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三十四話 間違いと正しさ

 「じゃあ、金と銀も金属のものそのままなのでしょうか」


 杏雪シンシュエはそう口にしながらも、違う気がしていた。金と銀は結合しない。これが大前提だ。


 「金と銀が結合できないなら、色や働きで考えてみるとか。そのものじゃなくても、金や銀と比喩されることがあるもの、もしくは金と銀に付随するもの。金や銀を生成するために必要なものや、もしくは金と銀から新たに生成できるもの」


 昊天ハオティエンの言葉に、杏雪は一つ思いついたものがあった。


 「……水銀」


 水銀に金を近づけると溶けてひとつの物質になる。それを銅に塗って加熱すると、水銀のみが蒸発して表面に金が残る。金と銀は比喩で、銀が表すものは水銀なのでは無いか。そうすれば涙の粒が塩を表していることにも、信憑性が増す。


 「なるほど、水銀か」


 リウ太医丞が納得したように頷いた。水銀は不老不死の霊薬「丹」の主な材料である。しかし、水銀は毒であり不老不死の霊薬になったことはない。先代の龍帝の時代までは錬丹の研究は盛んだったが、索蒙スォモンの時代に支援がなされず研究は下火になっている。


 「水銀は毒だ。毒が解毒薬になるのか?」


 昊天は水銀に対して懐疑的だ。賢者の石が水銀でできていたら、それは毒の石なのでは無いか。


 「昊天殿下が仰ってくれたではありませんか。毒が薬に転じる、と」


 杏雪がそう微笑みかけると、昊天ははっとしたような表情になった。


 「この賢者の石とやらは、毒と毒の拮抗作用で毒を消滅させる…という方向のものなのかもしれません」


 柳太医丞がそう言うと、杏雪は幼い頃から毒を摂取してきたことを思い出した。


 「私は幼少より毒を摂取して生きてきました。しかし、人間蠱毒の毒が消えたことはありません」


 「拮抗作用が生じるには毒同士の効能が対等でなければならない。蓄積された毒と同量の毒を同時に摂取しなければ」


 柳太医丞の言葉に、「そんなことしたら、お嬢が死んじゃうじゃナイ!」と虞淵ユィユエンが顔を蒼白にさせながら叫んだ。虞淵が心配してくれているのは痛いほどわかった。そして雅蘭ヤーランの悲劇的な死を思い出し、杏雪に雅蘭を重ねていることも。


 「この賢者の石とやらが、本当に不老不死の霊薬なのだとすればこの薬の性質は陽だ。そして人間蠱毒の性質は陰。陰陽が拮抗すれば毒は消えるかもしれない」


 絶対に死ぬ毒と、不老不死の薬が拮抗すればお互いの効能を打ち消し合い普通の身体に戻れるのでは無いかと柳太医丞は推論を話した。


 「銀は水銀。涙の粒は塩。じゃあ、涙の川っていうのは水銀と塩と金を溶かした液体ってことで、それが生命の水ということですかね」


 花琳ファリンがそう言うが、まだ柳太医丞は納得していないようだった。


 「銀が水銀だったんだ。金も何か捻りがあると考えた方がいい。とりあえず試作は必要だろう。成功すれば深紅の石ができる。それを削り取って粉末にするなどして、体内に摂取するのだろう」


 柳太医丞の瞳は、静かにしかし確かに好奇心に揺れていた。髪や衣服からは染みついた薬草の匂いがする。杏雪はその姿に、父を思い出した。父も好奇心には抗えない人だった。


 皇太子の命令により、錬丹の研究が再開された。錬丹術師や医官たちが協力し、研究体制に入った。表向きはやはり皇太子も歴代の龍帝と同じく不老不死を求めているのだと言われた。人間蠱毒の毒を打ち消すために不老不死の霊薬を求めていることは、秘匿された。




