五話 春の嵐
「アタシのことは、小姐とお呼び!」
宮廷勤めの経歴が長い虞淵は今日が宮廷勤め初日だと言う花琳を教育しようと目を光らせた。
「はい! 小姐」
花琳は素直に元気よく返事をする。素直なところは美徳だ。彼女のようによく転んでしまうそそっかしいところがあっても、素直というだけで可愛がられることがある。そういう処世術は知ってはいても、杏雪は昊天に「毒姫ではない」と言われた時になかなか素直な気持ちを述べれなかったことを思い出した。
「虞淵さんは小姐というより、大姐くらいの年齢では?」
杏雪がそう呟くと虞淵は「お嬢、痛いとこつくワネ」と苦い顔をしていた。しかし、花琳は素直に「そうは見えません!すごい!」と称賛を送っている。
「アタシはこれでも齢四十を超えているワ。でも類い稀なるお化粧の技術で若さを保ってきたのヨ!」
虞淵は自慢げに腕を組み、宣言すると「すごい!」と花琳が合いの手を入れた。
「杏雪様はどうして虞淵さんの化粧を見破ったのですか?」
花琳が純粋な瞳で尋ねてくる。
「骨格と手や首などの皺です」
顔は白粉で隠せても、手や首は年齢が出やすい。人を皮膚と骨で判断している杏雪でも、虞淵は若々しいと感じるほど年齢を感じさせなかった。
「とりあえず、お嬢の言った露葉閣大改造をやっちゃいまショ。アタシはこう見えても力持ちだから、力仕事は任せなサイ」
虞淵は腕を回して、杏雪の指示を待つ。花琳は「こう見えて…?」と首を傾げている。確かに虞淵の顔は中性的だが、体はしっかりと男性の名残がある。
「はい。龍帝陛下に頼み各地の薬草を取り寄せて貰っています。薬膳閣には薬棚を置きましょう。天井の梁から薬草を吊るして乾燥させることができるようにしてください」
杏雪の指示に虞淵と花琳は頷いた。虞淵は自分で言った通り力仕事を率先して行ってくれ、花琳には軽いものや次々と運ばれてくる薬草の仕分けを手伝って貰った。
露葉閣は杏雪にとって懐かしい薬の匂いで満たされた。それは父の服に染みついた匂いであり、杏雪を安心させるものだ。
父との記憶を思い出す。苦しい毒の摂取が終わったら、蒸したての黒糖の饅頭を買ってくれたこと。中の餡に胡桃が入っていて香ばしい味と食感の変化、それを包む滑らかなこし餡の上品な甘さを思い出した。
「父様、どうして私は毒を食べないといけないの? 苦しくて、嫌」
幼い杏雪は父にそう尋ねたことがあった。父は申し訳なさそうに杏雪を見つめた。「ごめんよ。でもお前のためなんだ」と呟いて。
そして躑躅の蜜を吸う遊びを教えてくれた。
「これも毒なんだよ。でも甘いだろう」
微笑んだ父の顔を鮮明に覚えている。杏雪は躑躅の毒を気に入って、毎日飲む毒が全部、甘い花の蜜ならいいのにと思ったほどだ。
「杏雪様、この薬草はどう分けたらいいですか?」
花琳の声に、杏雪は現実に引き戻される。
「あぁ、それは生と乾燥させたもので効能が違うので、鮮度を保つものは左、乾燥しているものは右で分けてください」
「わっかりました!」
花琳は元気よく返事をして作業に戻っていく。しばらく経った頃だろうか日は真上に昇り、杏雪たちを照らしていた。露葉閣の門を叩く者が現れた。
「王婕妤様の侍女でございます。こちらの医女様に我が主人を診ていただきたく参りました」
婕妤── 二十七世婦に属する妃の位だ。医女より婕妤の侍女の方が階級は高いので本来、「様」付けするようなことはないはずだが、杏雪が龍帝の寵愛を受ける群主というもう一つの立場があるからだろう。
