一章~二章途中まで
プロローグ
まただ、と思う。またこの夢を見ていると。
何度繰り返したか分からないこの夢を見ているのだと。
幸せな日々だ。温かい気持ち。私は大好きな二人に囲まれている。笑顔。私の視線は低く、いつも大好きな二人を見上げている。大好き。私が笑うと、二人も笑う。温かい。胸の奥から幸せが灯って世界を照らしている。バースディケーキ。お散歩。肩車。優しく泣いている私の背中を撫でてくれる。一人は堂々ととても頼もしい。一人は柔らかな肌でふんわりしてる。そんな二人に包まれて――。
暗い。冷たい。黒い。雨が降っている。髭を生やした老人が蕩々と何かを語る。周りには俯く大きな人たちがたくさんいる。みんな、泣いている。私には分からない。目の前には深く、大きく彫られた地面に、細長い石の塊。文字は読めない。分からない。だから、隣に立つ、私の大好きな人を見上げる。もう一人がいないから。ねえ、と。どこへ行っちゃったの、と。しかし大好きな人は応えない。ただ、俯き、――私は怯える。見たこともない恐ろしい、その表情に。つり上がった目に、噛みしめられた歯に。怒りに震えるその顔に。私は怯える。そして何か、終わってしまったのだと、不意に悟る。終わってしまったのだと。すべては失われ、幸せは過去へとすぎさったのだと。そしてすべては自分のせいだと――。
違う。夢から浮遊する。私は知っている。
すべてが自分のせいだと知ったのはその後だ。
だから今、私は、独りで戦い続けている。
今日も独り、明日も独り、ずっと独りで。
もう、幸せな日々は終わったのだから。
*****
第一章 ウルトラな彼女
エイプリルフールもとうに過ぎ、春と言えば春の今日この頃。
赤道から遠からず近からずの座標に位置するアイディール島は、冬と夏の寒暖差はそれほど大きくなく、一年を通して温暖な日がつづく。それでも不思議なもので、春の日差しは穏やかに感じるし、街中を歩いていく人たちも朗らかな気がする。
そんな中、僕、ライアン・カクはと言えば、
「ち、――遅刻するうううううううううううううううう!!!!」
お気に入りのクロスバイクを全速力でぶん回し、学校までつづいている州道の道路脇を激走していた。
「く、くっそおおおおおおおお! ランクリセット間際の佳境で最高ランクに挑戦していたらいつの間にか朝になっていたなんてええええええ! コミックだって読みたいものが溜まっているのにいいいいいいい……おかげで大寝坊だああああああああ!!」
そう、僕はゲーマーだ。FPSゲーを始め、さまざまなゲームをこよなく愛する高校二年生の十六歳。コミック・アニメも好きだが、まあ、ゲームしている時間の方が長い。見た目も、髪はざんばら、メガネをかけてて、体格は悪くないけど、とにかくまあ服装はダサい。自分で言うのも何だけど、地味な見た目とダサい格好が相まって典型的なゲーマー、って感じだ。
「あああああああ!!! 何故にいきなり向かい風えええええええ!!! やめて潮風ちょっとお肌がピリピリするううううううう!!!!」
そんな僕が住んでいるのは、アメリカ合衆国の西部にある、アイディール島、もとい、アイディール州。その州都であるアクアリールシティっていうところ。
アイディール州は群島で、カリフォルニア州のサンタモニカから南西に数百キロくらい離れた海域に浮かんでいる。アクアリールシティはその群島の中で一番大きい島の北東部にある巨大都市だ。基本的に国内のリゾート地として有名だけど、近年は海外からの旅行客も増えてきている。産業は一次から三次まで幅広くて、郊外では農業や工業が、中心街にはビルが建ち並び、多くの人であふれかえっている。
ある地区には住宅街や学校、公園があり、寂れた地区には酒場やスプリットショー、スラムにギャングのアジトだってある。
本土からは外れているけど、ここにも普通の〝アメリカ〟が広がっているわけだ。
「まああああああにいいいいあああああええええええ!!!!」
でもそんなことは今の僕には何も関係がない。
遅刻するか、しないか。その死線をくぐり抜けることだけが大事だ。
何せ、〝趣味〟が原因で遅刻とか欠席とかすると、単身赴任中の父親から叱責をたまわるだけでなく、下手をするとアルバイトを禁止されたりしてしまうのだ。
そうなると、どうなるかって?
決まってる! ゲームのスキンを買えなくなるし、ゲーム自体も買えないし、さらにはアニメやコミックを買うお金もなくなる!!
最悪だ! ありえない! 赦されない!
「うおおおおおおおあああああああああああ!!!!!」
車と柵の合間を縫うように、太ももをパンパンに膨らませながら、時折路肩に駐めてある自転車や自動車を避けて僕は走り続ける。片側三車線の幹線道路は朝の通勤時間ということもあって大混雑だ。七時から八時くらいはいつだって混んでいる。丁度今がその時さ。
まぶしい太陽。広い車道。潮風に揺れる街路樹。――そんな中を、僕は、大好きなゲーム(以下略)のため、汗をダラダラにしてペダルを回しつづけた。
***
「……ハア……ハァア……良かった、間に合いそう……!」
州道を爆走しつづけ、途中、交差点を曲がって市道に入ると、やがて三階建ての建物が見えてきた。
アクアリール市立アクアリールハイスクール。
僕の通っている公立高校。
西部には貧民街もあって、そこにある高校は治安が悪かったりするけど、アクアリールハイスクールのある北部は比較的穏やかな校風だと思う。学校のレベルは中の上くらい。公立校の中では大分マシだ。荒れてもいないし、問題も起きない。
芝生を敷き詰めた校庭に、ガラス張りのファサード。赤煉瓦の校舎は今日も変わらずに居を構えて、登校する生徒たちを暖かく迎えている。
「よいしょ!」
僕は自転車を置き場に駐め、屋根の柱とチェーンでつなぐ。防犯しないとあっという間にもっていかれるから、その辺は自己責任。鍵もかけて急いで走り出す。
ところで、この国には日本のような〝学級〟というものはない。
どちらかといえば、日本で言う大学と同じような感じだ。
自分で必須科目の授業を選択して、時間割を作成し、あとは授業に出席してレポートやら課題やらを提出して単位をもらう。
僕が今日の一限で選択したのは英語。なので向かうのはその授業が行われる教室だ。
「――よし、セーフセーフ!」
教室の扉を開けて入室する。そこかしこでグループをつくって男女が話し込んでいた。まあカースト的には高くも低くもない、サイドキックスかプリーザーかプレップスたち。日本でいうところのスポーツ部やちょっと人気めの文化部に所属しているくらいの感じの生徒だ。
「よおライアン。おっせえなあ。もしかしてアニメでも観てたのかあ?」
とはいえ、意地の悪い奴はちょっかいをしかけてくる。
「ちゃんと朝飯は食ってきたかあ? ミソ……スープ? テンプーラ??」
そう言って下品な笑い声を上げる。
「……だからー。僕は日本人じゃないって言ってるだろー」
僕の名前はライアン・カク。
日系五世だ。
外見がまんま日本人だからしょっちゅうからかわれる。(外見の違いは最もからかいの種になる)
加えてゲーマーなもんだから手の着けようがない。
いじる側にしてみれば格好の的なのだ。
「ちょっとジム! そんなやつどうでもいいから私の話を聞いてよ!」
そして勝手にいじっておいて〝そんなやつ〟呼ばわりだ。
まあいじめのターゲットになっていないだけマシということだろう。
「なんだいエミリー? そんなにせっついて」
僕をよそに彼らは会話をつづけている。
「私ね、昨日、ヘンなものを見たのよ!」
「ヘンなもの?」
「そう、なんかね……こう……身体からヘンなのがボウボウって出てるヘンなの!」
「おいおい何だよそれ!」
ジムがエミリーの話を聞いて大仰にリアクションを取る。
「本当なのよ! ……たぶん」
「何だよ、たぶんって?」
「だって……なんか……うまく言えないのよ。よく覚えていないというか」
エミリーは顔をしかめている。
「そういえば俺も、別の噂話を聞いたことがあるな」別の男子生徒が言う「市内にはびこる怪しげな事件を解決する、影のスーパーヒーローがいるって」
「おいおい、マジかよ? 影のスーパーヒーロー? いつからアクアリールシティはゴッサムシティになったんだよ!」
ほう。ジム。ここで『バットマン』の舞台であるゴッサムシティを例に出すとは。いけ好かないヤツだが今の引き合いは素晴らしい。ちょっとだけ見直したよ。
ともあれ、いつまでも彼らの会話を聞いていてもしょうがない。僕はいつも自分が座っている席へと向かう。
「……ふう」
着座して、ため息。大したことはない。大抵がこんな毎日の連続だ。
「………………」
絶望しているとか退屈しているとか、そんなセンチメンタルなことはない。
人生、それぞれ好きに生きればいいと思う。
つるんで楽しむのも良いし、一人でフィクションに没頭するのも良い。
よは、〝節度〟と〝法〟を守ればなんだってOKなのだ。
学校なんてただ仕事に就くために通うものと割り切れば、別に辛くもない。
アメリカでは高校までが義務教育。やることはやらなくちゃね。
まあ最低限、ターゲットにされないような〝努力〟は必要――例えば僕なら勉強と運動はしてる――かもしれないけどね。
「……でも」
実は一人、そういう努力とか、現実とか、一切無関係に生きている人を知っている。
いや、知っている、というのは間違いか。
こちらが一方的に認知している、と言った方が正しい。
その人は――
「……いた」
教室の隅。彼女はいつも、その席に座って、不機嫌そう窓の外を見上げている。
シルクのように美しい黒髪ロングに、ハリウッド女優も真っ青のエキゾチックな美貌。人気のセクシー女優だって裸足で逃げ出すスーパーボディに、今にもギターを片手にシャウトし出しそうな革一色のファッション。(あと、胸が超デカい。筋肉質だし背も高い)
マウラ・H・コールマン。
我がアクアリールハイスクールでも指折りの美女。
そして、変人だ。
何せ、カーストのトップに立てる美貌と頭脳を持ち合わせながら――成績は常にトップ5に入る――ジョックスやクイーンビーといったトップ層とまるでつるまず、それどころかカーストそのものから距離を置いて超然としているのだ。
完全に、異色。
もちろん、始めはカーストトップの連中でマウラに声をかける人たちはいた。だが、どういう断り方をしたのか、いつしかぱったりとその接触もなくなり、いつしかマウラは独りで過ごすようになっていた。
ターゲットになっていじめられるわけでも、女子カーストのトップになるわけでもない。
ただただ、異色
そういう人をフローターと呼ぶが、マウラはまさに、その代表と言っていいだろう。
「……今日も独り」
そんなマウラを、僕は一年前から知っている。不思議な人だ、と思い、それから同じ授業の時にはそれとなく観察したりしている。……ヘンとか言わないでくれ。魅力的な女性がいたら男なら誰だってそうだろう?
