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十五話 試練

 夏の日差しが眩しく、植物の緑も深く濃くなったある日。露葉閣ろようかくに、淑妃しゅくひの宮より使者があった。


 「医女殿に診てもらいたいと我が主人あるじが申しております。宮に来ていただきたい」


 使者は淑妃直筆の文を預かっていた。文の内容は簡潔に「ぜひ会いたい」と。当代の淑妃、沈 瑛夏(シェン インシア)は太陽のような女性だ。


 宴が開かれれば得意の舞踊で場を盛り上げ、かなりの酒豪らしく酒の飲み比べで群臣たちを退け圧勝したという伝説を持つ。酒の飲み比べに負けたドン将軍が悔しそうに語っていたから、間違いはないだろう。


 杏雪シンシュエは往診の準備を済ませると、花琳ファリン虞淵ユィユエンを連れて淑妃の宮がある西側の区画へと向かった。


 後宮の区画は水路が張り巡らされており、人工の川が自然の音を響かせ景観を美しくしている。水路は洗濯用の池に繋がっていたりと景観だけではなく実用も兼ねている。


 今の時期は水のせせらぎを聞くだけで涼しくなった気がする。掛けられた朱色の橋を渡り、淑妃の宮へ向かう。絢爛豪華な貴妃きひの東側の区画に比べて、西側は質素倹約という言葉を表しているかのように控えめだった。


 貴妃の宮がある東側の区画には、杏雪の患者であったワン婕妤しょうよリュイ充媛じゅうえんの殿舎がある。彼女たちの住まいは貴妃ほど華美ではないけれど、調度品は飾ってあったし綺麗に保たれていた。


 それに比べて淑妃の宮は贅沢を慎んでいるように見えた。高位の淑妃が質素を好むなら、下位の妃嬪たちが自分だけ贅沢するわけにも行かないのだろう。


 「東側より、随分と雰囲気が違いますね。まあ、目がちかちかしないんでいいんですけど」


 花琳が周りを見渡しながら呟いた。装飾は最低限で、光に反射して光る金属や宝石の類はあまり使われていない。


 「その代わり、植物の手入れに力を入れているんじゃないカシラ」


 虞淵も同じく辺りを見渡していたが、着眼点が花琳とは違った。どこの区画でも庭師たちは丁寧に手入れをするが、西側の区画は確かに花々が瑞々しく咲き誇っていた。派手な花と控えめな花の調和が美しく、足し算ではなく引き算の美学を感じさせた。空間が緻密に計算されている。


 淑妃の宮は荘厳であり堅牢な趣をしていた。門兵は杏雪の姿を見ると、医女であることに気付いたのかすぐさま門を開けてくれた。


 杏雪の白銀の髪は目立つ。歳を重ねて白くなっていく髪とは色が微妙に違う。星屑を砕いたかのような輝きを持っていた。


 正殿に通される。調度品は火で炙ってくすませたかのような渋い色合いの木材が使われており、落ち着きがあった。


 長椅子にシェン淑妃しゅくひは堂々と腰かけていた。胡服を身に纏い、髪は一つの三つ編みに結われていて、分厚い皮の手袋をした腕には立派な雌の鷹が留まっていた。


 沈淑妃の出身であるファ族は山岳地帯の遊牧民であり、杏雪も動きやすさから火族のものに似た胡服を身に纏っている。馬に乗ることを想定されて作られた胡服は、火族の象徴である。


 沈淑妃の腕に留まっている鷹は鷹狩りに使うものだろう。沈淑妃は纒足をしていない大足女と陰口を叩かれることも多いが、龍帝の寵愛は確かだ。彼女は龍帝とともに馬で遠乗りに行けるし、狩りにだって付いて行くことができる。


 索蒙スォモンも彼女を気のおける友人のように扱い、閨では酒を飲みながら沈淑妃に二胡を弾かせる。御渡りがあった日は淑妃の宮からは二胡の音色が聞こえるらしい。


 ヤオ貴妃きひが、貴妃という側室の最高位に君臨しながらもあれほど余裕がなかったのは、沈淑妃という妃としては異色の彼女が次位にいたからだろう。


 姚貴妃から見れば、遠乗りだったり鷹狩りだったり、まるで同性の友人のように龍帝に接する彼女は「性愛」という枠を超え、後宮という仕組みの外側にいるように思えたのだろう。