「わかりました。私は患者を断りません」
杏雪は頷いて王婕妤が暮らす殿舎に花琳と虞淵を連れて向かった。神華帝国の後宮は北側に龍帝の燕寝があり、皇后の宮がある。東には貴妃の宮があり、西には淑妃の宮がある。南東に徳妃の宮が、南西に賢妃の宮があり、宮を点として線を引くと五芒星が浮かび上がる。
今回の王婕妤の殿舎は貴妃の宮の近くに配置されていた。部屋の中には扇で顔を隠した王婕妤が椅子に座って待っていた。
「宦官とはいえ、元男の医官に肌を見せるのが婕妤様は抵抗があり、医女様をお呼びいたしました」
侍女が婕妤の言葉を代わりに伝えた。杏雪は虞淵に目配せすると、彼─彼女と呼んだ方がいいだろうか─は頷いて部屋から退室した。これで杏雪の侍従は花琳だけになり、王婕妤も部屋に侍女たちしか置いていないので部屋には女だけになった。
「婕妤様、顔色も診察のうちですので扇を下げて頂けますか」
杏雪が尋ねると王婕妤は「笑わないでね」と言って扇を下げた。涙を浮かべた少女の顔には真っ赤な吹き出物が人相をわからなくするほどひどく広がっていた。これでは口を動かせば皮膚が引っ張られて痛むだろう。喋るのも一苦労だ。
「この吹き出物が最近は背中にまで広がりまして。婕妤様は痛くて仰向けでは寝られません。以前、医官に塗り薬を貰いましたが、効きませんでした」
王婕妤の隣にいる侍女が説明する。以前は顔だけだったから医官に診せたそうだが、背中にまで広がり衣服をはだけさせなければならなくなって王婕妤は恥じらいが出たそうだ。
確かに、王婕妤はまだ十代前半の若い少女で入内したばかりなので宦官は「男」ではないと割り切るのも難しいだろう。杏雪も宦官を男ではないと割り切るのは難しい。
虞淵は「もともと性別に違和感あったし、出世できるならいいカナ〜って!」と明るく自宮したことを明かすような人だから、除外する。
「水の気質が揺れています。春の湿熱、体液過多による吹き出物でしょう。王婕妤様くらいの年齢ですと、皮脂が過剰に出ることがあります」
杏雪は淡々と語る。原因がわかって王婕妤も安心したように息を吐いた。
「では、以前の塗り薬が効かなかったのは?」
王婕妤の侍女が尋ねた。
「体質により効かない方もございます。しかし、王婕妤様の場合、それだけではございません」
杏雪は「失礼します」と言って手袋越しに王婕妤の肌に触れた。優しく触れたが、王婕妤は痛いというように目を瞑った。杏雪の手袋に白い粉が付着する。
「吹き出物を隠そうと白粉を厚く重ねていますね。これでは、治るものも治りません」
「でも! いつ龍帝陛下の御渡りがあるかわからないし…」
王婕妤は潤んでいた瞳から涙を溢した。きっと家の期待を背負って入内したのだろう。この後宮にいる妃嬪たちの全てが何かしらの思惑を持っている。
「では、治しましょう。まずは洗顔で白粉を落としてください。ぬるま湯が望ましいです。吹き出物が潰れぬように擦るのではなく軽く抑えるように清潔な布で拭いてください」
杏雪の指示に、王婕妤の侍女たちは厨で湯を沸かし適温に冷ましたものを王婕妤の前に用意した。王婕妤は痛むのを恐れて、震える手で洗顔する。清潔な布で軽く押さえるように水気を取ると、白粉でも隠しきれなかった顔の赤みが更に赤く見えた。
「厨をお借りします。花琳さん、私の言う材料を尚食局の御膳房から用意してくれませんか?」
「わかりました! 何をご用意すれば良いのでしょう」
花琳が尋ねると、杏雪は答えた。
「新鮮な鯉です」




