第三百三十話
御伽学園戦闘病
第三百三十話「闇」
醸し出される殺気は野生の猛獣のそれに近い。砕胡はあまりの気迫に気圧され、少し怯んでいる。だが動きを止めることは無く急いで距離を取った。
先程までなら突っ走って距離を詰めたのかもしれないが、拳はのそのそと歩きながら近寄って来る。ここは廊下なので幾らでも逃げ様はあるはずだ。
だがやってはいけない気がした。何故かは分からない、完全に勘だ。ただ意識できないレベルの変化が、僅かながらにも脳に訴えているのだ。逃げてはいけない。
「威圧も通用しないのなら、普段通りやるしかないか…」
だがフルパワーで身体強化を発動しているのもあってか全くと言って良い程攻撃が通っていない。もう人間のレベルではないのかもしれない、そう思いながらも対策を思いついた。少々粗削りかつ失敗したら死ぬだろうが賭ける価値は十二分にある、何よりここで何も賭けなければ無駄死にするだけだ。今まで積み上げて来たものを考えるとそれだけは避けたい。
ひとまず様子を窺う。拳は本当にゆっくりと近付いて来ている。どのタイミングで打って出るか、何とか隙を探そうとするが全くない。四方八方全てに隙が無い。
異常だ。砕胡はこんな人物を見た事が無かった、たった一人を除いて。だがそいつは人間にして人間ではないような奴である。しかも才能もあった。
だが拳もそいつと同じような雰囲気を発している。いい加減恐怖でおかしくなってしまいそうだ。どんなタイミングであろうと先に攻撃されて死ぬ気しかしない。
「来いよ」
ようやく拳が口を開いた。ただその言葉は戯言にも近い、どうやっても突っ込める訳が無いのだ、隙が無い相手になど。だが実際日和っていても何も進展しないどころか先手を打たれる可能性だってある。
何とか起点となる行動を起こしたいが、それすらも本能が拒否してくる。足が動かない。
「…」
言葉も出ず、顔面蒼白で冷や汗を滝のように流している。この時逃げても良いかもしれない、という思考が回って来た。恐らく今のままでは勝てないので万全を期してから再度戦えば良いだろう。
そう思い背中を向けようとしたその時だった。
「逃がさねぇぞ」
一瞬にして先の道が崩れる様な感覚。ただの言葉一つで、退路は破壊された。逃げられない、そう悟ったのだ。もう戦うしかない、だがそれでも逃げたい。
背後に崖、正面には鬼、そんな状況で何が出来ようか。いや、何もできまい。ただここで動けず殺されるのが運命なのだろう、そうも思ってしまった。
「…そうだ、あいつに倣って…」
確証は無いし、不安しかない。推測が外れた場合腕は最低一本飛ぶだろう。やるしかない、もうそれしか手は無いのだ。足に力を入れる。その動作を見た拳も迎撃する様にして構えた。
三秒後、砕胡が動く。常人では到底敵わない身体能力、そこに死の危機も重なる事により下手な身体強化使いと同等かそれ以上の速さへとなっていた。
だが拳は容易に捉える事が出来る。正面から突っ込んで来るのでそのまま右ストレートでぶっ殺してやろうと力を溜める。すると砕胡も腕に力を溜め、放った。
馬鹿だ。遠すぎる、間合いが広くこのままだと勢いが消え失せた頃に拳へとぶつかるだろう。ならば好都合、拳と拳をぶつけ合って粉砕してやる。
「おらぁ!!!」
物凄いスピードとパワー、まともにくらったら腕は一生治らないかもしれない。しかも砕胡の場合は回復術が受けられないので、本当に終わってしまう。なので緊急回避でもするだろうと頭の中では考えていた。だが実際には、もっとおかしい行動に出た。
ぶつかり合う寸前、砕胡の右腕が飛んだ。切断されたのだ、一瞬の躊躇い、その内に砕胡は左手で拳の胸部に触れ能力を何度も発動した。
それだけではなく、右足を振り上げて蹴った。全力のケリを急所が十回分程度重ね掛けされている場所に叩き込んだのだ、いくら拳といえども耐える事は出来ない。
大量の血を吹き出しながらよろめく。そこを見逃さず今度は右足へ触れ、能力を発動する。その後は当然蹴りを行いまたしても大ダメージをぶち込んだ。
だがもう体勢を整えられたので一旦距離を取った。この二秒間でとんでもなく神経をすり減らした、自身で腕に急所を作り出し切断するタイミングが少しでも遅れれば衝撃で吹っ飛んでいただろう。ここで手を切断した理由は吹っ飛ばされてはいけないからだ。
「初めて…だが……結構痛いな…腕が取れると言うのは…」
だがようやく及第点の攻撃を行えた事の嬉しさと激痛によって、何とも汚らしい笑顔が完成していた。それは戦闘病では無い事ぐらい一目瞭然なのだが、正直意味が分からない。どう考えても割に合っていないのだ。利き腕である右手を代償に胸部と右足への強力なダメージ、だが足が取れた訳でも無いし心臓へ攻撃が届いたわけでも無い。
それで何故、そんな顔が出来るのか疑問でしかない。
「なんでそんな嬉しそうなんだ。ようやく攻撃が出来ただろうが、腕一本飛んだじゃねぇか。お前回復術が意味ないんだろ。どうするんだよ、俺からしたら嬉しいけどな、簡単に殺せる」
