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5 池

 先といっても、すごく先なわけではない、

 里山の頂から一分も下ると建物が見える。

 木造建築だ。

 敷地らしい林間の道の先にある。

 美術館という岡田笙の言葉からわたしはコンクリート建築を想像したが、当てが外れたようだ。

 概観はバンガロー、というより大きめのコテージか。

 いずれにせよ、美術館の趣はない。

 人が住む家に思える。

 あるいは人が泊まる施設か。

「ここなの……」

「そう」

「私設美術館都ってわけね」

「公立以外の美術館はみな私設だよ」

「まあ、そうだけど」

「開いてるかな」

「それを知らないで来たのかよ」

「まあ、館長一人というわけでなし……」

 そう呟きつつ、岡田笙が先に進む。

 わたしには意味がわからない。

 美術館敷地内の利道を歩みつつ、わたしが感じたのは木立の匂い。

 あるいは山の香り。

 葉の香り。

 樹液の感じ。

 そこに土の匂いが混じる。

 だが、家畜の臭いはない。

 鶏の声もない。

 牛や豚のざわめきもない。

 代わりにあるのが水の感覚か。

 水といっても湖ではなく池だろう。

 葦はなく苔。

 水鳥はなく鯉。

 あるいは亀か。

「美術館の近くに池があるの……」

「よくわかるな。人工だけど」

「そうなんだ」

「律子は先にそっちに寄りたいか」

「そうだね、できれば……」

「では、そうしよう」

 岡田笙に連れて行かれたのは思ったより大きな人工の池。

 ……といっても場所柄、巨大ではない。

 けれども五〇メートルプールくらいはあるだろう。

 外周は長方形ではないが……。

 それがコテージ風美術館の右側に隠れる。

 林の中にひっそりと佇む。

 とても静か。

 何もないように思える。

 だが、耳を澄ませば水音が響く。

 おそらく鯉が跳ねたのだろう。

 そう思いつつ、池の淵に身を乗り出すと、

「わっ」

 わたしが足を滑らせる。

 苔に葦を取られたのだ。

 するとすぐさま、

「危ないな」

 岡田笙の声がわたしの背中にかけられる。

 それより先に伸ばされた大きな右手に左手首を掴まれる。

 グイと引き戻され、それでわたしは転ばずに済む。

 靴には苔と濡れ土が付いたが、パンツの裾やお尻は無事だ。

「ありがとう」

 咄嗟に岡田笙に礼を言う。

 それから心臓のドキドキを感じる。

 滑って転びそうになったのだから気持ちのドキドキは当たり前だが、不思議とそれ以外の要素が混じる。

「どういたしまして」

 岡田笙がしれっと応える。

 わたしの顔が赤くなる。

 どうしたんだ、この反応。

 おおよそ、わたしらしくないじゃないか。

 そこに再度水音が聞こえる。

「あれ……」

 その方向に目をやると白地に黒の滑らかな背が流れる。

 一メートルまでないが、かなり大きな鯉だろう。

 その背が見る間に池の中に沈んでゆく。

「しろくろ」

 同じ鯉を見ていたはずの岡田笙が不意に言う。

 しろくろ、って……。

「何それ、名前。あの鯉の……」

「か、くろしろ。オレに見分けがつかないけど」

「二匹もいるの……」

「いや、もっといるよ。三色のも黄土色……じゃないな、燻した金色のも」

「燻してるなら銀だろ」

「そうか。じゃ、くすんだ金だな」

「大きいの……」

「一番大きいのは、あかくろ。正式には『緋写り』という種類らしい」

「女王様かな、この池の……」

「たぶんね。でも、まだ一回しか見たことがない」


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