***




 杏雪は露葉閣ろようかくで医女の仕事に戻った。しかし考えることは、いつも柳太医丞に任された賢者の石の生成だった。もし、完成すれば不老不死という「生」の象徴は人間蠱毒という「死」の象徴と打ち消し合うのでは無いか。その期待が胸の中で膨らんでいた。


 「杏雪様、淡竹葉の薬…作りすぎじゃありませんか? いえ、これからもっと寒くなりますので在庫はあるに越したことないですけど…」


 すり鉢と棒で粉末状にしていた杏雪を花琳が心配そうに覗き込んだ。懐紙に包まれた粉末状の薬が作業台にずらりと並ぶ。作業に没頭してしまったようだ。

 

 淡竹葉は竹葉石膏湯ちくようせっこうとうに配合される漢方で、淡竹葉の性味は甘にして淡寒。解熱や利尿の効果がある。しかし妊婦に使えば堕胎薬となる。清熱、咳止め、利尿の作用があり、冬で寒くなるので風邪が多くなるだろうと見越して作り置きしていた。


 「あぁ…すっかり、没頭してしまいました」


 杏雪は花琳の声で作業の手を止めた。止めた途端に先程までは感じなかった疲労感が体に広がる。


 「いえ。杏雪様が医の道を邁進してくださることはいいんですけど…。実はさっき、ウェイ賢妃様の遣いが参られまして、小姐が対応しました。杏雪様に診てもらいたいそうです」


 ウェイ 月瑶ユエヤオトゥ族出身の賢妃。今、後宮の話題の中心にいる人物だ。彼女の姪が皇太子妃になれば伯母として彼女の影響力は増す。今まで控えめで、影に隠れがちだった土族が表舞台で光を浴びると期待されている。


 「わかりました。魏賢妃様の元へ往診に行きましょう」


 杏雪は前掛けを外して綿入りの外套と毛皮の帽子を纏った。帽子は狐の毛皮でできていて、尻尾つきである。


 反り返った瓦の上には薄らと雪が積もっていた。石畳の隙間から生える雑草にも霜が降りて、空気は肌に突き刺さるほど冷えていた。


 南西にある魏賢妃の宮は梅林が花盛りである。枝いっぱいの紅艶の花がつややかに蒼天を仰ぎ首筋を撫でる恵風が豊かな梅の香りと軽やかな流鶯の歌声を運んできた。


 杏雪は梅の花を見て、胸がどきりと跳ねた。昊天の母の話を思い出して、彼がこれを見たら人知れず悲しむのでは無いかと心配してしまう。でも、梅の花はその熟していない青い実が人の命を奪ったことなど知らないように、美しく咲き誇っている。


 梅林の傍には湧き水をひいた曲水が作られており所々に飛び石が置かれている。飛び石に沿って緩やかな曲水を遡って行けば枝垂れた柳に寄り添う四阿が見えた。朱塗りの円柱に支えられた八角形の屋根は力強く反り返り、その眩い甍の翼で空へ飛び立たんばかりの趣をたたえていた。


 青い空に向かって伸びる、梅の花。その姿に昊天とメイ昭儀しょうぎを想像した。きっと母は子を思っているはず。そんなことを考えた。杏雪の願望が入り混じっている。


 宮の中は火鉢が多数設置してあり、隅々まで温められていた。窓は開かれており、換気もなされている。正殿に通された杏雪たちを出迎えたのは、長椅子に座り刺繍を嗜んでいた魏賢妃だった。刺繍は色鮮やかな鳳蝶が縫われている。

 