「………………」
マウラは今日も、不愉快そうに、現実に唾でも吐きかけるように、窓の外を見上げている。
そしてそんなマウラに声をかけられない僕も、いつもと同じ。
「よーしお前ら、授業を始めるぞー!」
英語の先生が教室へと入ってきた。僕はマウラから視線を外し、教科書を開く。
――いつもと変わらない一日。
寝坊気味に家を出て、教室に入ったらいじられ、マウラがいる授業ではこっそりとマウラを観察して暇を潰す……。
いたっていつも通りの日常。
いつまでも続くと思っていた毎日。
そんな僕の世界がひっくり返ったのは、数日後の帰り道のことだった。
***
その日、走り慣れた道を走り、いつも通りに学校から帰宅していた僕は、ちょっとしたアクシデントに見舞われた。
「へ? 交通事故?」
いつも通っていた道が、交通事故で塞がれてしまったのだ。自家用車同士の衝突らしく、幸いにも死者は出なかったが、見晴らしのいい直線道路での事故ということで、警察も「一体どういうことだ?」と首をかしげていた。
ということで、仕方なく僕は迂回をすることになった。
ただ、この日は――
「今日はゲームのアプデがあるんだ! マッハで帰る!」
遊んでいるFPSのアプデが入るのだ。新キャラに新マップ、ランクもリセットされて、しかもマッチングシステムも改善される――ずっと楽しみにしていた。
そのため、危険ではないけど、普段はあまり通らない路地裏へ。赤煉瓦のアパートメントに囲まれた、人気のすくない裏道を、僕は自転車で飛ばしに飛ばした。
「うおおおおおおおおおおおおお!!!」
飛ばして、飛ばして、飛ばして――。
そして、
「………………………ヘンだ」
ぜえぜえ、と僕は息を荒くしながら汗をぬぐう。
「いい加減道を抜けてもいいはず。なんでさっきからずーっと同じ道なんだ??」
直進と左右折を繰り返し、しかし、スマホのグーグル地図で僕は、まだ同じ区域にいた。だが、そこで表示される距離なら、とっくのとうに走破した確信がある。伊達に毎朝、チャリ通していない。
それに、
「……静かすぎる」
炉端にも、アパートの窓にも、前後にも。
いくら人通りのすくない道とはいえ、人の気配がまったくない。
まるでゴーストタウンのように、シン……と静まりかえっている。
「……ま、まさか……知らず知らずのうちに異世界へと迷い込んでいたというのか……?!」
ホラーゲームあるあるー。いつの間にか超えてはならない境界線を超えて魑魅魍魎の跋扈する恐ろしい世界へと足を踏み入れてしまうパタ~ン。しかもループ系~。
「なーんつってねー! HAHAー! そんなの現実にあるわけないじゃーん!」
アッハッハ、と笑う僕。笑いながら角を折れて――。
「死ねボケエエエエエエ」(←手から炎を噴き出して攻撃)
「ぬぐううううううううう?!」(←それをよく分からない黒い煙みたいなのでガード)
……何かすごく見てはならないものを見てしまった気がするんだが……。
いや、違う。いけない。あれだ。同じところをグルグル回っていたせいでちょっと脳みそが疲れちゃったんだ。
僕は瞑目し、深呼吸を数回してから、ふたたび目を開いた。
「おらあああああああああ!!」(←炎を宿した拳をたたきつける)
「ぐっはあ?!」(←ガードしきれず十メートルくらい吹き飛ぶ)
「…………………………」
お、落ち着こう。攻撃された側がとんでもない勢いで吹き飛んだのもそうだし、その相手を追撃するために攻撃したほうが目にもとまらぬスピードで一〇メートルくらいの距離を跳躍したように見えたのも……そう、あれだ。ゲームのやり過ぎとかのせいだ。
だから今一度落ち着いて見れば――
「終わりだああああああああああ!!!」(←全身から噴き出す炎で相手を炙っている)
「ぐあああああああああああ!!!」(←全身からよく分からない黒い霧が噴き出していく)
ダメだああああああああああ!!! 何度見てもただの現実だあああああああああああああああああああああ!!!!
マジでどうなってるの?! え、もしかして映画の撮影の最中とかでしたか?!
本当に僕、何か超えてはならない境界を超えちゃってないか?!
「あれ? ってか、……火ィ噴いてる人……」
そこで僕は気づいた。先ほどから優勢に戦っているほう。
まず、女性だ。だが、背中からコウモリのような黒い羽が生えていて、お尻からは黒い尻尾が伸びている。肌が露出している部分には臙脂色の毛がなびいておりまるで人型モンスターのような出で立ち。
その上で、頭にハットをかぶり、革製のベストとチューブトップを纏い、下はホットパンツ、厚底のブーツ――。……カウガールに似た服装だ。へそは丸出しで、ぷりん、ととしたお尻のラインもくっきりしており、長く美しい脚も丸見えながら、何よりチューブトップが今にも内からはち切れそうなほど大きな胸がびっくりするほど飛び出している。
な、なんだこの痴女は……!
なんなんだこのエロいコスは……!
「って、違う、そうじゃなくて!」
コスがエロいのも確かに驚きなのだが、それ以上に、
「――マ、マウラ・H・コールマン……?」
シルクのような黒い長髪に、エキゾチックな美貌。完璧なプロポーション。
服装こそ違うが、その容姿は、間違いなく僕が知っているマウラその人だった。
「な、何をやっているんだ彼女は?」
とりあえず眼福なのでスマホで写メに納める。納める。納める。めっちゃ納める。
そうしていたら――
「ッ、誰だ、そこにいるのは?!」
「げげ!」
バレた! あ、シャッター音か! 当たり前か! HAHA!
「出てこい! コラ!」
ど、どうしよう。でもここにいてもしょうがない気もする。そもそもここから出られないのだからむしろ道を訊ねた方が良い? みたいな?
「……あ、ど、どうもー」
ということで隠れていた角から僕は姿を現した。
「いやー……なんていうか……別に見るつもりじゃなかったっていうか……なんていうかその、道に迷って、というか、道から出られなくて、というか……」
僕だって現状が分かっていない。だから何と言って良いか分からないけど、何となく見てはならないものを見てしまった気がするので弁明してんだけど。
「チッ。まだ残党がいやがったのか」
「へ?」
しかしマウラはよく分からないことを言い出して。
「オレに感づかれないレベルか……ザコか、あるいは……」
ス……とマウラが腰を低く、拳を突き出して、目を細める。
「――アイツか」
「へ?」
待って。何ですごい剣幕? めっちゃ攻撃態勢なんだけど?
ま、まさか――
「おるああああああああああああ!!!」
「ぶへあああああああああああああああ?!!」
殴られた。
思いっきし、殴られた。
コミックみたいに盛大に頬をぶん殴られた。
目がチカチカして、口の中に鉄の味が広がり、一瞬だけ身体全体の自由を失う。
そしてそのまま、地面に墜落。
どう、と絶息。ぐへえ。
「おいどうした! とっとと正体を見せろ! でねえとこのままタコ殴りにするぞ!!!」
ヤ、ヤバい!
何がなんだか分からないけど、このままだと殺される!
ちょっと気になっていた女の子から急に殺されかけるとかおいしくも何もないし普通にシャレにならないから!
「ま、――待って! 待ってって! 一体何の話?! マジで意味が分からない!!」
僕は必死に上半身を起こし、片腕を突き出して、イヤンイヤン、と首を振りながら必死の弁明をはかる。むしろそれ以外に何が出来るというのだろう。
僕はマウラが察してくれると信じるしかない。
「ていうか僕、ライアン・カク! 同じ学校の生徒の!」
そう、一年間も同じ学校に通い、かつ、いくつかの授業でも同じだ。
だからきっと、マウラもこれで気づいて――
「あ? 知らねえな。誰だテメエ」
おーいえー。眼中になかったですかー、そうですかー。
そういえば僕はボッチでゲーマーでしたねそうでしたね終わりましたね悲しいねー。
泣いてないよー。僕、男の子だもん、泣いてないよー(涙)
「学生を騙って油断させようたあ、肝が据わってるじゃねえか」
そして作戦はむしろ逆効果だったようで。
「ま、ちょ、ほんと死n」
「問答無用だ! 死ねええええええ!!!!」
何やらご自分の世界に没入しているらしいマウラには僕の言葉は届かない。
マジックのようにまた一瞬で僕の目の前まで肉薄してきて――
最後の記憶にあるのは、その、目前まで迫ってきた谷間だった。あ、やっぱ超でっk――。
***
「――……ん」
水底から浮かび上がるような心地を覚えながら、僕は目を覚ました。
「……ここは……?」
木材の香りに包まれたカフェだった。天井にはパイプが走り、ヴィンテージ風。店のそこかしこに観葉植物が置かれ、室内には豊かなコーヒーの香りが満ちている。客はおらず、カウンターにマスターらしき禿頭の男性が、静かにマグカップを磨いている。
僕はそんな店のソファに寝かされていた。
「……よう。起きたか」
ふと、目の前のテーブル越し。そこの椅子に座っている人物が話しかけてきた。
美しい絹のような黒髪に、整った顔立ち。嘘のように豊かな胸に、パーフェクトな体つき。
マウラ・H・コールマンだ。
「その……大丈夫か?」
マウラはばつが悪そうだった。僕が意識を失う前のけんか腰ではない。それに、学校で見るような不機嫌そうな感じでもない。
「あーっと……まあ……平気、なのかな?」
不思議とぶん殴られた頬に痛みはなかった。というか、不自然なほどに。一応ガーゼはあてられてるが、ほとんど見た目だけ。実際にはもう痛くもかゆくもない。
「」
「傷は治しておいたからよ。安心しろ」
「へ? ……ああ……ありがとう?」
ぶん殴られたのを治してもらったらありがとうなのか? よくわからない。
いや、それよりも――
「えーっと……その……ちょっと聞いても良いかな?」
「な、……なんだ」
「気のせいかな……その……君が人型モンスターみたいなコスプレで、普通じゃ考えられないような動きを……その……魔法みたいなのも使っていたような……そんな気がしたんだけど」
意識は失ったけど記憶はハッキリしている。
十メートルくらい跳躍したり、地面がひび割れるほどの拳撃を放ったり……全身から炎を噴き上げたり信じられないスピードで間合いを詰めたり……。
とにかくもう、普通じゃなかった。
「……い、一体何のことだ? 訳が分からねえな」
しかしマウラは白を切りたいらしい。あからさまに目を泳がせながらとぼけてみせる。
「相手もこう、黒い煙が、もうもうと体から出ててさ? 明らかに常人ではない動きをしてたしなーんか雰囲気がヘン、っていうか、恐ろしい、っていうか……まるでヴィランみたいな?」
「っ、へ、へー……それじゃあテメエは映画の撮影でも――」
僕が説明をつづけても、マウラは明後日を向いて白を切る。冷や汗流しながらとぼけている。
ほう。そう来ますか? なら――。
「つまり気のせいって言いたいのかい?」
「そうそう、気のせい気のせい! あれだ、おう、お前は疲れているんだよ! だからちょっと横になって休んで――」
「そうかそうか」
「?」
「なら、君のヘソ出しルックのキュートでセクシーな姿を写メったのも気のせいだから、きっとネット上に流しても何も問題がないんだろうな、うん!」
「――何だと?」
僕はスマホを操作してその写メを見せる。マウラがヘソ出しルック(以下略)の格好で空を舞っている姿が映っていた。
「ほい」
「……」
「ねえ、これでもまだ白を切る?」
「……――ッ」
「――おっと、どうしたんだい? 何で僕のスマホを奪おうとするんだい?」
「う、うるせえ! 寄越せ! そいつを消させろおおおお!」
マウラがシュバババババ!、と繰り出してくる腕を、僕はマイク・タイソンも真っ青の華麗なダッキングによってかわしていく。
ふっふっふ、伊達にFPSで幾多の戦場をくぐり抜けちゃいないぜ! 弾よけは上級者にとっては基本中の基本だからな!
