子として忙しいのだろう。しかし、離れていても昊天の言葉は杏雪の中に確かにあった。

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