第二百九十六話
御伽学園戦闘病
第二百九十六話「果てしなく」
そこは仮想世界、TIS本拠地と同じ世界にありながら、実際には別の世界のような場所。仮想世界には様々な場所がある。それぞれのエリアにはそれぞれが干渉出来ないバリアが張られている。そのせいでTIS本拠地から直接マモリビトの所へと向かう事は出来ない、など様々な面倒くさい移動を行う必要があるのだ。
そしてここは住人のエリア、双子鬼と執事以外の住人が住んでいるエリアである。ただ地球一個分並みのサイズがあるので、最早それぞれの世界のようになってしまっている。
しかもファンタジーの世界観のように巨大樹やら、毒の泉やら、黒い霧が立ち込める砂漠やら、厄介な地域も沢山ある。ただそれのおかげか基本的に誰が何処に住んでいるかは検討がつく、唯一と言っていい程少ないメリットだ。
「何してるの?」
一人の少女、顔は内喰いのように布で隠し、体に浮き出ている凶暴な"口"が服をも突き破っている。ツインテ―ルで華奢な女の子、彼女本人や他の住人はこう呼ぶ、[仮想の喰われ人]と。
仮想世界の住人は全て元の名前を奪われる。それは文字通り永遠の時を過ごす事になり、何か神に反逆出来うる力を所持しても絶対に抵抗しないという忠誠心の証なのだ。
そしてそんな喰われ人は数年前からある少年の世話を任されていた。
「鷹拝の機嫌を確かめてるんですよ。飛び方で大体分かるんです」
空に飛ぶ鷹霊の一挙手一投足を逃さず観察する。そして特に何の凹凸も無い、問題の無い日だと分かったので戻す。
「還って来い!」
たまには良いだろうと思い、マモリビトはこいつに年齢成長ストッパーをかけなかった。そのおかげで声変わり途中特有の声色、そこそこの背丈、元々は華奢だったのが年相応程度になった肩幅、諸々が普通の男になっていた。
杏の仕込みは年齢という大きな壁に阻まれた。だが変にワイルドにするわけでもなく、ただ好青年に見える容姿だ。水色の髪、長旅に適している通気性の良いローブ、日用品が詰め込まれた古いバッグ。
あの服は捨てた、女装も女装で悪く無かったが今はやりたい事がある。それをするには容姿がガラッと変わってなくてはならないのだ。
霊力も変化したし、能力の扱いもとんでもなく上手くなった。今はいない元生徒会メンバーの中堅、いやもしかしたら香奈美などにも継ぐ実力者となっていた。
「まぁいいや。行こ」
「はいはい」
「…ちょっと生意気になった?」
「いやまぁ、何年一緒にいるんですか……そりゃあ多少は軽くなりますよ、コミュニケーション」
「まぁそっか。私も生意気に戻ったし、お互い様だね」
暗い夜空の元に歩を進める。ここは昼が来ない土地、そんな所に住んでいるのは少し変わった奴だ。ただこの住人エリアにしては珍しく、同じような地域に二人が住んでいる。
と言っても住んでいると言って良いのかも分からない連中だが。
「そんな生意気だったんです?」
「まぁね。私元の世界じゃただの腫物だったし、そんな状況で良い子ちゃんでいろって風が無理あるでしょ」
最近は布の細かな動きや何となく見える口の形で感情が読み取れる様になって来た。最初の頃は会話も無く、張り詰めた空気しか流れなかったが、年を経る毎に仲は深まって行った。
それは初めての経験でもあった。現世では友達と呼べる友達はいなかった。自身の家庭環境のせいだとは分かっていても、無意識に心の壁が厚くなっていくのは感じていた。
だがこの喰われ人はそんな壁さえも喰らいつくすようにして接してくれた。それが心の底から嬉しく、新鮮だった。
「そうですね。僕……俺も同じ様な感じだったので…」
「一人称まで変えるの?」
「まぁ…はい。ちょっと寂しい気もするけど、それが俺の役目なら何も思わないですし…」
少しだけ俯いていた。そんな姿を見た喰われ人は何だかむず痒くなって来る。
「何言ってんの?役目とか無いから。普通にやりたい事やれば良いじゃん。お友達は自分でやりたい事を、しっかり頑張ってるみたいだよ?」
「…俺はそれで良いんです。そこに関しては口出ししないって、昨晩決めたじゃないですか」
半分呆れながら、そう言った。喰われ人は記憶を呼び起して、思い出し、軽く謝った。だが気にしていない様子でどんどん歩を進める。するとそこで感じ取った。
霊力とはまた違う、謎の気配を。これを感じる事が出来れば大体近くに住人がいる。霊力感知程精確には探せないが、そこは長年この世界で暮らしている喰われ人に任せれば良いだけの話だ。
「感じました」
「私も。とりあえず大まかに探すか」
「はい」
二人で手分けして捜索を始めた。こんな世界だから穴倉とかに暮らしていたら全く見つからないだろう。ここは月も無い、本当に真っ暗なだけの空間なのだから。