「――マウラ。話してやればいい」
と、その時だった。店のカウンターに立っていたマスターが口を開いた。
岩のような大男だ。ぶっちゃけ大統領の護衛であるUSSSでもやっているほうが自然。すくなくとも喫茶店でコーヒーを淹れているような顔じゃないし、がたいもフットボール選手並みにある。加えて禿頭にグラサン。ヤバい。
「な、良いのかよ?! 部外者だぞ?!」とマウラ。
「酋長からは許可が出ている」
「げ?! マジかよ、あのババア?! 正気か?!」
酋長? 聞き慣れない言葉だ。でも何かの長だったような気がするけど。
「チッ……あー、何から説明したもんか……」
面倒くさがりながらもマウラは僕に向き直った。
「ちょっとアレだ……長くなるかもしれねえが」
「あ、うん。全然OK」
SF系の設定多めのゲームも割と好きだし。ドキュメントを読むのって楽しくない? って関係ないか。
「そしたら……あー……そうだな」
「うん」
「お前、ネイティブ・アメリカンは知ってるな?」
「え? ……あ、まあ、うん。教科書程度の知識だけど」
ネイティブ・アメリカン――アメリカ入植前から北米の大地で暮らしていた人たち。長い歴史の中で、諸外国の人たちと戦いつづけ、今でもアメリカ中に種々の部族が生存している。
彼らは〝ありのまま〟の自然観を持っており、みだらに俗世には染まらず、独自の宇宙観を持って脈々とその精神を伝えつづけている。数こそ少ないが、州によっては数パーセントの人口を占めており、中には政治のアドバイザーとしても活躍する人たちもいるという。(その精神性が評価されてらしい)
多民族国家のアメリカにおいて、ある意味、最も〝他なる民族〟として、今なおネイティブ・アメリカンは北米の大地に住んでいる。
「オレは……まあ、あとあそこのハゲもだが……このアイディール島に昔から住んでる《ウー族》っつーネイティブ・アメリカンだ」
「え、マジ?」
少し驚く。確かに、都会に出てくるネイティブ・アメリカンもいる。でも、大抵は、その宇宙観と現世の〝溝〟に耐えきれず、それぞれの部族の元に帰ってしまうらしい。
なのでマウラやマスターのように、一見すると普通のアメリカ人のように見えるネイティブ・アメリカンというのは、少しだけその典型から外れているように思えたんだ。(しかもここは北米から遠く離れてもいるし)
「まあ驚くのも無理はねえな」とマウラ「オレらはちょっと他の部族とは違う在り方を目指してる、っつーか、そうせざるをえないところがあって、ずっと……それこそ、入植された頃から街や都市の中で暮らしてる」
「他の部族とは違う在り方?」
何だろう。
「オレたちウー族には一つの特殊な役目があるんだよ。――この島の〝扉を守る〟っつー役目がな」
「この島の……扉??」
どこかの家のことだろうか? それともそういう歴史的なスポット?
そう思った僕だったけど次のマウラの言葉はまったく違うものだった。
「この島にだけ出現する魔界の扉――《魔界門》。その扉が開かないようにして、もし開いているようなら、そこから侵入してきたアホをぶっ殺して扉を閉じる……そういう役目だ」
「ま、魔界?!」
突然出てきたトンデモワードに動揺する僕。いや、これがコミックやアニメの話だったらそれほど驚きはしないよ?
でも、それはあくまでフィクションの話だ。現実で語られても〝何の冗談?〟って思ってしまう。当然だろう?
でもそこで、ふと、マウラの言う〝アホ〟で閃くものがあった。
「……あ、もしかして……〝アホ〟っていうのは、例の黒い煙の……?」
この世ならざるもの。故に、この世ならざる動きや光景をみせた――。
「おー。話が早くて助かるわ」
どうやら僕の推測は当たっていたらしい。マウラが満足げに頷く。
「扉を通ってこっちにやってきて、悪さをするアホども――《悪魔》だ」
「……悪魔」
ここは王道の設定だな。ハリウッド映画でもお馴染み。
「そんでまあ、悪魔を魔界へ追い返すわけだが……ヤツらは、お前も見たとおり、超人的な力を持っていてな。とてもじゃねえが普通のやり方じゃ無理だ」
「銃とか効かないってこと?」
「そうだ。で、テメエが見た、オレのような力を持ったモンが戦って、ヤツらを追い返すってわけだ」
「あのマウラの姿……ああ、あのスーパーパワーか」
「まあウー族の全員が全員、オレみてえに戦えるわけじゃねえ。でも、魔界門を守る、っつー使命は同じだ。だからオレらは総じて、《守護者》って呼ばれてる。そんで、オレと同じ守護者たちが、島中のあちこちで悪魔退治をやってる、ってわけだ」
話だけを聞いていたら信じられなかっただろう。でも、実際にこの目で見ている。そしてその超常的な力の一端をこの身で味わってもいる。
どうやら……マジの話のようだ。
「まあ、まとめるとだな」とマウラ「オレたちウー族は、魔界から侵入してくる悪魔どもをぶっ殺し、魔界門を特別な力を擁して守ってる、と。たまに〝悪魔の守護者〟なんて呼ばれたりもするが……ま、皮肉半分だろうな。下らねえ」
マウラは吐き捨てるように肩をすくめる。そして、マスターが差し入れたチョコとナッツたっぷりのドーナツをほおばった。猫のように目を細めておいしそうだ。……か、可愛いぞ。
「おら、満足したろ。言っとくが、他言すんなよ? SNSにも書き込むな。仮にその写メを流出でもさせたら……殺す」
先ほどまでの可愛いから一転、敵を認識した猛獣の目に変わる。そして話は済んだとばかりに座っていたソファの背もたれによりかかり、天井を見上げながら、疲れたようにため息をつく。……む、胸が。マウラのたわわな胸が。どたぷん、って効果音を付けたくなるくらいに重力で潰れている……!
って、違う。今はそんなことはどうでも……どうでもよくはないけど……さておくんだ。何故なら僕にはひとつ、気になっていることがあったから。
「――ひとつ、いいかな」
僕はおずおずと手を上げた。
「マウラが悪魔を相手にしているのは分かったよ? あの現場を目撃して、かつ、その力を体感した僕からすれば、そう説明されても受け入れられる。――でも、僕の記憶によれば、君の格好もまたそれに近しいものがあったと思うんだけど……あれは一体……?」
背中からコウモリのような翼を生やし、お尻からは尻尾が生え、全身が臙脂色の毛に包まれていた。
あれは、人間、というより、悪魔……その特徴に近かったが……一体――?
「ああ。あれはオレたちウー族が、人と悪魔が交わった子孫だからだ」
「え? 人と悪魔?」
「――オレたちウー族は、大陸からこの島に渡ってきて、いろいろあって島にいた悪魔と共存する道を選んだ。そんで悪魔の力を使って悪魔をぶっ飛ばしてんだよ。……まあネイティブ・アメリカンの力も使ってるがな。だから力を行使するとき、悪魔の格好と、守護者の格好が融合する」
「……確かに、それっぽい衣服は纏ってたけど」カウガールのやつね。
「ちなみに、ネイティブ・アメリカンの聖なる力と、悪魔の魔なる力が融合したこの力を《聖魔力》ってオレたちは呼んでる」
「……フュージョン・パワー……マジかよ」
そんなことがあり得るのか。物理攻撃が通用しない悪魔とどうやって子をつくったのか分からないし、いろいろと分からないことだらけである。
いずれにせよ、マウラは悪魔の子孫なのだ。
「いや、でも、そうか」
「?」
「男を当惑させるウルトラボディは、確かに悪魔的と言えるから、男を魅了してやまないという点においてむしろ悪魔の子孫と言われて僕は納得――」(うんうん)
「よし殺す。すぐ殺す。今すぐ殺す。ぶっ殺す」
あ、ごめんなさい。違うんです。さっきから無防備に跳ね回る巨乳を目の当たりにしていたせいで頭の中がおっぱいおっぱい――じゃない、いっぱいいっぱいで。
「……」
さてさて。どうしようか。
ぶっちゃけた話、とんでも設定についてはこの際どうでもいいんだ。
僕としては、その、これをきっかけにマウラとお近づきになりたいからだ。
でもマウラは『あっち行け! 帰れ!』(キシャー!)と傷ついた野良猫のようにふんぞり返っててとてもじゃないけど連絡先の交換とか言い出しづらい雰囲気。
く……こんな時、ゲーマーである自分を恨むぞ……! こういうことにまったく興味を示さなかったせいで、いざという時に勇気が出せない……!(未だにVCは恥ずかしい)
「おい、マウラ」
その時だった。マスターがコーヒーのおかわりをついでくれながら言った。
「酋長から言伝だ」
「? 伝言?」
怠そうにマウラが身を起こす。マスターが頷く。
「その少年と一緒にしばらく行動を共にしろ、とのことだ」
「?! はあ?!」
バン!、とテーブルに手を叩きつけて叫ぶマウラ。わお。
「ちょっと待てよ?! 事情を知っちまったからか?! でもンなの、ババアが言い出したことだろうが?!!」
「だが、マウラ。そこの少年は、戦闘中にお前の前に姿を現したのだろう? 我々の結界は、《大いなる自然》の賜物。亜空間をつくり、戦士と悪魔をそこに隔離することで、町や島、人々への被害を抑えてくれるもの。――そこにこの少年は現れた。……ならば、《大いなる自然》が、この少年の干渉を受け入れたということではないか?」
「……ああ……まあ、そうだけどよ……!」
「お前がこの少年を攻撃したとき、普通であれば死んでいる。それほどに聖魔力は超人的な力だ。しかし、この少年は生きてここにいる。おそらく《大いなる自然》が護ったのだろう。であれば、その少年に何かしらの導きがある――。酋長は、そう考えておられる」
「いや……だからまあ……、こいつがなんかあるのは分かるが……!」
何が何だか分からない。ただ、あの時、路地裏にはまったく人気がなかった。それにあれだけ派手な戦闘を日常的に繰り返していたら、今ごろ街も島もボロボロになっている。でも、実際は平穏そのものだ。
あの、出ようとしても出られなかったあの空間……あれが、《大いなる自然》とやらが戦闘の被害が出ないようにこしらえてくれていた、特別な空間。そこでいくらドンパチやっても亜空間だから現実への被害は出ない、と。一般人(※ただし僕をのぞく)が迷い込むこともないから大丈夫――。そういうことらしい。(ただ、さりげなく死んでたかもしれないって言うのやめてね?)