 「あら、来てくれたの。最近、冷えが酷くて。身体の末端が火鉢に当てても、冷えたままなの。何とかしてちょうだい」


 魏賢妃は豊かな黒髪を解いて垂らしており、それを女官たちが団扇で扇ぎ乾かしているようだった。湯上がりなのだろう。肌は水蜜桃のようにしっとりとしていた。


 杏雪は四診を行ったあと、「薬を調えさせていただきます」と言って厨を借りた。


 「杏雪様、貰ってきましたよ」


 鶏小屋に使いに行かせた花琳の手には生まれたてで湯気をほかほか立てた卵があった。その後ろに、羽を撒き散らしながら暴れる鶉を抱えた虞淵がいた。


 「お嬢、早く捌いちゃいまショ。押さえつけるのも限界だワ」


 鶉は鶏より小型で薬膳的に滋養性が高いため、今回はどうしても鶏より鶉が必要だった。補気のための人参、補血のための竜眼肉、健脾、補血の大棗。 湿熱と味を整えるための胡椒、収斂・止咳の烏梅、潤肺・補腎の黒胡麻で味に深みあるコクを出し、粳米と玄米を混ぜたものが粥の基だ。


 健脾補腎の長芋のような山薬と、除湿、利尿の赤小豆。調和のために、少量の生姜を使う。卵でとじて薄い塩味でまとめる。


 山薬を細かく刻んで粳米と玄米を混ぜたものを、赤小豆などの材料とともに炊くと、やさしい粥ができあがった。湿った重さがほどけていくような胃の軽さがあり、泥のように濁った体が晴れていく予感を感じさせる薬膳だった。


 粘液が増えた肺を潤しつつ、冷えた体を温める薬膳。


 「調いました。補気潤肺・鶉薬粥です」


 杏雪が盆に乗せた粥を差し出すと、魏賢妃はかじかんだ血色のない白い指で匙を持った。末端が冷えているから、体が硬く上手く持てないのだろう。震える手で匙で粥を掬い、口に運ぶ。


 完食する頃には、魏賢妃は「身体の芯から温まっているような気がするわ」とこぼすほど、お気に召したみたいだ。


 「今日はあなたに警告しようと思って呼んだの」


 魏賢妃の顔が鋭くなった。先程の柔らかく笑みから一転して、瞳は冷えている。


 「ときに、主上を諌めるのも臣下の役目だと思わない? 間違った方向に進んでいるなら、止めなくては」


 魏賢妃は龍帝からもその知識は一目置かれる存在で、決して政治の表舞台には出てこないが、龍帝が法を改正したり何がする際は必ず彼女に密かに相談すると言われているほど、歩く大書楼と呼ばれるほど知識が深い。


 「何を仰りたいのですか。皇太子殿下が間違っていると…?」


 杏雪が尋ねると、魏賢妃は真剣な面持ちで杏雪を見た。


 「龍帝陛下は、姉の雅蘭ヤーラン公主を求めて身を滅ぼしたわ。血が濃いと奇形を生むから、避けなければならないの」


 杏雪はその言葉に、以前自分が禁忌の子では無いかと不安に思ったことを思い出した。雅蘭が恥辱に遭ったことを、魏賢妃も察していたのだろう。


 「皇太子殿下も、あなたに贈り物をしたことがあったそうね」


 魏賢妃の言葉に杏雪は思わず手を握りしめた。シェン淑妃も、昊天が杏雪に蟠桃の香を贈った事を知っていた。魏賢妃が知っていてもおかしくは無い。


 「浮ついた話を聞かない皇太子殿下が唯一贈り物をしたのがあなたよ。皇太子殿下とあなたは従兄弟同士。血が濃いとは思わないかしら」


 魏賢妃は国を、そして血統を憂いている。


 「あなたが皇太子殿下の間違いを正せる唯一の人間よ」


 「私に、何を求めていらっしゃるのでしょうか」


 杏雪は震える声で尋ねた。


 「皇太子殿下があなたに懸想しているのだとすれば、あなたが弁えてきっぱりお断りして身を引きなさい」


 間違いを繰り返さないためにね、と魏賢妃は付け加えた。


 「私の姪が皇太子殿下の正室になれば、土族が外戚として皇太子殿下をお支えできる。あなたにはできない、地位の盤石を皇太子殿下に与えることができるの」


 わかるわよね? という無言の圧が杏雪を押しつぶしそうだった。

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