だがそんな場所にわざわざ住むのは物好きとかそう言うレベルではない。暗闇でなくてはいけないのだ、自身の特性上、暗闇でなくては。
「ん!ありました!」
指差す方向には一軒家があった。ただ非常に小さく、最早納屋のようだ。外装も酷く、鉄製の物は全て錆びで茶が混じった赤色になっている。木製の部分もほぼ全てが壊れかけで、何故こうもして形を保てるのかすら見当が付かない。
だがここは仮想世界、何でもありの世界なのだ。気にせず扉を叩いてみた。と言ってもどうせ寝ているだろうから返事は期待せず、最低限のマナーとしてだが。
「お好きにどうぞ」
喰われ人が声を上げて驚いた。そしてこれでもかと警戒しながら扉を開けた。するとそこにはロッキングチェアに座り、小さな窓とも呼べぬ穴から何も無い真っ暗な外を眺めている男の姿だった。
相変わらず寝巻のままで、みすぼらしい。というよりも何もない。家の中にはあまりにも綺麗すぎるベッド、そして現在座っているロッキングチェア以外には何も無い。
「なんで起きてるの…?」
「僕の体質はあくまでも長期睡眠ってだけだ。前までは起きてても何も出来ないし、愛着を持っても意味は無かったからずっと寝てただけさ……前まではね」
[仮想の寝巻男]である。彼は一日の大半を寝ていなくては生命活動を保っていられないのだ、それは仮想世界でも同じでずっと寝ているのだ。
ただ、ある時を境に起きられる時間は起きる事にしていたらしい。ただその生活も一時的に終わりを告げたが、どうしてもその時が楽しくて誰か面白い人が来ないか待ちぼうけていたらしい。
「とりあえず聞こう、何人突破した?」
そんな聞き方では答えられない、自ら形式を変えて返答した。
「何人残っているか、そっちの方が早いですよ。まぁそっちで答えますが…あとは双子鬼と執事、あなたと眠り少女、そして堕天使だけです」
それを聞いた寝巻男は少し驚きながら褒める。
「それは凄いね。なら早速やるかい?こんな所、一刻も早く抜け出したいだろう?」
「えぇ。勿論」
「それじゃあ…」
『おいで、夢に』
一瞬にして視界が変動した。そこは大量のベッドが立ち並んでいる。基本全ての寝心地が良さそうだが、一定数荒んでいる物も見られる。ここで何をするのだろうか、そう思いながら適当なベッドに腰かけた。
それとほぼ同時に寝巻男が真正面に現れた。驚いている事など構わず、訊ねて来る。
「君は何を目指しているんだい」
「俺は、踏み台になる」
「何のために?」
「あいつが、安心して暮らせる世界を作るために」
「そうか。なら何故君自身で変化をもたらそうとは思わないんだい」
「それは……俺に…力が無いからです…」
「なら詰めて行こう。何故力が無いんだい?」
「えっ…それは……訓練が足りないから…ですかね」
「足りない分を死ぬ気で補おうとは思わなかったのか」
「思いました……でも俺は弱くて、自分で補える力なんかじゃ到底足りなくって…」
「そうか、ならなんで君は戦うんだい?少なくとも病人や眼前は争いで合否を決める性格のはずだが」
「……力が欲しいからです。俺はここで住人の皆に色々な事を聞いて、見て盗んで、強くなって戻るんです」
「嘘」
その一言はただの言葉だった、力を使っている訳でも無いし、何か特別な仕掛けがある訳でもない。だが心の穴から、じんわりと浸み込んでいき、次第には思考をも溶かしてしまった。
頭が真っ白になり、何と返答して良いか分からなくなる。すると寝巻男が少し体を押した。容易にベッドに寝転がる。妙に心地よいシーツとマットレス、とてもリラックスすると共に心落ち着いた。
体を起こし、感謝を述べようとしたその瞬間、寝巻男は再開した。
「君は逃げたいんだろう。ここにいれば何でも出来て、生涯で一番とも言える友人と旅をして、着実に力をつけていく。君はその過程が、好きなんだろう。
結果なんて二の次で、この何か出来るかもしれないと言う勘違いが癖になっているだけだ。僕の目は誤魔化せないよ」
再度沁みる言葉。図星を突かれたとは正にこの事だろう。すると再び体を押され、ベッドに寝転がった。落ち着き、体を起こす。すると自然に言葉が出て来た、最早能動的な発現では無く衝動的とも捉える事が出来る。
「殺したい奴がいる。でもそいつは圧倒的に僕より強い、絶対勝てないんだ。だからこうして、ここで永遠に過ごしたい」
「そう…」
「だが、嘘でもあるんだ」
「…そうか…」
「楽しい旅だ。だけど寂しくなる、両親には興味は無いけど、姉さんがいるんだ。能力者じゃない、外で暮らしている姉さんが。裏切り者だけど、気になるんだ。それに友達も気になる、今の僕を見て杏先輩がどういう顔をするのかとか、仲良かった友達がどんな風に変わってるのか、色々な事を知ってみたい。