「君」とマスター。
「あ、はい?」
「名前は?」
「あ……ライアンです。ライアン・カク」
「そうか……ライアンくん。どうだろう。正直、我々としても、何故君が結界に侵入し、戦闘中のマウラに接触できたのか理解しかねている。もしかしたら、悪魔に君が狙われる恐れすらある」
「げ」
それは困る。銃も効かない相手なのだ。狙われたらひとたまりもない。
「だから、すまないが、君もマウラと行動を共にしてもらいたい」
「……えーっと」
「おい! テメエも厭だよな?! ほら、その……オレはテメエをぶん殴ったわけだしよ! こうして口も悪いしよ! オレとなんか一緒にいたくねえだろ?! な?!」
返事を言いよどむ僕に、マウラがすごく必死に同調を求めてきた。真剣だ。最早救いを求めているようにすら見える。
「な?!」
「……」
まじまじと見つめられて思うことはただ一つだ。
――やっぱりマウラは美人だなあ……。
「えっと……僕は構わないけど?」
正直、気になっていた子と一緒にいられるのだから断る理由がない。
事情とかはよく分からないけど、ひとまず、マウラと行動できるのなら歓んで承ろうじゃあないか。
何か、すっごく卑怯な気もするけど!
ま、気にしないでいこう! うん! 人間そんなもんだ! イエー!
「はああああああああああああああああああああああああ?!!!」
一方、マウラは天井に吠えた。
「テ、テメエはアホなのか?! クレイジーか?!! あれか、オレたちの話にちょっと好奇心がうずいたっていうなら、悪いことは言わねえ、マジでやめとけ!! この頃悪魔の動きっつーか性質もおかしくなっててきなくせえしあぶねーしそんな中でテメエをどうこうしながら立ち回るとかオレがクソめんどくせえから頼む断ってくれええええええええ!!!」
自分の頭を両手で掴んでイヤイヤと頭を振るマウラ。きめ細かく、美しい黒髪が、甘い香りを辺りへと振りまく。……む、胸もすごい揺れてる。
だがそんなマウラにマスターが一言。
「危ないならなおさらだろう」
「ンぐッ」
「何か反論はあるか」
「……んぐ……んぐぐぐぐ……!」
すごい。一発で押さえ込んだ。いかつい容姿は伊達じゃない。
「よし。決まりだな。奥で酋長に報告してくる。少し待ってろ」
マスターは小さくうなずき、テーブルを去って行く。
「――っッ、おい! ふざけんな! オレは納得してねえぞ?! 聞けよ、ハゲ!! おい!!!」
しかしマスターは通話しながらバックヤードへと行ってしまった。
「……あー、クソ! クソクソクソクソクソクソ!! クソがあああああああああああああああああああああああああ!!!」
およそ十六歳の乙女にあるまじき口の悪さで、マスターの無反応を呪ったマウラは、天を突き破らん勢いで怒りの咆哮を上げた。
――というわけでこの日、この出来事を境にして、僕の日常はぐるんと百八十度変わった。
悪魔との戦い……にわかには信じがたい話ではあったけども。
信じる、信じない、に関わらず、すべてはここから始まったんだ。
*****
第二章 新しい日常
「――なあ、ライアン」
鈴を転がすような甘い声だ。僕はその声の主を知っている。
「なんだい、マウラ?」
僕はマウラの肩に手を回す。僕たちはソファに座っていた。部屋は暗く、目の前でパチパチと電気暖炉が燃えている。
「今日まで本当……いろいろあったよな」
「なんだい? 突然に」
二人とも大人になっている。少し幼かったマウラの容姿は女性らしく成長していた。
でも、そうだ。マウラの言うとおりだ。
「……そうだね。いろいろあったよね」
二人は黙する。数々の想い出が脳裏をよぎる。きっと、僕とマウラは、同じことを思い浮かべているだろう。暖かな沈黙が二人を包む。
「オレ……その……」
しばらくしてだった。マウラが恥ずかしそうに身をよじる。半透明のガウンの下で盛り上がった胸が形を変え、火照っているのか、身体は赤く、息も熱い。
「どうしたんだい?」
僕は子どものように恥ずかしがるマウラに問いかける。
「……その、そ、そろそろ……」
「うん?」
美しい黒髪に触れる。学生の頃は伸ばしていた髪を、今はボブカットにし、より艶っぽく大人びている。触れると絹のようにスルスルと滑って心地よい。
マウラがくちびるを尖らせる。
「――いじわる」
と、マウラが抱きついてきた。互いの体温が感じられるほど密着する。マウラの細く、たおいやかな腕が、僕の背中に回される。その豊かな胸が僕の身体に密着する。とても良い香りがする。とても幸せな気持ちに満たされる。
「そろそろ子どもが……欲しいんだよ」
マウラが僕の耳元でささやく。甘く、くすぐったい吐息が耳をくすぐる。僕の胸から下半身にかけてじんわりと熱が帯びていく。
「……マウラ」
「……ライアン」
しばらく二人は見つめ合う。マウラの瞳が濡れていた。切なそうに揺れている。
そして僕たちはゆっくりと顔を近づけていき――。
***
「どぅおあああああああああああああああああ?!!!」
勢いよく布団を跳ね上げ、僕は目を覚ました。
「……へ? あれ?」
思わず辺りを見回す。
壁にはアニメやコミック、ゲームのポスターなどが張られ、テレビラックにはたくさんのゲームのハード機、コードが詰め込まれている。部屋にある本棚には見事にゲームやコミックが並べられ、机のあちこちにフィギアや限定イラストカードが飾られていた。
ザ・ナードの部屋。
つまり僕の自室だった。
「えっと……今のは……夢だった?」
とてつもなく甘美な夢だった。部屋の空気、体温、手触り。すべてがリアルに残っていた。
「マジか……くっ……!」
何とも言えない気持ちだ。肩とか髪とか触ってすごく歓んでいる自分と、キスとかペッティングとかする前に目覚めてしまった悲しさと、勝手に夢でいちゃついてごめんなさいというマウラへの申し訳なさと……いろいろな感情が混ざり合って悶える。
「……ていうか」一晩経って思う。「昨日のことも……夢じゃないよな?」
気になっていた子が、跳んで跳ねて火ィ噴いて……よく分からない、全身から黒い煙を噴き出しているヤツと戦っていて……。
そうだ。むしろ夢と考える方が自然だ。異世界からの侵入者とか、それと戦う使命とか、コミックの設定って言われた方が自然だ。
「ん?」
そう思った時、ベッド脇のテーブルに見慣れないものが置かれていた。
「あ……《守護石》……だっけ」
《止まり木》――僕が寝かされていた喫茶店だ――からマウラに家まで送ってもらった時、別れ際、『お守りみてえなもんだ。持っとけ』と渡された石だ。それほど大きくはないが、美しいターコイズブルーの小石。
《大いなる自然》の力が込められた〝魔除けの石〟とのこと。これがあると、普通は出入りできない結界に出入りが可能になるらしい。また、所持しているだけで、マウラには居場所が感知できるという。(ちなみに《大いなる自然》というのはネイティブ・アメリカンたちの精神的中枢というか、最も崇めているものというか、……神さまとは違うけど、とても彼らに敬られているものらしい。それがこの世界の均衡を守ってくれていて、だからその均衡を壊そうとする《悪魔》に対抗する術も与えてくれるんだとか)
「マジに……あったんだ」
寝ぼけ眼を擦ってベッドから降りる。これがここにある、ということは、昨日の出来事は夢ではなかったということになる。
「――ってヤバい、いつまでもボーッとしてらんないや!」
のんびりしていたら遅刻してしまう。靴を履き、着替え、下へ降り、朝食や歯ブラシ。最後に自室へ戻って鞄の荷物を整理する。これで登校の準備は整った。
「さてさて」ここで迷う「どうしよう? マウラに連絡とかしていいのかな??」
酋長から、基本的に僕はマウラと行動を共にするように言われている。
それで登下校も一緒にすることになっていた。
僕はマウラと登下校できるなら歓んでするんだけど、マウラはすごいしかめっ面だった。
「ん~~~~~~~~~~……声をかけていいもんかねえ…………????」
アクアリールハイスクールは公立高校だ。マウラと僕は同じ学区に住んではいるものの、ちょっと聞いた感じでは、僕の住んでいる地域から数ブロック離れた地区に住んでいるらしい。
また、マウラは一人暮らしらしく、学校までは〝車〟で通っているそうだ。
なので一緒に行くとなれば僕が車に乗せてもらうことになるのだろう。
声をかけずらいのもあるが、何か、学校でも指折りの美女に車で送り迎えしてもらうって……どうなんだ……?
「……とりあえず昨日の今日だし、もうちょっと様子を見てからでもいいのかなあ?」
ニュニュッ、と顔を出す弱気な僕。というか、女性慣れしていない僕。こういうとき、普通なら積極的に連絡を取るんだろうけど。
ともあれ、いつも通りの身支度を調え、自転車通学用のヘルメット被る。
その時だった。
「? インターホンだ」
ぴんぽーん。階下でインターホンが鳴る。
僕は新聞屋さんか何かの勧誘か、と思い、気にせずにいた。……のだが、しばらくして階下が騒がしくなり、直後、母さんが血相変えて僕の部屋に飛び込んできた。
「ラ、ララララ――ライアン?! な、なんかあんたを迎えに来たっていう女の子が?! ――お、女の子が?!!!」
父さんは白人で、母さんが日系なんだけど、身長はそれほど高くない僕よりも低い。見た目なんかほとんど日本人なんじゃないかな。黒髪で、幼顔で……。そんな、四十を過ぎて、まだまだ元気ではあるけど、肩で息をするほど慌てている母さん。……まあ、僕は女っ気のまるでない生活を送ってきたからなあ。女の子が僕を訪ねてきたから母さんが驚くのも無理はな――。
って、ん? 女の子?
