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二十二話 空の青

 「調いました。香橙と銀耳の涼膳和えにございます」


 杏雪シンシュエは鬱滞・湿熱解毒・気巡り促進する薬膳、香橙、白キクラゲ、キュウリ、枸杞を酢で和えたものを盆に乗せた。さっぱり、ぷるぷるとした歯応えと爽やかな香りできらきらと光る銀耳に、香橙の果汁がまとわりつくように広がる。


 「ありがとう。あなたの薬膳のおかげで、あれから吹き出物がよくなったの」


 今日の患者はワン婕妤しょうよだった。酷い吹き出物に苦しめられていたが、杏雪の薬膳による食事指導で赤みが引き、今は随分ましになっている。吹き出物はまた根絶したわけではないが、赤みがあるというよりは白いものが多くなり、これは治りかけの状態だ。


 「それにね、あなたの美容方法で肌艶が良くなったと褒められたのよ」


 王婕妤はあどけない笑みを浮かべた。吹き出物が治りかけて顔の人相がわかりやすくなってから、彼女の幼さが際立った。


 「私の美容法というよりは、虞淵ユィユエンさんの知識です」


 杏雪は誇らしい気持ちで、今は部屋の外に控えている虞淵を思った。まだ完全に吹き出物が治っていない王婕妤はまだ診察の場に、杏雪の助手とはいえ宦官が同席することを嫌う。


 しかし、美容法に詳しい女のような宦官だということで王婕妤からの好感は悪く無く、もう少し気を許せば虞淵なら同席することを許してくれるかもしれない。


 虞淵の美容法は玫瑰露(バラ水)の美容液、蘆薈アロエの保湿液、真珠の粉や「神仙玉女粉」とも称される益母草を用いた粉を、洗面や入浴の時に石鹸・入浴剤として使い、吹き出物の治療にも用いて、なめらかで綺麗な肌を保つ方法だ。


 白粉で隠す方向ではなく、薬膳と美容で内側から輝くような肌を手に入れる方向に変えると、王婕妤はみるみる良くなった。


 「あと、これはヤオ貴妃様に教えていただいた美容法なのだけど…」


 王婕妤は少し声を潜め、顔を赤らめた。


 「美しさを保つには恋をしたらいいんですって!」


 王婕妤は言ってしまった自分自身が恥ずかしいというように両手で顔を覆った。王婕妤は吹き出物の経過観察という名目の元、よく殿舎に行くうちに杏雪のことを同年代の友達のように扱ってくれるようになった。


 「私もいつか、龍帝陛下に恋ができるかしら」


 王婕妤は夢を見るようにため息を吐いた。杏雪は龍帝という言葉に背筋が凍った。彼に恋をするということがとてもおぞましいように感じた。王婕妤が無邪気に彼に恋ができるか悩む姿を見て、杏雪は複雑な気持ちになった。


 「姚貴妃様は、今も恋をしているらしいです。この前お会いした時は、その…大胆にも宦官を椅子にしていらっしゃって…驚きました」


 杏雪は姚貴妃がルォの膝の上に座っている姿を思い浮かべた。姚貴妃の元にも、定期的に診察に呼ばれるが姚貴妃は医者を怖がる子供のように、診察の時は羅にそばにいて欲しがる。そして羅の膝の上に堂々と座るのだ。


 杏雪の隣で聞いていた花琳ファリンが馬鹿馬鹿しいというようにため息を吐いた。花琳は毎回、姚貴妃の診察に行くと砂糖を吐くような気持ちになると愚痴を言っていた。


 「女官や宦官は菜戸さいこ対食たいしょくと呼ばれる関係になれるのでしょう? 私は龍帝陛下の妻だから、無理だけれど生涯お互いしかいないという関係は素敵だわ」


 王婕妤は夢想するように目を輝かせた。菜戸や対食とは女官、宦官たちが夫婦関係になること指す。同性同士の場合もあれば、女官と宦官と異性同士の場合もある。対食は共に食事を取るという意味であり、転じて後宮内で擬似的な夫婦になることを指す。