この世界には知識という知識がない。生きていくだけの知恵であり、学問は何処にも存在していない。虚無なんだ、ただ、虚無を歩いている気分になる時が昔からあった。
だから、たまには…」
「もう良いよ」
ベッドに寝かせる。すると正気を取り戻したようで、自身が何を言っていたのかよく覚えていない様だ。これが寝巻男の怖さである。驚異的にリラックス出来てしまうベッドで本心を意図せず吐かせる、本当に稀に来る未熟な者達はいつもここで苦戦する。
それに寝巻男は前までずっと寝ていたので、そもそもこの世界に来る事さえ一苦労だったのだ。それなのに、容易にここに入ったのに、何も出来ない。ただ自分を隠した。その結果知らぬ所で本心を知られてしまった。
恐らく本人がその事を知ったら、気持ち悪いと率直に思うだろう。だがそれを気遣ってか寝巻男は言及しなかった。そして次のステップに入る。
「なら最後の質問だ」
「はい」
「何故僕は、ここに君を招待したと思う?」
「…合否を、出す為…?」
すると寝巻男は背を向けて歩き出した。そして数歩離れた所で振り替えりながら呟くようにして言い放った。
「君を殺すためさ」
その瞬間、右腕に痛みが走る。視線を落とすとベッドに口が出来ており、食いちぎられそうになっているのだ。すぐに離れ、霊を飛び出そうとするが出てこない。
それもそのはず、ここは夢の世界。しかも主導権は何があろうと寝巻男にあるのだ。そんな事許されるはずがない。使えるのは言葉と生身の力だけなのだ。
だからと言って攻撃をしてみても意味は無いだろう。それこそ同じ様に口が出て喰われて終わる。先程の言葉には確かに殺気が籠っていた、本当に殺しに来ているはずだ。
「これは…!喰われ人の口!」
先程喰われかけた口に見覚えがあり、記憶をまさぐり見つけ出した。喰われ人の体にある口だ。そのまんまだ。まさかあいつも協力しているのか、そう考えたがそれも自然な流れと言える。
そもそもチャレンジャーはこちら、結託されても何らおかしくなどない。友人といえども所詮配下の一人、何かマモリビトから命が下されたのかもしれない。
「どうすれば…!」
次第に口が増えていく。足元はもう駄目だ。ベッドに乗り継ぎ、何とか生きながらえる。すぐにでも寝巻男に特攻したいが、口の密度が一番高いのは当然寝巻男の周辺である。むやみに突っ込んでも待っているのは死以外には何も無いだろう。
そこである決心をした。力は奮わない、拳なんて使わず突破して見せる。そう思った瞬間、頭の中に不自然なほど最適と思われる案が浮かび上がって来た。
「なら…!」
ここで迷っても仕方無い。すぐに走り出す。どんなに喰われそうになっても走る。そして一番エグイ寝巻男の周辺へとやって来た。寝巻男の予想としてはどうせ怯んで突っ込めず、力で解決するだろう。そう考えていた。
だが実際には違い、どれだけ血に塗れようとも構わず歩いて来る。何故か走らず、堂々と歩いて来る。その様子を見て、寝巻男は辟易した。
自身の考えの甘さと、興味を持つ事さえも無かった人という生物の成長性というものに。
「止まりな、合格だ」
一瞬にして口が消え失せた。すぐに痛みに悶え、止血をしようとする。だが手を伸ばした時には既に完治していた。すぐに顔を上げ、寝巻男を見つめた。
「合格合格。良いよ、そこまでやらなくても」
「いや…あなたここまでやらなくちゃ合格出してくれなかったと思うんですけど…」
「それもそうだね。じゃあ良くやった、まずは戻そう」
直後、視界が戻った。ボロボロの小屋だ。床に寝かされていた。
「お疲れ様。良いよ、合格だ」
「ありがとうございます」
「それじゃあ早く行くと良い。次は眠り少女だろう?あの子は僕より寝てるからね、しかも自由意思で。多分執事さんの次に時間がかかるよ」
「分かりました。情報ありがとうございます」
「さ、行こ行こ」
二十分もの休憩を取れたので喰われ人は元気が回復している。すぐに荷物を担ぎ、扉を開けた。やはり真っ暗、まるで暗黒そのもののようだ。
起きたばかりでショボショボする目を擦りながら家を出た。扉を閉めようとしたその時、寝巻男が声をかける。
「最後に名前だけ!」
「どうせ遠呂智先輩の事でしょう?彼はもう死んでますよ」
「それは…知っている。彼のおかげで、僕は誰かを待ち始めたんだ。どうか何処かで彼に会う機会があれば伝えてくれ、「恩人だ。ありがとう」と…」
「分かりました。では…」
「いや!待ってくれ!君の名前も、聞きたいんだよ。僕としては、実質二人目の興味を持った人間だから…」
そう言って貰えて嬉しかったのか少し嬉しそうにしながら、だが露骨には顔に出さず、答えた。何処か可愛げのある疲れ切った顔、寝巻男が興味を持った二人目の人間。
名は
「風間 宗太郎。それじゃあ、さようなら」
第二百九十六話「果てしなく」