ま、まさか――!
「っ、わかった、今行く!」
僕は鞄をひったくると階段を急いで降りて玄関へと向かった。
「……よお」
果たしてそこには、予想とおり、マウラが立っていた。いつも通りのダークな革製に身を包んで、ポケットに手を突っ込みながら、クチャクチャとガムを噛んでいる。
……ま、まさか本当に来るなんて。
「? んだよ、人の顔ジロジロ見て?」
「え? あ、いや、何でもないよ! うん!」
「……変なヤツだな。おら、とりあえず行くぞ」
先を行くマウラについていく僕。でも炉端に駐めてあったものを見て思わず足を止めた。
「……ねえ、マウラ?」
「あ?」
「その車……っていうか……バイク? ……君の?」
「おう、相棒だ。スーパースポーツって分かるか? その400ccだ」
「……いや、ごめん。わかんない。……でもカッコイイ。ほんとに」
黒色で、前傾姿勢の、滑らかながらも鋭い車体。余計な色彩が一切ないのにフォルムだけで人目を引く。大人しくたたずんでいるのに存在感がすごい。〝我、ここにあり〟って主張している。
「……一応言っておくが安心していいぞ」マウラがバイクにまたがる「オレは十六だし、タンデム出来るように昨日のうちにシートとステップも付けた。違法なパーツも使ってねえ」
「タ、タンデ……?」
「二人乗りってことだ」
「あ、二人乗りね……うん」
気になっていた女の子と二人乗り! ただしバイクで運転手は女の子!
……ダメだ、普通のシチュと違いすぎて僕のテンションが迷子だ……。
……というかバイクにまたがるマウラが男の僕よりカッコイイや……。
「つーか、いいからさっさと乗れ。早くしねえと通勤ラッシュに巻き込まれるだろうが」
「……あ、はい。すいません」
これ、すごいことになるだろうなあ。
そう思いながら、マウラからヘルメットを受け取り、僕は後部座席に乗った。
***
結果から言って学校は喧噪に包まれた。
『?! おい、マウラが男と一緒にいるぞ?!』
『え、誰、あの男子?!』
『嘘だろ?! マジかよ!』
僕たちが学校に着き、降車するや否や、周囲が色めき立った。
それもそうだろう。ジョックスやクイーンビーからどれだけ声をかけられても、頑として応えず、今日まで一切の交流を拒みつづけたマウラ。その〝一匹狼〟のマウラが、同性の友人が出来るより前に、いきなり男を愛車のバイクに乗せて登校したのだから。
しかも、その後も動揺は消えなかった。何故なら、僕たちはそのまま校内へと赴き、ほとんど同じ授業にも出席したからである。……もともと僕とマウラは大体同じような授業を選択したから今さらなんだけど……まあ、登校シーンとも相まって、衝撃的だったんだろう。〝あいつらずっと一緒にいるぞ〟ってね。
ところで、アメリカの学校は、休み時間がとっても短い。授業が終わったら、すぐに教室を出て、自分の荷物を入れてあるロッカーへと向かい、次の授業の教科書やノートを持ってすぐに次の教室へ移動しなければならないんだ。
だから放課後まではほとんど絡んでくる人はいなかった。騒いでいたけど、結局は遠巻きから僕たちを眺めるだけで、それほど面倒な事態にはならなかった。
でも――、
「ヘイ、マウラ! 俺のデートを断っておいて、どこの馬の骨ともしれない男と一緒にいるというのは、一体どういうことだい?!」
すべての授業を終え、とっとと帰ろうとしていた僕たちの前に、一人の男子生徒が立ちはだかった。
デイビッド・ボーンズ。我が校で最も人気のある男子生徒だ。
フットボール部キャプテンにして、エース。成績優秀で、親も市議会議員という、生まれもサラブレッド中のサラブレッド。顔も当たり前のようにハリウッド級のイケメン。さらさらの金髪、高い鼻、高い背、白い歯、まぶしい笑顔、逞しい筋肉……。――まあすごい。嘘みたいに理想的だ。
彼は高校三年生なのだが、以前からマウラにアタックしていたらしい。まあ、当然と言えば当然か。マウラはそれだけ人気なのだから。
「うっせえなー。テメエに関係ねえだろーが。どけよ」
しかし相手が誰であろうとマウラは変わらない。デイビッドに心躍らせる女子は多いが、マウラはその辺のカラスでも追っ払うかのように彼を扱う。
「そういうわけにもいかないさ! ――君、名前は?」
と、デイビッドが僕に訊ねた。
「……あー……ライアン・カクです」
「ふむ。ライアン。……すまない、やはり知らないな」
「……あはは~」
デイビッドの〝人気男子リスト〟に当然僕は載っていないだろう。まあマウラと付き合うとするならそういう男子、と思うのも、無理はないか。
「おい、用がねえならどっか行けよ」マウラが凄む「オレたちは帰るんだよ」
「ッ、……一緒に帰る、か。友人たちがマウラに男が出来たと騒いでいたが……本当にそういう仲なのか」
まあ男女が一緒に帰る、となれば、そういう仲と勘ぐるのも当然かー。
……残念ながら違うんだけどねー。
でもそう思ってもらえるのは気分が良いから黙っておくよー。hahahaー。
「よし、ライアンくん!」
と、少し黙考していたデイビッドが口を開いた。
「俺と、勝負をしないか?!」
「……はい?」
デイビッドが拳を握って突き上げる。
「マウラを賭けて決闘さ! 俺としては、マウラに妙ちきりんな男と付き合って欲しくないからな! だから俺と勝負をして、その価値を見せたまえ!」
「えええ?!」
正直デイビッドに関してはほとんど知らない。先にも言ったような、概要めいたものは知っているけど、その性格や挙措についてはまるで知らない。
だが、もしかすると……もしかするとデイビッドは、結構面倒くさいヤツかもしれない。
悪いヤツではなさそうだけどめんどくさそうな臭いがプンプンする。
「……決闘って、具体的には何を……?」
一応訊ねると、
「そりゃあ男同士の勝負と言えば――」
お付きの人たちが教室から机を持ってきて、そこにドガン、と骨太そうな肘をデイビッドはたたきつけ、
「――アームレスリングさ!」(ニカッ)
「ん。お断りします!」
脳筋か。白い歯を見せながら輝く笑顔で何言ってやがるんだコイツは。
「な、何ィ?!」と驚くデイビッド。
「いや、どう考えても意味が分からないんで」
「でも昔から男同士の決闘はアームレスリングって相場は決まってるじゃないか!」
「いやいや決まってないです。一体どこ情報ですかそれ」
「……………………………………コミック?」
「嘘ですよね」
「………………………………………………ゲーム??」
「いやもう僕に聞いちゃってますよね」
「………………………………………………………………………………――???」
「いや何か言ってくださいよせめて」
腕組んで、首をかしげるデイビッド。ムキムキのくせに可愛らしい動きすんな。
「うーん………だがライアンくん、それなら勝負はどうするんだね!」
「……いや、だからそもそも勝負する必要が――!」
どうしよう。めんどくさい! めんどくさいよこのイケメン!
「おい、いい加減にしろよ、テメエ!」マウラが割って入ってきた。「さっきから訳の分からねえことばっか抜かしやがって。いいか、オレとこいつはな――」
ん? マウラ、もしかして守護者や悪魔とかの事情を話すつもりなのか? でもそれは不味いだろう。あるいは、もしや、妙案でも浮かんだのかな?
「オレとこいつは――ただ、ババアに、一緒にいろ、って言われて一緒にいるだけだ!」
あー、なるほど。嘘はついてない。確かにそれはそう。
「バ、ババア?」とデイビッド。
「あ、マウラの祖母のことです」と僕。
これで煙に巻けたらいいな、と思いながら補足した僕を、デイビッドが瞠目しながら見た。
「か、――家族公認だと……?!」
あ。おかしな方に解釈されたか。これ。
「な、なんてことだ……! それではもうどうにも出来ないではないか……!」
プルプルと上腕二頭筋を震わせながら打ちのめされているデイビッド。何かもうよく分からないけどこれ以上関わってこないならどうでもいいや! どうでも!
「分かったみてえだな。あばよ」
だからそう言ってマウラは去りかけたのだが、
「っ、待、待ってくれ――!」
ガシ、と。デイビッドがたまりかねたようにマウラの片腕を掴んだ。
「……あァ?」
マウラの顔が怒りに歪む。恐い。眉根に皺がすごい寄ってる。面倒くさいのが嫌いで、しつこいのも厭そうなマウラにとって、デイビッドのこの行動は実に不快なものに違いない。
これはまずい。本当に。止め――。
「やめなさい、テッド!」
その時だった。美しいソプラノの声が廊下に響く。
誰もがその声の主に振り向き――息をのむ。
「マウラが誰といようとマウラの自由よ! 男だったら大人しく引き際をわきまえなさい! そんなんだから小さい頃に好きだった子に『しつこい! キライ!』って言われるのよ!」
THE・美女。
美しい金髪のロングに、ホットパンツ、キャミソール。グラマラスではないが完璧に均整の取れたスタイルに、絵で描いたような黄金比の美貌。長いまつげ、大きな碧い瞳、高い鼻、自信に満ちた強気な笑み。あごのラインも完璧で、どう考えたって神さまがデザインしたとしか思えないTHE・美人。
これまた超有名人。校内で知らないヤツは一人としていないだろう。
我がアクアリールハイスクールのチアリーダーにして、ナンバーワン。
エリザベス・マックス。
〝この女と結婚できるなら片腕もぎられても構わない〟と言われるほどの美女である。
「……ヘイ、エリー。オレを咎めるのにわざわざ古傷を抉らないでも良いのでは……」
「ちなみに口が臭いとも言っていたわ!」
「エリー! それは新事実だ! オレはさらに傷ついたぞ!」
「なんなら今も少し臭うわ!」
「NOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!」
すごい。さすがだ、エリザベス。デイビッドが相手でも容赦ない。
「と・に・か・く! これ以上、マウラにちょっかいをかけないの! 分かった?!」
「むぅ……分かった。……確かに、少しやりすぎたか」
エリザベスの讒言を聞き入れてデイビッドがマウラから手を離す。
「マウラ・H・コールマン!」
と、エリザベスは今度はマウラに呼びかけた。
「あなたもあなたよ! デートを断るのは良いけど、もうすこし相手のことも考えてあげなさい!」
「……うっせえなあ。説教なら間に合ってるんだよ」
メンチを切るマウラにエリザベスはまったく動じない。ちなみに身長は同じくらいだ。どちらも女性にしては高身長。一七〇から一七五くらい。どっちも僕よりも高い。……泣けるぜ。(ちなみに僕は一六三cmくらい)
「というか――」
エリザベスがマウラに指を突きつける。
「テッドはどうでもいいのよ! マウラ・H・コールマン! あなた、いつになったら、私のお誘いを受け入れてくれるのよ!」
ザワザワ……ッ!、と周囲がざわめく。え? どゆこと?
