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三十二話 枯れゆく花

 龍帝の国葬はしめやかに行われた。この日のために雇われた泣き女たちが独特の節をつけながら、泣き叫び嘆きの歌を歌っている中、一番泣いていたのは皇后の神美シェンメイだった。


 高貴な人が感情を露わにするのはあまり良くないとされているから代わりに泣き女たちが雇われたというのに、それを必要としないくらい神美は棺に縋り付いて泣いた。女官たちに支えられながら、産後間もない体に鞭を打って葬儀に参列した神美は泣き疲れると、そのまま気絶するように寝てしまった。


 杏雪シンシュエも隅の方で群主として葬儀に参列したが、涙は一滴も出なかった。むしろ、子供のように泣きじゃくる神美をどこか冷めた目で見ていた。


 昊天ハオティエンの姿を少しだけ見ることができた。離れた位置で、昊天は皇太子としての務めを黙々と果たしていた。杏雪はその距離が万里ほど果てしなく遠いものに思えた。


 杏雪と昊天はもともと交わらないほど遠く離れた存在だと思い知らされたようだった。言葉を交わしたのも、ぬくもりを知ったのも、痛みを分け合ったのも、蟠桃の香を送ってくれたのだって、実は奇跡に近かったのかもしれない。


 杏雪は遠くから昊天の姿を見ながら、昊天は杏雪が与えた痛みを覚えているだろうかと考えた。杏雪が与えられる唯一のものが、毒による痛みだった。それが、深く刻まれていてくれたら嬉しいと感じた。


 葬儀の終盤に、木製の車輪をつけた椅子、車椅子に乗ったヤン徳妃に会った。楊徳妃も泣いて騒いで気絶して、と周りを振り回した神美を見下すように冷めた目をしていた。


 「だから、言ったでしょう。索蒙スォモンはどうしようもなく壊れたものしか愛せないってね」


 楊徳妃は威厳ある皇后として振る舞っていた神美が龍帝の愛に依存し、壊れていることを見抜いていた。夫亡き後、母として強くあろうとせず、産んだ娘を抱かず、帝位に就かせたいとしていた息子にすら興味を示さなくなった。神美は弱い人だったのかもしれない。


 六歳の皇子は母の変わってしまった姿に泣くのを堪えながら葬儀に参列していた。しかし、泣き叫ぶ母親に近づくことはなく、後見となったヤオ皇貴妃の衣服の袖をずっと掴んでいた。


 姚皇貴妃はそれを静かに見守っていた。少女のような印象だった姚皇貴妃の顔はもう慈母の顔をしていた。彼女の本心はわからない。自分の産んでいない子を疎んでいるかもしれない。


 これは杏雪の希望を含んだ妄想に過ぎないが、愛しのルォと子を成せない関係だから、姚皇貴妃は皇子を自分の息子として、羅との子供として育てていく気ではないか。


 シェン淑妃は葬儀中もいつも通りカラッとしていて、涙も見せなかった。しかし、葬儀が終わった夜に龍帝を偲ぶ二胡の音色が響いたという。


 杏雪は露葉閣ろようかくに戻り白い喪服を脱ぎながら、自分が弱い人と断じた神美の方がちゃんと涙を流せたあたり正しいのかもしれないと思った。


 戦場には死がありふれていた。龍帝が死んだというのに、悲しむどころか安堵していて、地獄に堕ちて欲しいと願う杏雪も、実はどこか壊れているのかもしれないと思った。




***



 吉日、皇太子の選秀女が行われる予定だ。後宮も僅かに色めき立っている。龍帝の御渡りがあり、子がいない妃嬪は太妃、太嬪の位に任じられ別宮へ行くことが決まっていた。


 しかし、御渡りもなくまだ若い妃嬪たちが次代の後宮に下げ渡されることがある。後宮は別宮に行き枯れ行く花と、まだ咲き誇れる希望に満ちた花に分かれていた。


 「選秀女…」


 杏雪は薬草の貯蔵庫で在庫を確認しながら、呟いた。杏雪には関係ないことだ、と思考を振り切ろうとしても昊天の顔が浮かんでくる。彼も皇太子となって忙しい。杏雪に会いに来れないのも、当然だ。


 皇太子になって妻の一人もいないのはおかしい。それに、まだ身に毒を宿す杏雪は自分の気持ちに蓋をするしか無かった。自分が選秀女に参加する? 夢のまた夢だ。


 昊天が会いに来ないということは、昊天は夷狄の呪術では杏雪を解毒できる術を見つけられなかったということだろう。龍帝亡き今、毒は本当に毒でしかない。身を守る必要もなくなったのだ。


 浜萱草が植えてある、緑の葉をつけた鉢植えの前に屈み込んだ。浜萱草は藪萱草や野萱草と同じく多年草で夏に百合に似た橙色の花を咲かせる。葉は厚く弓状に反り返って垂れる。

 冬には葉が枯れてしまう藪萱草や野萱草と違い冬にも葉を残すのが特徴だ。萱草は別名、忘憂草という。古くからこれを帯びれば悩み事や心配事を忘れられると言い伝えられてきた。


 忘れたい。杏雪を悩ませる恋心を。次代の後宮に下げ渡され、恋ができるかもしれないと浮かれて話していたワン婕妤しょうよのことを思い出した。彼女は希望に満ちた咲き誇る花だ。