 「よく来てくれた。噂の医女」


 沈淑妃が口を開いた。切れ長の瞳は杏雪を捉え、薄い唇は口角を上げた。杏雪は「医女の杏雪と申します」と頭を下げた。


 「お前に診てもらうと、美味い飯が食べれるそうだな」


 「美味い飯ではなく、薬膳です」


 杏雪が訂正すると、沈淑妃はにやりと笑った。


 「あたしは拉麺ラーメンと火鍋が好きなんだけど」


 「症状によって薬膳を調えますので、好みには添えないかもしれません」


 杏雪の淡々とした返しに、「お前と話していると石像と話しているかのようだ」と沈淑妃はため息を吐いた。


 「早速ですが、診察をしたいのですがよろしいですか」


 杏雪が尋ねると、沈淑妃は「そう言えばそうだったな」と笑った。身体を診てもらいたいというのは建前で、噂の医女を見てみたかっただけなのかもしれない。


 「最近、体が浮腫みやすくて疲れやすいんだ。こんな大雑把な症状でも、噂の医女は解決してくれるんだろう?」


 沈淑妃の目が杏雪を試すように光った。杏雪はしっかり手袋をしていることを確認してから、脈を見たり浮腫んでいる足を触診したあと、舌診や月経や便についてを尋ねた。


 顔は胡粉に朱色を一滴垂らしたような血色感はありつつも、美の基準とされる色白だった。舌には白い苔を確認する。白ということは寒性だ。


 沈淑妃は恥じらう様子もなく、答えてくれる。気性がさっぱりとしていて、夏のカラッとした空気みたいな人だった。


 「土乗水の状態ですね」


 一通りの診察を終えて、杏雪は沈淑妃に告げた。そばで手伝ってくれていた花琳は「わからない」という顔をしていた。


 「後進のためにも、説明してよろしいでしょうか」


 杏雪が沈淑妃に尋ねると、「いいよ。あたしも自分の身体のことを知りたいしね」と了承してくれた。


 「土乗水は五行の「相剋」の関係性の一つで、「土」が「水」を剋する関係を指します。水を吸いすぎた土が体内を塞いでいる。必要なのは木の巡り、土を打ち砕き水を動かす風です」


 杏雪の説明を花琳は一生懸命に聞いて頷いた。


 「えっと…水分の摂りすぎで浮腫んでいるのでしょうか」


 花琳の答えに杏雪は「それもあるでしょう」と頷いた。


 「沈淑妃様は、拉麺が好物だと仰いました。普段から食べられていますか?」


 「よく食べるよ。そりゃ、好物だからね」


 杏雪の問いに沈淑妃はカラッと笑った。夏の日差しみたいに眩しい笑顔だった。


 「塩分の摂りすぎは浮腫みに繋がります。身体の中でただの水というより、塩水を土が吸い込みすぎて、浮腫んでいるのです」


 厨を借りて、杏雪は調薬に取り掛かる。虞淵は気を利かせて、杏雪の言った材料をすぐさま露葉閣から持って来てくれた。


 「香辛料が多いケド、胃を痛めないカシラ?」


 もちろんお嬢を信じてないわけじゃないケド…と虞淵は台に広げられた材料の一覧を見て、呟いた。香辛料は料理の香り付けや辛味に使われることが多いが、立派な薬になる。


 肉桂シナモン小荳蔲ショウズクを乳で煮ると胃薬に、馬芹クミン丁子チョウジで風邪薬になる。生姜は咳止め、肉荳蔲ニクズクは下痢止め、洎夫藍サフランは血の巡りの薬だ。


 粳米を小鍋に入れて、粥を作る。杏雪は指先で花椒を潰し、香橙の皮とともに薬壺に落とした。酸味の林檎酢、気を巡らす花椒、柑橘の香橙に、熱性と殺菌性を持つ大蒜、血液を浄化するための黒木耳を使う。


 林檎酢の酸味が、粥に垂らされた辣油ラーユの熱を受けて柔らかに香る。


 「調いました。林檎酢と花椒の酸辣清湯粥です」


 体内の気を調和させ、体液の循環を促進させる薬膳だ。杏雪の銀の薬匙が指し示す処方箋である。

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