もしかしてエリザベスはそっちの……と僕の脳内が百合世界を勝手に構築し始める。
エリザベスが叫ぶ。
「――チアへのお誘い!」
百合世界の霧散。そっちかい。
まあエリザベスの気持ちも分かる。贔屓目に見てもマウラは超が付く美人だ。エリザベスと並んでも遜色しない。そんなマウラが入れば、チアはさらに華やかになるだろう。
「……だーかーらー……そんなめんどくせえのはやらねえ、って、ずーーーーっと言ってるよなぁ……?」
げんなりするマウラ。どうやら結構しつこく勧誘されているらしい。マウラをこれほど消沈あたり、エリザベスはかなりの押せ押せなのかもしれないな。(デイビッドとはまた違った意味で面倒くさい人らしい)
「――あら? あなたは……」とエリザベスが僕に気づいた。「……ああ、もしかして……あなたが今朝、マウラと一緒に登校してきたっていう……?」
「まあ、はい……それでまあ、ちょっとこんなことに」
エリザベスが僕の顔をのぞき込む。
「……私、あなたとどこかで会ってる?」
「……? いや、話すのは初めてだけど」
「…………」
「…………?」
「――――ああ! 分かった!」
「?」
「あなた、うちで飼ってるワンちゃんに似てるわ! 顔が可愛らしい! 道理でどこかで見た顔だなー、って思ったわ!」
「……えー」
「ね! ね! 頭、撫でてもいいかしら! グッボーイ、って! ね!」
「いやいや。イヤです。普通に」
そんなことされても嬉しくない。というか初対面の男相手に頭撫でさせてってどういう感性してるんだこの人。
「……んんん。似てるのにー。可愛いのにー」
頬を膨らませるエリザベス。なるほど。マウラもこの調子で絡まれつづけているのか。それはげんなりもする。
「――分かっただろ。コイツはヤバいんだ。これ以上はマジで面倒くせえ」
「あー……、うん、そうだね~」
僕は周りを瞥見する。かなり人も多くなって、もう少しでもここにいたら、人垣に囲まれて脱出ルートすらなくなるだろう。そうなる前に、ここから退散だ。
というわけで、
「――――――」
「あッ、ちょっと! 待ちなさい!」とエリザベス。
ダッ、とマウラが駆け出す。面倒くさがりのマウラには珍しい。だが、そうでもしないと、エリザベスからは逃げられないと判断したのだろう。僕も慌ててついていく。急に走り出した僕たちに驚いて周りも避けてくれた。
「マウラ・H・コールマン! 絶対に……ぜええええったいに! チアに入ってもらうわよおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
後ろから美しいソプラノボイスの叫びを聞きながら、マウラと僕はその場を去ったのだった。
*
クラブ活動へ向かう生徒や、スクールバスに乗って帰る生徒たちを脇目に、僕とマウラはバイクに乗って僕の自宅までやってきた。
「はあ……疲れたね~」
普段学校で人と関わらない僕にとって、人気者のデイビッドらとの接触は、実に心労の溜まるイベントだった。やれやれ。参ったねー、どうも。
「くっそ……たまったもんじゃねえぜ。あいつら揃いも揃って頭おかしいだろ」
マウラは珈琲缶をあおる。僕が帰り道におごったんだ。目に見えて疲れていたし、こうして送り迎えしてもらっているお礼も兼ねてね。
「なあ。つーかあいつら、結局マジで何と勘違いしていたんだ?」
「えーっと……な、何だろうねー?」
マウラはその辺りの機微というか、常識に疎いのか、デイビッドが絡んできた理由からよく分かっていないようだった。しきりに腕を組んで首を傾げている。僕は僕で正直に話すのも居心地が悪くてはぐらかした。
「あ、そういえば……、週末ってどうするの?」
平日は今日まで。明日からは週末。つまりは休みだ。
平日は学校だからだいたい同じ場所にはいられるけど、週末はそうじゃない。
僕はアルバイトがあるし、その時間をのぞけばほとんど家でゲームしている。マウラもマウラでやることやプライベートがあるだろう。
マウラが肩をすくめた。
「ああ……オレは街の巡回だな」
「へー? マジ?」
貴重な週末を潰して守護者の使命を果たしているのか?
「マウラってその……すっごく真面目だよねー」
「ああ? バカにしてんのか?」
蛇のような睨みが飛んでくる。こ、怖え。
「ち、違うよ! すごいなー、って! そうやって市民を護ってるなんて、まるでヒーローみたいだな、って!」
自分のプライベートを犠牲にして民衆を護る……。そう、それはまさに、コミックのヒーローみたいだ。ゲームも好きだが、コミックもよく読む僕には、そういう思考回路が根付いている。だから素直に感動していたんだ。
「……そんなんじゃ……ねえよ」
けど、マウラはそれほど嬉しくなさそうだ。照れるならまだしも、どこかばつが悪そうだった。
「テメエは? 週末どうしてるんだ?」と俯き加減にマウラ。
「ん? ……ああ、えーと……、日曜の午前にバイトがあって、それ以外はほとんど家にいるかなー」
「ふーん。じゃあひとまず、オレもテメエも、週末は別行動で――って、ん? ババア?」
ババア=酋長だ。マウラのスマホに電話をかけてきたらしい。
「おいババア、何だよ。――今? 学校出て……あ? いるよ、ちゃんと。嘘じゃねえって。――おら、いるだろうが」
マウラが指令を全うしているかの確認らしい。スマホのカメラに僕を映して証拠も提示。ちらっと画面向こうの酋長が見えたけれども一瞬でよくは見えなかった。(人の良さそうなおばあちゃんが映った気はする)
「――んで、何……は? いや、待て! 何でそこまでしなきゃならねえんだ! こいつと一緒にって……あ! おい! ババア!」
でも途中から話が変わったのか。マウラが怒鳴り散らし始めた。
「ふざけんな、人の話を聞――」
そしてそのまま、酋長は一方的に会話を切ったらしい。通話終了、と書かれている画面をマウラは呆然と見つめていた。
「えっと……どうかした?」
おそるおそる訊ねると、マウラは重いため息をはいた。
「……週末……街を巡回するなら……テメエと一緒にやれって……言われた……」
「え?」
***
アイディール州、もとい、アイディール島。
カリフォルニア州のサンタモニカからおよそ数十キロメートル離れた場所に浮かぶ、面積およそ四十平方キロメートル(全米第四十位)の島。
南西部に雲よりも高い霊峰ルブルルマウンテンを抱き、島のおよそ七割が山や森におおわれた自然豊かな土地で、かのダーウィンがガラパゴス諸島と同じくらい好んで滞在した、とも言われるほど、島中珍しい動植物が棲息している。
気候は温暖、年平均最高気温は十九度で、総人口はおよそ百五十万人(全米第三十八位)。
……とかいろいろ言ってるけど、ごめん。全部○ィキペディアだ。
だってそうだろう? 自分の住んでいる自治体のことを詳しく知っているやつがどこにいるんだ? もしいるならぜひとも教えてほしいね。たぶん友達になれるから。
さて。そんな僕でも、さすがにおおよその地理ぐらいは分かっている。
アイディール島、その北東部に、僕の住む州都・アクアリールシティはある。
そして、アクアリールシティは基本的に五つのエリアに分かれている。
商業区、行政区、居住区、工業区、農業区だ。
郊外に農業区と工業区は広がっていて、そこから居住区や商業区を挟んで、行政区が中央にある、という感じ。(大体ね)
まあ、たぶん、この辺りは日本でもアメリカでもあまり変わらないんじゃないかな? 市の中心地が一番栄えていて、そこから離れると畑や工場が多くなる……みたいなの。
ともあれ、僕は今、そんなアクアリールシティの交通の要衝とも言える、アクア・セントラル・ステーション、その待ち合わせスポットに立っている。ここから東西南北へと移動できるため、平日でも常に人通りの多い駅だ。
いわんや休日をや、というやつで、休日の今日は人でごったがえしている。
「休日のこんな時間にここで誰かと待ち合わせるなんて……間違いなく、僕史上トップ三に入る大事件だぞこれ……!」
絶対に来ないもんな。死んでも。人混みキライだし。
あと、それだけじゃない。
「……待ち合わせ相手が超のつくほどの美少女っていう」
もしかして、僕は今日、死ぬんじゃないだろうか?
「……ていうか、こういうとき、とっておきの服を持たないことを初めて後悔したわ……!」
デイビッドみたいな連中ならキマッてる一着を持って来るのだろう。格好いいジャケットとかを羽織ってさ。しかしあいにく、僕はオシャレに興味がない。そんなものは持っていない。似通ったタイプのシャツとデニム……。持っているのはどれも同じものばかり……。
「昨日、駅前で服を買いに行けたかあ……?!」
既に放課後で、あまり時間はなかったが、僕の住んでいる地区はわりと中心街に近い。バスを使えば十分くらいで到着だ。
ただ、そもそも、デートに服を買う、という発想がなかった。おーまい……。
「……あーもう、仕方ない! ないもんはない! ……いや、でも待てよ……もしかしてワンちゃん、今から行けないか……???」
走って五分くらいのところにショッピングモールはある。せめてこの、よれよれのフランネルシャツだけでも買い換えれば、あるいはいっそコーデ一式を――!
「でももしそれで――」
「おい」
「そうなったらむしろ――」
「おい。……おい、って」
「ああ! でもでも、このままっていうのも何だしそれならいっそ――」
「――おいテメエ! いい加減にしろや!」
「いったあ?!」
ガツッ!、と脳天にげんこつが降ってきた。
「だ、誰だよ?! 一体――」
と振り返ったところで、僕は言葉を失ってしまう。
「えっと……マ、マウラ?」
「ア? んだよ」
「い、いや……。――何かいつもとずいぶん雰囲気が違うっていうか……その……」
お洒落なテンガロンハットに、ターコイズのネックレス。ヘソ出しタンクトップに、オフショルダーを重ねて、恐ろしいほどに大きな胸が目の中に飛び込んできそうなほど強調されている。そして、太ももを露出したリップドジーンズに、ヒールの高いミュールでその美脚を惜しげもなく晒し、ちょっと大きめのトートバッグを肩からかけて。
こ、これは……。
いつもの黒一色のマウラとはかけ離れていて……!