「どうもこうもない。ここで一撃でも入れなければ負け、そう思ったからやったんだ。先の事など考えてはいないさ、不服だがお前に五体満足で勝てるビジョンが見えなかったからな」
「…じゃあ腕の一本二本を代償にすれば俺を殺せると思ってんのか」
「そうだ。でなければ何があっても逃げ出すさ、そこまで僕は馬鹿じゃない。お前を殺し、あとは神にでも丸投げすれば僕の仕事は終わる。
最低限お前は殺さなくちゃいけないんだよ、拳」
「ふざけんな」
距離を詰めようとしたその時、周囲に鳴り響く怒号。
「止まりなさい!!」
それは理事長の声だった。拳はすぐに足を止め、後退する。そこで気付いた、砕胡は待ち構えていたのだと。そして前方、砕胡の背後から理事長が現れた。
無傷でここまで来たようだ。他の重要幹部に狙われていても全くおかしくはないはずなのに、完全に無傷で。拳は少しだけ頭を冷やすよう注意される、確かに今の行動は単調過ぎた。あそこで理事長が止めてくれなかったら恐らく致命傷をくらっていただろう。そうなったら敗北は必至、本当に危なかった。
「まずは相手をしっかりと見なさい。そして今までと何の変化も無いのか、自分の脳みそで考えなさい。そしてどれだけ拙い言葉でも良いので言語化し、自分で納得する。大切な事だ、しっかり覚える様に」
「助かった」
「感謝は求めていないさ。今は砕胡を倒す事だけを考え、集中しなさい。私には構わなくていい、これでも全盛期は強かったのだ」
大体知っている。昔、説教で理事長の円座教室に招かれる時に反抗し、攻撃を行ったが全て避けられた経験があるからだ。あの時はまだ未熟だったとはいえ効力自体は大して差は無いので、相当な猛者だと言う事はあの回避だけで大体分かる。
そして今するべき事が何なのか考える。まず理事長が言った言語化だろう。前と何が変わっているか、明らかに自信が付いており、賭けにも出た。前までの砕胡ならそんな事はしなかっただろう。そして一番の変化は体の欠損さえも厭わない強気な戦闘。
想像でも出来なかったので引っかかり、攻撃をくらってしまった。だがもうそうは行かない、これ以上の攻撃は受けない。どうせ片手の無い砕胡などすぐに殺せるだろう。
「行ける」
「そうか。ならば本気で行きなさい、勝てるはずだ、今の君ならば」
理事長は避けてくれるはずだ。力を溜める、集中し、砕胡へ向けて。一方砕胡はどう対処するか全力で頭を働かせていた。理事長がいる方に逃げようとしても止められるはずだ。だからと言ってこの状況で正面に突っ込むのは自殺行為。
結局はこの中間でいなすしかない。そう結論付けた。いつ攻撃が飛んできても良い様に神経を研ぎ澄ます、今の拳にとんでもない力が備わっている事はその霊力だけでも感知出来る。これをくらった本当にまずいだろう。
だが距離を詰め、正面か横辺りにでも移動する際に必ず隙が出来るはずだ。本当に一瞬だが、先に腕に触れて全力で能力を発動すれな何とかなるはずだ。
静かな廊下。だが次の瞬間、攻撃は放たれた。予想外、完全に考えていなかった可能性。拳は"その場"え力を放出した。それが何を意味するか、空ぶった。
だが瞬時に気付く、とんでもない衝撃波に。避ける事など出来ない、正面全域から霊力を宿した衝撃が飛んで来ているのが見えるからだ。避ける事は出来ないので最低限の被害にしようと体を丸めようとした次の瞬間、拳が真正面に移動して来た。
衝撃波とほぼ同時、どちら、または両方のダメージを受けなくてはいけない。ならばとるのは、衝撃波だけ。
『円座教室』
理事長と拳は瞬時に逃げる。そしてたった一人の砕胡へと襲い掛かる衝撃波。体が張り裂けそうな痛みをくらう。何かを考える事も出来ない、まるで皮を剥がされている様だ。
本当に一瞬の攻撃だったが、砕胡にとっては数時間にさえも感じた。だが死ぬ事は無く、ボロボロになりながらも立っている。血だらけでフラフラではあるが。
「終わりだな、砕胡」
戻って来た拳が間も入れず殴り掛かった。だがその時、周囲の霊力濃度が増えた。それと同時に、ある術が放たれる。
『呪詛 伽藍経典 沙羯羅宴』
來花ではない。現在この世には伽藍経典を使えるものは一人と一匹のみである。まずは現代の呪使いで正真正銘最強の來花、そしてもう一人は作成者そのものであり、呪そのものでもある怪物、空傘 神である。
そして残された二つの伽藍経典の一種、宴。それは八種の力があり、沙羯羅は周囲一体を全て細切れにし、まるで雨のようにして落下させる。
「来た!!」
「…不服だが、助かった」
廊下だけではなく、周囲一帯を全て細切れにして落下を始める。神は自身像に乗っており、砕胡も掴まっている。理事長はすぐに円座教室で逃げようとするが、当然対策される。
『呪・封』
二人は何もできなくなり、ただ落下するしかなくなった。ここは仮想世界、落ちる闇に何があるのかは、誰も知らない。
第三百三十話「闇」




