5.貴賓室のフローラ
王宮の一角にある騎士団本部。そこの貴賓室にフローラ・ジベティヌス公爵令嬢は保護されていた。
王族が使用するものと同じ豪奢なソファに浅く腰かけたフローラ嬢の前には、お茶と茶菓子が提供されていた。
捜査に当たった第二師団の名誉にかけても丁重なもてなしを! と言っていたジャン・ロベール副団長の言葉どおり、彼女は不当な扱いを受けていないようでテオドール王太子はこっそり安堵の溜息をついた。
「まさか、これほどとは……」
彼の隣で副団長が感嘆の溜息をついた。フローラ・ジベティヌス公爵令嬢の可憐な美貌を間近に見たのは初めてだったのだ。
なるほど、彼女の母親は傾国の美女だったのだろうと頷いている。
ソファに浅く腰掛け、まっすぐに背筋を伸ばして座る姿はとても美しかった。王太子たちの入室に慌てて立ち上がろうとするのを止め、楽にするよう告げる。
フローラの動作、すべてが可憐で品があった。なんとも愛らしい令嬢だと王太子は思いながら、対面のソファに腰を下ろした。
副団長は王太子の背後に控え、ヒュー・アボットは挨拶もそこそこにフローラに話しかけた。
「フローラお嬢様。このようなことになり、お悔やみ申し上げます。ですが、大切なことなので急ぎお聞きしたいのです。よろしいですか? 閣下から……お父上から鍵をお預かりではありませんか? 大事な鍵なのです」
「あの……その前に、確認したいのですが」
フローラはその場を見渡し、王太子に向かって尋ねた。
「朝、執事に一大事だと言われ、慌ただしく騎士団の皆さまにこちらに連行されたのですが……なにがあったのですか? 誰も事情を説明してくださらないのです。アボット卿。お悔やみとは、なんなのですか?」
なんと!
誰も彼女に状況説明していなかったらしい。彼女はなにも知らないようだった。
よく見れば彼女は普段着らしい質素なワンピース姿だ。慌ただしく連行されたというのが目に浮かぶようだった。とはいえ、彼女の美しさは些かも損なわれていないが。
「フローラ嬢。落ち着いて聞いてください……ジベティヌス公爵家の……ジベティヌス公爵本人、夫人、長男、長女、次女。すべて遺体で発見されました」
副団長がそう告げた途端、フローラの大きな瞳がさらに大きく見開かれた。瞳以外は微動だにしなかった。
次に眉間に皺がより、一度、二度と長い睫毛を揺らしてまばたきをした。
「……え? いたい?」
可憐な唇が開くと震える声が重ねて問うた。
「えぇ……あなた以外のジベティヌス公爵家、全員、還らぬ人となりました」
「……な、にを仰っているのか、わかりません。みなさま、昨夜まで普通に生活していらっしゃいましたよ?」
対話するのは副団長に任せ、王太子はフローラの反応を観察することにした。
ジャン・ロベール副団長は、フローラの様子を慎重に伺いながら話を進める。
「昨夜、夜会があったのですよね。そこで、その……ヴィクトリア嬢たちと、諍いがあったと、聞き及んでおります。そのあと公爵と共に会場をあとにした、とも。……帰宅してから、なにか公爵と話しませんでしたか? ヴィクトリア嬢たちと会話はありましたか?」
「え? ゆうべ、ですか? 昨夜は、おとう……いえ、ジベティヌス公爵閣下に促されてお義姉さまたちと共に帰宅しました。みなさまは同じ馬車に。わたくしだけ、違う馬車で帰宅しましたので、皆さまとは王城の馬車乗り場で別れて、それきりです。……わたくしは、みなさまと同じ邸での生活を許されておりませんから……」
「いつも違う馬車を使っていた?」
「はい。わたくしと同乗することを、お義姉さまたちは……嫌がられますし……昨夜は、わたくしだけ遅れて登城いたしましたから」
「馬車に乗るまで、みな無言でしたか? 特に話すことはなかったと?」
「……閣下が不機嫌なご様子でしたので、お義姉さまたちも無言でした。馬車に乗る前に、『おやすみなさいませ、閣下』とご挨拶申し上げましたが、あちらからは……特に何も言われませんでした」
それだな、と王太子は思った。
愛した女性の忘れ形見、愛した女性そっくりに成長した娘から終始『閣下』と呼ばれ、父親としての自分を拒絶されたことが、公爵を絶望の淵に叩き落としたのだ。
だが、それも自業自得だ。
8年間も娘を放置していたのだ。父親として認定されなくても当たり前ではないか。
「フローラお嬢様……その、旦那さま達は、何者かに殺されたのです……」
「ころ、された?」
「はい……犯人は捕まっておりませんが……」
ヒュー・アボットがそう告げた途端、フローラは操り人形の糸が切れたようにくたりと背を丸め、ソファの手摺りに凭れかかった。口元を押さえ、小刻みに震えている。みるみるうちに、顔色が真っ青に変化した。
「お嬢様! お気を確かに!」
「殺された……なぜ……全員? そんな……」
青い顔をしたままぶつぶつと呟いていたフローラは、そこでハッとした様子で顔をあげた。
悲壮な表情を浮かべ震えながら、王太子と副団長を交互に見つめた。
「わたくし……犯人だと疑われているのですね……ですから、ここに連れてこられたのですね」
その悲壮な表情のままでの推測に、この美少女はなかなか聡明なのだと王太子は思った。
「そう、ですよね。皆さまに対して一番恨みを持っているのは……わたくしだと、そう疑われても致し方ありませんわね……だから、拘束されているのですね……」
「いいえ。疑ってなどおりませんよ」
思わず、といった調子で副団長が否定する。実際彼女は容疑者ではない。
「わたくし、お城からまっすぐわたくしの離れに戻りました。それは、わたくしの馬車を扱った御者が証明してくれるはずです。今朝、執事が離れに来るまで誰とも会っていませんし、母屋に足を踏み入れておりません」
副団長の否定のことばも聞こえないのか、青い顔をしながら自身の潔白を証明しようとするさまは、年頃の少女のそれだ。
「あなたは『離れ』とやらに、ひとりで寝起きしているのですか?」
質問する副団長の声も些か甘い、気遣っているような雰囲気だ。
「――はい。使用人は昼間しかいませんし、ゆうべは寝るだけでしたから誰も、呼ばなかったし……」
そうね。誰もわたくしの潔白を証明してくれないのだわと、フローラは青い顔で震えながら呟いた。