「っ! 言っておくが、オレが着たくて着たわけじゃねえからな?!」
マウラが狼狽して顔を赤くする。
「オレはいつも通りの格好で行こうとしたんだぞ?! そしたらいきなり、あのババアから呼び出しがかかって、行ってみたらこれを着ろって……!!!」
着慣れない服装に困惑しているらしい。周囲からの好奇の視線――男子だけではなく女子も見ている――にたじたじだ。
「ッ、おい、ジロジロ見るんじゃねえ!! 自分でも似合ってねえのは分かってるんだよ!!」
「え? ああ、いや……驚いたには驚いたけど」
僕は改めてマウラの服装を見て――、
「……うん。似合ってるよ。すごく……良いと思う」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~」
僕が正直に告げると、マウラは首をかきむしるような仕草をする。
「それよりも僕のほうが……ちょっと……」
オシャレをしてきたマウラと違って僕は完全に普段着だ。さすがに申し訳なくなる。
きっとマウラも酷いと思っているのだろう。
「あ? テメエがなんだ?」
「いや……ほら……ちょっと酷いっていうか……」
明らかに〝美女と野獣〟の図だ。でも、それを自分の口から言うのも自虐過ぎる気もして。
そしたらマウラが肩をすくめた。
「別に良いだろ、服なんてよ。テメエの好きなように着れば良いじゃねえか」
何でもない風にマウラが言う。本当にそう思っているようだ。サバサバしてて忌憚がない。
やだ。マウラさん、格好いい……!
「あ、ありがとう」
「フン」
鼻を鳴らしてマウラが歩き出す。
「あ、でも、マウラは本当にすごく似合ってるよ。本当」
「う、うるせえ! オレの服のことなんかどうでもいいんだよ!! と、とっとと行くぞ?!!!」
お礼というか、改めて感想を述べたのだけど、逆にマウラに怒られてしまった。大股でズンズンと歩き出してしまう。うーん、女心とは。
「――それで? 今日はどこを見回るの??」
これ以上服装を褒めると怒られそうだ。マウラの横に並ぶと、僕は話を切り替える。
マウラは周囲を見回した。
「……セントラル駅周辺、それから、その辺の大通りと一帯だな。悪魔は極端で、めっちゃ人がいるところと、めっちゃ人がいないところ、その両極端を好む」
「ふーん、そうなんだ。でも一帯って言ってもめっちゃ広いよね? まさか全部見回るの??」
セントラル駅は大きく、無数の道路につながっている。で、その中でも、四つの道路、南北に走るレインボウアベニューとスカイアベニュー、東西に走るロックドームストリートとシーゲートストリート、この四つの大通りが有名だ。
前者はアクアリールシティを縦断する片側三車線の大通りで、市を出ると、そのまま州道、ひいては、島の他の市町村につながっている。島をめぐる観光客が最も使う道路だ。
後者はアクアリールシティを横断する片側三車線の大通りで、東のシーゲートビーチと西の高級住宅街のあるサンライズ・ヒルズを結んでいる。途中、宿泊施設の林立するエリアもあり、それ故にビーチに繰り出す観光客も多く利用する道路。
いずれも交通が多く、人も行き交う。街路樹が潮風に揺れるさまはまさにリゾート地。交通の便の良さからたくさんのお店とビルが建ち並んでいる。
マウラが顔をしかめた。
「まーどこを回るか、どこまで回るかは、いつもはその日の気分とかで決めてんだが……、今日はアッチだ」北方を指さす「アクアリールタワーの設立記念だとかなんとかで人が多くなってる」
「アクアリールタワー? ……ああ、言われてみれば、もう建て終わってたんだね。アクアリールシティの新しいランドマーク、だっけ?」
北方方面はセントラルパーク、博物館、アクアリールスタジアムなど、人が集まりやすい場所がたくさんある。そしてそこに、新しく、遠目から見ても分かるほど頭一つ抜けているタワーが見える。
それが、五年ほど前に着工し、昨今完成した、世界有数の高さを誇るアクアリールタワー。白と青を基調とした半透明の美しいタワーで、六〇〇M上空の展望台から眺める眺望は絶景とかなんとか。特に、そこから眺めるサンセットは宝石のように美しい、って、副市長のインタビューを見たことがある。
「まだ開いてねえがな。だが、周りで勝手にお祭り騒ぎしてて、それで人が集まってる」
僕とマウラはアクアリールタワー(もとい、その周辺)に向かって歩き出す。
「へえ~。こうして見上げてみると綺麗だよねー。全面ガラス張りの窓がキラキラしてる」
「……ケッ! 税金の無駄遣いだろ!」
「そうかなー? 観光で飯食ってるところもあるから名所が増えるのは良いことだと思うけど。確か市長がタワー建てよう、って提案したんだっけ?」
「……知らん。興味ねえ。どうでもいい」
マウラはアクアリールタワーがお気に召さないらしい。まあ感想は人それぞれだろう。
そうして適当な会話をしながら北へ上っていくと、
「――お。セントラルパークだ! なーんか久々に来た気がするなあ!」
セントラル駅からしばらく北へ進むと、楕円状の巨大なセントラルパークに行き着く。広大な面積、森林、湖に小川、歩道など、NYのそれを参考にしてつくられた都会のオアシスは、今日もたくさんの人で賑わっている。
小さい頃はよく、父さんと母さん、それから小さい妹と四人で遊びに来てたっけ。
と、
「ねえマウラ、あそこ。なんか人だかりが出来てない?」
「あ? どこだ?」
「ほら、あの辺。池の近くの、ちょっと広場があるところ」
セントラルパークには所々開けた場所がある。そこでは時折、屋外ライブ、フリーマーケット、講演会など、いろいろな催しが開かれている。
どうやら今日も何かが開かれているようだ。
「うわー、何コレ! 出店、なのかな? でも、明らかにアメリカっぽくない……でもなーんかどっかで見たことある風景??」
人が一、二人だけ立つのが精一杯のテントのようなお店が建ち並んでいる。看板、ではなく、店の垂れ幕に太字の奇妙な字体の幕がかかっており、しかも店と店の上空を透明の樽のような何かが紐でつなげられている。また、会場全体に、ドンドコ、ぴーひょろろ、といった、あまり聞き慣れない楽器の演奏が響き渡っていた。
物珍しさに結構な人が出入りしていた。マウラと僕は自然とそこに立ち寄る。
「……アップルキャンディ……コットンキャンディ……ゴールドフィッシュ・スクーピング……食いもんとミニゲームがいろいろあんな」
「――ああ、分かった! これ、日本のお祭りだよ! アニメとか漫画で見たことがある!」
確か夏場に開かれることが多いはずだ。そういうシーンをよく見る。
「言われてみればそうだが……あれってふつう、夜にやってなかったか?」
「だからパッと見て分からなかったのかもねー。――あ、このテントみたいなお店も名前があるよね? えーっと、ヤ……ヤト……ヤトイ……?」
「――ヤタイ、じゃねえか? 確か」
「そう、それそれ! ……でも、なんだろうね。この催しもパレード式典前のお祭りみたいなものなのかな」
あるいは何の関係もなく、たまたまやっているだけか。アクアリールシティに住んでいる日本人コミュニティが主催しているのか。どっちにしても興味がそそられる。異国の文化を取り入れたイベントはそれほど多くはない。
「あのさー、マウラ……? 見回りが遊びじゃない、っていうのは重々承知してるんだけど……ちょっとヤタイを見て回っちゃダメかなあ……? もっぱらインドア派の僕でもさすがに覗いてみたくなっt――ってあれ? マウラ??」
マウラに了承を得ようとしたが、その姿が消えていた。忽然と。
え、あれ? どこに? まさか悪m――?
「――ん。ふぁんふぁよんふぁふぁ?」
「あ! 目を離した一瞬でアップルキャンディをほうばってる!」
それだけじゃない! 狐のお面に、右手にリンゴの形をした半透明のキャンディ、左手にコットンキャンディ、ズボンのベルトにシュワシュワと炭酸ジュースのはいった瓶を引っかけて――。
目にもとまらぬ速さで日本のお祭りを満喫してた!
悪魔が襲来したのかと思って一瞬身構えた僕の心配を返して!
「――んぐ。んだよ。言っとくけど奢らねえからな? オレも一人暮らしで生活切り詰めて暮らしてんだから」
「いや、生活切り詰めてる人はそんなに沢山の食べ歩きしないからね?」
「……これでも結構我慢したんだが」
「あ、けっこう金銭感覚狂ってるタイプだ?」
まあ高級そうなバイクを持っているマウラだ。口こそ悪いが、どことなく気品がある。たぶん、結構良いところのお嬢さんである可能性は高い。
とはいえ、だ。
「結構いろんなヤタイあるっぽいしさ。見回らない?」
「……しょうがねえな」
マウラが乗り気なので僕たちはヤタイを回った。食べ物、飲み物、ミニゲーム……物語の中でしか見たこともない、食べたこともない出し物を僕たちは堪能した。
そして、ほどほどに楽しんだころ。
マウラが不意に足を止めた。
「? どうしたの、マウラ?」
「……」
声をかけても反応がない。一点を見つめて――……少し、体が震えている?