 杏雪は何だろう。蕾のまま枯れていく花だろうか。根腐れを起こして成長しない植物のような気持ちになった。


 萱草の蕾は金針菜と呼ばれ食用にされる。薬効としては利尿、通経、催乳、解熱などがある。杏雪は葉の様子を観察した。今日も特に異常はない。


 「私は花では、なかったわ」


 愛でられる花ではなく、薬効のある植物の方がいい。毒花は誰からも愛されない。ならば薬に転じる方がいい。なぜ、妻として愛されたいと願うのだろう。医女として仕えていければ、それで幸せではないか。自分には過ぎたことを望むのだろう。


 「私が毒のない、普通の女の子だったら…」


 ありもしないことを想像した。毒がなければすぐに龍帝の慰み者になっていたはずなのに、普通の女の子だったら選秀女に参加できたかもしれないと考えてしまった。


 杏雪は貯蔵室から出て、粉末にした薬草などが服についていたので外に出て、粉を払った。庭園では、花琳ファリンが植物の世話をしていた。


 「あー! 杏雪様、今日は寒いからもう葉っぱに霜がおりちゃってます。これ、大丈夫ですかね?」


 綿入りの外套を羽織った花琳の息は薄ら白い。季節は冬に移り変わろうとしていた。


 「その植物は寒さに強いので大丈夫ですよ。雪の中に埋まっても大丈夫です」


 「へぇ〜、丈夫なんですね」


 杏雪が説明すると、花琳は感心したように呟き葉を指で軽く突いた。霜がぱさりと地に落ちる。花琳の指先は赤くなっていた。


 「お嬢、花琳!紅豆沙ホンドウサー作ったワヨ。 …ってお嬢、そんな薄着で外に出たら風邪ひくじゃない。早く中に入って」


 虞淵ユィユエンが厨の窓から顔を出した。煙突からは白い煙が出ている。紅豆沙は陳皮の柑橘が香る養生糖水の薬膳でもある。


 中に入ると湯気のたった紅豆沙が用意されていた。


 「選秀女、もうすぐらしいですね。後宮中が色めき立って…。仮にも先帝の奥さんだったんだから、慎みってものがないんですかね」


 花琳が世間話をしながら、匙で紅豆沙を掬って口に入れた。


 「御渡りのない妃嬪にとっては、今までずっと独身みたいなものだったから仕方がないんじゃないカシラ」


 どうしても最近の話題は選秀女になる。後宮ではその話題で持ちきりだ。明るい未来に期待しなければ、後宮の暗い影に取り込まれてしまいそうだから。


 薄氷の上に成り立っていた五族共和は崩れた。まず、ジン族の皇后、神美が療養を理由に離宮に移ったため、実質的な後宮の最高権力者はシュイ族の姚皇貴妃になった。その時点で金族と水族の均衡は崩れた。


 姚皇貴妃は養育している皇子を王に冊封することに同意しているため、波乱は起きない。そして現在、皇太子の昊天の母、メイ昭儀は水族出身のため姚皇貴妃は争う必要はないと考えたのだろう。


 沈淑妃と楊徳妃のファ族とムー族の同盟は維持されたままだが、最大派閥は水族になってしまった。


 そして選秀女で皇太子妃になるのでは、と有力視されているのがトゥ族出身のウェイ賢妃の姪だと言われている。土族は今まで派閥というものに迎合せず孤高を貫いていた。


 だからこそ、今の均衡が壊れた五族共和を建て直せる皇后になるかもしれないと期待されている。水族から皇后を選んでしまうと、水族の独裁と非難が出る。金族から選んでも、神美皇后の影響力を引き継ぐだろう。


 火族、木族のどちらかから選ぶと同盟を崩しかねない。そこで白羽の矢が立ったのが後宮で孤高を選んでいた土族だった。


 「杏雪様、大丈夫ですか?」


 花琳が一口も食べていない杏雪を心配そうに見つめた。


 「選秀女のこと、複雑ですよね。だって杏雪様は昊天殿下のこと…」


 花琳が何が言いかけようとした口を虞淵が手で押さえた。虞淵は静かに首を振っている。


 「気を使わせてしまいましたね。私は元から選秀女に参加する資格がないので、仕方がありません」


 選秀女に参加するためには家柄、容姿、教養と重視されるものがあるが、一番は健康な体であるということだ。子を産めるかが重要視される。


 選秀女は一次審査の身体髪膚という身長、体型、顔、髪、肌など外見の美しさと健康を見る審査で五千人ほどの候補者の中から、二千五百人ほどに絞る。


 二次審査の品位礼節、声、歩き方、礼儀などを見る審査では千人ほどにまで絞られる。


 三次審査の絲針裁縫では、女性にとって重要とされた針仕事の腕、裁縫、刺繍の腕前を見せる。ここで三百人ほどになる。


 四次審査 諸芸婦徳では琴、囲碁、香など嗜みと本人の心がけを見る。ここに定員はなく、相応しいと判断されれば後宮に入ることになる。


 皇太子の妃嬪は正室の皇太子妃の他に、良娣、良媛、承徽、昭訓、奉儀の位がある。


 「もし参加できたとしても、厳しい審査で落ちていましたよ」


 杏雪は悲しみを誤魔化すように笑った。しかし、花琳も虞淵も眉を下げて切なそうな表情をした。

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