 花琳は「龍帝陛下の妻でも、堂々と恋人作ってる人はいますけどね」と姚貴妃のことを暴露したいような顔をしていた。その表情がおかしくて、杏雪は思わずくすりと笑ってしまう。


 「杏雪は、恋をしている?」


 王婕妤が尋ねた。杏雪は暖かくなる胸を押さえた。


 「恋…かどうかはわかりません。でも、大切な方はいます」


 杏雪は昊天ハオティエンの顔を思い浮かべた。花琳には杏雪の思い浮かべた人がわかったのか、見透かすようににやけた表情をこちらに寄越す。


 「書物に書いてあったのだけれど、恋慕う方を思い浮かべると、胸が締め付けられるらしいの。四六時中、その方のことしか考えられないそうよ」


 王婕妤は憧れるような口調だった。


 「胸が締め付けられる…とは、病や心理的圧力の可能性がありますが」


 杏雪は頭の中の医学書を紐解きながら、胸の痛みについて考えた。


 「もう杏雪たらっ! 違うわ。病気じゃなくて恋なの。胸が締め付けられるけど、嬉しい痛みなんですって」


 王婕妤は頬を膨らませながら、つまらないという表情を浮かべた。どうやら杏雪と王婕妤が頭の中で紐解いていた書物は別物だったらしい。杏雪は医学書を紐解いていたが、王婕妤は巷で流行りの恋愛小説だった。


 「杏雪の大切な方はどんな方?」


 王婕妤が興味津々で尋ねた。


 「灰色の世界に飛び込んできた、青のような方です」


 「青…?」


 王婕妤は首を傾げた。杏雪が考えだした中で最大級、精一杯の表現だが、なんだか曖昧になってしまったようだ。


 「晴れた空の青です。雲一つなく、眩しいです」


 灰色の世界に生きていた杏雪にとって眩いほどの青だった。昊天と出会ってから世界が色づき空の青さを感じたのだ。


 「…素敵な方なのね」


 王婕妤はたぶんわからないなりに理解を示して頷いてくれた。


 「その方のこと考えると、胸が苦しくならない?」


 王婕妤の問いかけに杏雪は胸に手を置いて考えた。


 「その方は今、危険な土地にいますので確かに苦しくなります。あの方を思わない日はありません。いつもご無事かどうか祈っています」


 杏雪の苦しげな表情につられたのか、王婕妤も眉を下げた。


 「武官様なの…? 夷狄討伐が始まったから…」


 「…そのようなものです」


 杏雪は頷いた。武官ではなく、軍を率いる将であり第一皇子なのだが、そこまでは言わなかった。




***




 「もう〜、ひやひやしましたよ。こっちが。青は五行で東、東といえば東宮。連想で、昊天殿下のこと言ってるってばればれですよ」


 王婕妤の殿舎から出ると花琳が我慢していたのを爆発させるように話し始めた。


 「診察が長いと思ったケド、お嬢ったら惚気てたノ?」


 虞淵がにやにやしながら杏雪を見つめる。杏雪は「患者の話を聞くのも治療の一環で…」と言ったが言い訳じみているし、花琳も虞淵もその言葉は一欠片も信じてくれなかった。


 「昊天殿下が夷狄討伐で功績を上げたら、立太子は確実になるでしょうネ」


 虞淵がぽつりと呟いた。立太子は皇后が邪魔していたので今まで実現しなかったが、龍帝は昊天のことを好んでもいなければ厭ってもいない。夷狄討伐で功績を上げれば後継者にしてもいいと思っているだろうし、この戦いで戦死すればそれまでの男だったと諦めるだろう。


 索蒙スォモンは自分の後を継ぐのが誰であろうとどうでもいいのかもしれない。彼の一番を占めるのは雅蘭ヤーランで、国の存亡はあまり気にしないのだろう。だから息子が皇后に殺されかかっていても、守らない。昊天の味方にもならなければ敵にもならない。


 彼にとって自分の座を継ぐのが、昊天でも皇后の息子でも大した違いはない。


 杏雪は昊天の無事を祈る。空の青さを思わない日はない。

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