見つめる先は射的屋だ。その景品の一つを見つめている。
「……ワイルドキャット……しかも劇場版の先行上映でしか入手できない激レアフィギュア……な、なんでこんなとこに……?!」
「ワイルドキャット……ああ、『かうぼーい☆きゃっと』のキャラだっけ? 『オレの肉球が火を噴くぜー!』ってやつ?」
何やらものすごくレアものが飾られているらしい。
「てか、マウラってワイルドキャット好きなんだ?」(ニコニコ)
「おい。その笑みやめろ。すげえむかつく。ぶっ殺すぞ」
「でも好きなんでしょ?」(ニコニコ)
「ぐっ……好き、だが……なんかむかつく……!」
そりゃ、言動が尖っているマウラがワイルドキャットなんていう可愛いものが好き、なんて聞かされればニヤニヤもしたくなるものでしょ。
「ちなみにこれ、今買おうとしたらおいくらなの?」
「……オークションでたまに一〇〇〇ドルで売られてるな」
「せ、一〇〇〇ドル?!」
でも、そんなレアものが景品ってことは……、
「げげげ! 一回一〇ドルだ?! たっか?!」
案の定、一回三発で一〇ドルという高額設定。高校生が挑戦するものではない。
「YOYO、どーしたねーちゃん? このお人形が欲しいのかーい? 目の付け所がいいねー。やるかーい??」
禿頭の、三十代くらいの店主がいやらしい笑みを浮かべる。他のヤタイは健全だったが、ここは良くない感じだ。心なしか他の店主も気まずそうにこちらを見ているし。
止めようとしたら、マウラは既にポケットから財布を取り出していた。
「ねえマウラ、こういうのって大抵倒れにくくしてあるから……ふつうにゲットするのは無理だと思うけど……?」
「うるっせえ! んなこと分かってる! 分かってても引き下がれねえんだよ、ここは!」
マウラは店主に一〇ドル支払いマスコット銃を受け取る。
「見てろ! こんなもんオレにかかれば楽勝――」
そしてそれっぽく構えて挑戦するが……、
バン!(←大きく外す)
「OH、全然ダメだねー!」と店主。
「っ、あと二発ある――」
しかし一発目を大きく外した後、二、三発目もまったくかすりもしなかった。
「おい! もう一回だ!」
マウラは課金してさらに挑むが、
バン!(←やっぱり大きく外す)
バン・バン!(←何か見たことないボロボロの缶バッジにヒット)
「YEAR、おめでとう、はい、缶バッジ~」
「くっそが……! こんなん要らねえよ……!」
「どうする? もうやめるかい??」
だがこうなると止まれないのが人のさがで――。
「やめるわけねえだろ! おらあああああああああああああ――――――」
バン!(←大きく外す)
バン・バン・バン!(←さらに大きく外す)
バババババババババン!!!!!(←ヤケクソになって撃ちまくるがすべて外す)
ミシミシミシィ!(←ブチ切れたマウラがマスコット銃をへし折ろうとする――)
「クソッカスがあああああああああああああああああああああああ!!!!」
「ああああああああああ!!! ダメだよマウラ、お店のモンを勝手に壊したら普通に弁償だからあああああああ!!!」
計十回=一〇〇ドルという、高校生にとっては致命的な犠牲の果てに、マウラは発狂した。
的が倒しにくいとかそういう次元の話ではない!
そもそも的に一発も当たっていなかった!
的がどうこうの前にマウラは射撃センスがなかった……!
「HAHAHA! 残念だったねえ、姉ちゃん! どうする? 諦めるかーい?? でもそしたら他の誰かがこれをとっちまうかもしれねえけどよーお? HAHAHA!」
何回も挑戦するマウラに、いつの間にか立ち止まる人たちがいて、お店はちょっとした人だかりが出来ていた。中にはマウラ同様『かうぼーい☆きゃっと』のファンがいて「私もやってみようかなあ」と言っている人もいる。それを分かっていて店主はマウラを煽っていた。
「………………」
気に食わないねえ。
子ども相手に搾取するようなヤツは気に食わない。
僕は怒り狂うマウラの肩を叩いた。
「マウラ。僕が取るよ」
「――あ? おいおいやめとけ、オレが言うのもなんだが、あれはもう――」
「いや、取る。任せて」
僕は店主に一〇ドル支払い、マスケット銃を構えた。弾丸は三発。マウラが撃ったすべての弾道を計算するに――。
僕はパン、パン、と三回のうち二回をすぐに撃ち終えた。一発は景品のフィギュアに。もう一発はその後ろを確かめるために。――OK。やはり後ろに景品が倒れないようにつっかえ棒が置いてある。
もう、十分だ。
「い、一発当たったのは素晴らしかったが……だが少年、あと一発で終わりだ。もうあと――いっぱ――――ら――――――――、――――――――――――……」
「――」
。
その瞬間だけ僕の耳は、脳は、外界のいかなる雑音も拾わなかった。
体が揺れないように片手をポケットに突っ込む。銃身を狙いに定める。もとよりつっかえ棒のある的を狙うつもりはなかった。
そう、逆だ。
それは逆なんだ。
つっかえ棒のせいで的が倒れないのではない。
つっかえ棒のせいで、的は棒に寄りかかっていて、倒れやすくなっている。
そのことに気づけば、あとはもう、簡単だ。
マウラの射撃と、今の二回で、弾道と跳弾の予測も出来ている。つっかえ棒までのルートも絞っている。
ワン・ツー・フィニッシュ。チェックメイト。
しゅぽん、という乾いた音の直後、ぱたん、と的が倒れる音がした。
でも僕の脳には何も届いていない。
僕は、倒れた的を視界に入れながら、細く、長く……息を吐いた――。
「――りえねえ! 今のは反則だ!! おいガキ、聞いてんのか?!」
世界に音が戻ってくる。店が歓声に包まれている。意識を現実に戻すと、僕の前で屋台のおっさんが禿頭を真っ赤にしてキレていた。
どうやら跳弾を利用してつっかえ棒を撃ち抜き、棒に寄りかかっていた的を倒したことがお気に召さなかったらしい。
「……お前、射撃得意なのか」とマウラ。
「……あー、これねー。父さんの言いつけでねー。いろいろあるんだけど、そのうちの一つでさ」
まあ普通ではないかもしれないね。射撃の練習しろ、なんて。
ただ仕事柄、〝いざという時〟思考が強い父で、とにかくいろいろ言いつけがある。
破るとアルバイトもゲームも禁止されちゃうから仕方なく、ってやつだ。
「――おい! クソガキてめえ、何無視してやがんだ?! ああ?!!」
と、店主が詰め寄ってきた。はらわたが煮えくり返るほどのご立腹だ。
まあそれはそうだろうねえ。稼ぎ頭をこうもあっさり攻略されてはおっさんも赤字だもんねえ。イヤだよねえ。頭にきてるよねえ。辛いよねえ。
――でもねえ?
「的の倒し方についてルールなんて聞いてないけどー?」
「ぐっ……!」
「それにこれだけの証人がいる前で今更ナシになんて出来ると思うー? 無理だよねえ、どう考えてもねえ??」
容赦はしない。相手は、子どもにたかるクズだ。それにここでケリをつけないと第二、第三の被害者が生まれかねない。
「ほら。さっさと景品をちょうだいよ」
だから僕は景品をもらって終わらせようとしたが、
「――クソガキが! 舐めた真似しやがって……痛い目見せてやらあ?!」
店主が懐からナイフを取り出した。鈍く光るミリタリーナイフだ。
一瞬、周囲が沈黙し――事態を理解した観客たちが悲鳴を上げながら一斉に逃げ出す。
店の前には僕、マウラ、店主の三人だけが残った。
「テメエみてえな世の中舐めたクソガキは、コイツで〝社会勉強〟させてやるよ! HAHA!」
「……」
「それとも今すぐ謝るか? 靴を舐めるか? そしたら舐めたマネしやがったことを許してやらねえでもねえぜ? ああ? どうすr――」
「――ねえ、知ってる?」
「あ?」
「〝そいつは脅しの道具じゃねえ〟」
「? 何言っt――」
「――」僕はマスケット銃をつかんだ。
もし店主がこちらを本気で攻撃するつもりであればとうに襲いかかってきていた。
だが、店主はこちらを脅し、ナイフをちらつかせるばかりで、足もまったく止まっている。
間違いない。店主は一度もナイフで人を刺したことがない。扱い方も知らない。
確信と行動は同時だった――。……ワンテンポ遅く突き出された腕、それをマスケット銃で叩く。ひるんだ店主の横を取り、素早く手首をひねる。――ナイフが手から離れた。そのまま足を払い、首を押さえ、地面へと叩きつけた。
店主の腕をひねり上げてしめる。こぼれ落ちたナイフが、一瞬遅れて、土の地面に突き刺さった。
「……っ、クソッ、い、いでぇ!」
「拳銃だったらどうしよう、って思ったけど、……いやー、ラッキーだったなあ。……まあ一人だったら全然逃げる一択なんだけどそういうわけにもいかなかったしねー。――あ、マウラ。悪いけど、警察に通報してくれる? これ、意外と疲れるんだ」
「……お、おう。分かった。任せろ」
マウラが素早くスマホを取り出して通報した。
「あ。そうそう、ねえおっさん」僕は店主の耳元に口を寄せた「――景品、もらうから。良いよね?」
それからしばらくして、警察が来て、店主は現行犯で逮捕された。
僕とマウラ、それから、先ほどまでいた観客たちは少し事情聴取され、解放された。
そしてマウラは無事、ワイルドキャットのフィギュアをゲットした。
***
ライアンに取り押さえられた男性、ダグラスは、パトカーに乗せられて警察署へと連行されていた。バカなやつを騙して金儲けすることは前からやっていたし、弱い相手に窃盗や傷害・強盗は働いていたが、ナイフで相手を殺傷したことはさすがになかった。
だが、そのせいで、子どもに負かされてしまった。
「(クソが! あのガキ、次会ったらぶっ殺してやる!)」
罰金か、あるいは、多少の拘置はあるかもしれないが、さほど時間をおかずに釈放されるだろう。実際、ダグラスは誰かを殺傷してはいない。先ほどの子どもがダグラスを一方的に制圧したことがかえって奏功していた。
アイディール州法では、銃の売買は、州に認められた店と人間にしか認められていない。
だが、裏取引なんていくらでもある。
ダグラスの知人にも銃の売人はいる。
自由になったらソイツから銃を買おう。
そうすればいくらアイツでもどうにもならないだろう。
「(いや、その前に、一緒にいたオンナ……すげえ良い体してたな……あいつを盾にして、ガキの動きを止めつつ、オンナを目の前で犯すんだ……そんで十分に精神的にいたぶってからガキをぶっ殺す……ククク、最高だな)」
ダグラスは脳内で復讐の算段を立てほくそ笑む……。
ふと、その時だった。
――チカラガホシイデスカ。
奇妙な声がした。ダグラスはパトカーに同乗している警察官を盗み見る。だが、彼らは何も喋っていない。
――ウラミヲハラシタイデスカ。
まるで地獄の底から響いてくるような不気味な声だった。それがどこからともなく脳内に響き、ダグラスに呼びかけていた。
――ホシイデスカ。チカラガ。ハラシタイデスカ。ウラミヲ。
「(――ハッ。一体これが何なのか知らねえし、テメエがどこの誰かも分からねえがよ! ――ああ、欲しいよ! むかつくヤツ全員あの世に送れる力があるなら歓んでいただくね!)」
暴力を働く父、男遊びの絶えない母、裏切りと汚濁にまみれた人間関係。
幼少からダグラスはクソみたいな環境で育った。
ダグラスの胸には常に現実への怒りと憎悪が燃えたぎっている。
「(そんな力があったら、クソどもを全員ぶっ殺して、何もかもぶっ壊して、気に入らねえもんは全部消してやるさ!)」
と、
――イイデショウ。ケイヤクセイリツデス。
声が応えた。
「(あ? 契約? 何――)」
次の瞬間、ダグラスの中で何かが〝弾けた〟。
(未完)