3.テオドール王太子、遅まきながらの恋
「地獄のような、生活?」
公爵は、意外なことを聞いたと呆然とした表情を浮かべた。
彼の背後にいた長女と次女は、お互い手を握ると一歩後ずさる。
「地獄、でしたわ。食べる物や寝る場所に困る事はありませんでしたが。人の心は、言葉によって殺されることが可能なのです。常に。常に蔑みの言葉が私の心を切り刻みました。目に見えず、一度聞けば消えてしまう言葉。それらによって私の心が傷を負い、その傷が蓄積されているなどと、誰にも気づかれはしませんでしたが」
強い決意を秘めた瞳でフローラはまっすぐに異母姉たちを睥睨した。
「公爵閣下。貴方の妻と子どもが、わたくしを地獄に追いやり殺しました」
◇◇◇◇◇◇
「夜会で、そんなことがあったのですか……」
話を聞き終えたジャン・ロベール副団長は己の顎を撫でた。
彼はちょうど騒ぎのあった時間帯、外園の警備を担当していたためジベティヌス公爵家姉妹が起こした醜聞を知らなかった。
夜会で起きた事件を語り終えたテオドール王太子は、紅茶で喉を潤わせた。重苦しい気分を吐き出すように溜息をつく。
「つまり。殿下はジベティヌス公爵が三女フローラの告白を聞き激昂し、自分の妻子を殺したあと、その罪を悔いて自殺した。そうお考えなのですね」
「あぁ。外部犯だと思うより、よほど自然だ」
「確かに……ジベティヌス騎士団が護る邸に侵入して殺害を企てる輩がいた、なんて方が不自然ですよね」
「もしくは、そのジベティヌス騎士団の団員の中に犯人がいる?」
「――その場合、犯行の動機は?」
「残されたのが三女のフローラ嬢だ。彼女の身にジベティヌス公爵家の全てが継承される。彼女ともども欲しがる人間など、山ほど居よう」
「あぁ……それでしたら、親戚や家門の連中、それらが騎士団の人間を唆して犯行を企てた可能性もありますね」
そうだ。
ジベティヌス公爵家の莫大な財産、広大な領地、利権の数々、そのすべてをひとりの少女が継承することになるのだ。
あの美少女が!
「殿下?」
「いや、なんでもない。……屋敷内の使用人への聞き取り調査は?」
「現在調査続行中です」
部下から捜査状況を聞きながら、王太子は意識の片隅でフローラ・ジベティヌスの美しさを想起していた。
流れる金の髪。
躍動的な肢体。靴を脱いだ細い足首の白さ。
虐げられても、なお美しく輝く意思の強そうな藍色の瞳。
美しい容貌。
そして、自分の婚約者は死んだ。
ジベティヌス公爵家の令嬢が、王太子の婚約者だった。
その座を異母妹のものにしても、良いのではないか?
彼女は正式にジベティヌス公爵家の令嬢なのだから。
あの哀れな美少女を、己が保護するべきなのでは?
微かな期待と打算が脳内を過った。
「フローラ・ジベティヌス嬢は、今どこに?」
脳内妄想をおくびにも出さず、部下との会話を続ける。
「ひとり生き残った重要参考人なので、騎士団で保護しております……というか、ジベティヌス公爵家の執事補佐から保護を任されました」
「執事から?」
「御意。公爵家家門の親戚たちが押し寄せることが想定されるので、お嬢様の身の安全を保護して頂きたい、と」
ただひとり生き残った無力な少女。しかも公爵家の中では虐げられていたと聞く。あわよくばを企む親戚連中にいいように扱われるのは容易に想像がつく。
保護を申し入れたその執事は、フローラの数少ない味方なのだろう。
「なるほど……普通の貴族令嬢として丁重に扱っているか?」
「無論。我が王立騎士団第二師団は秩序と礼節を重んじております」
胸を張る副団長。彼は自分の仕事に誇りを持っている。
「彼女は公爵家ではどのように扱われていたのか、調査済みか?」
昨夜の彼女自身による告白では、衣食住には困らなかったようだが、心無いことばにより蔑まれていたようだ。
とても痛ましい。
「現在、屋敷内の使用人への聞き取り調査中ですので、今しばらくお時間をいただければ。纏め次第、ご報告申し上げます」
あの時、フローラは泣いていた。
泣きながら、けれどその美貌は少しも損なわれることなく父である公爵を睨み続けていた。
彼女の哀しみ、あるいは怒りに彩られた瞳は――とても、美しかった。
「話を聞きたい」
「こちらにお連れしますか?」
「いや、私が出向こう。案内せよ」
「殿下、もしかして……」
「なんだ」
「ヴィクトリア嬢の後釜にフローラ・ジベティヌス嬢を、などと目論んでいませんか?」
時々、この部下は聡い。そして幼馴染みである分遠慮がなく、歯に衣着せぬ発言をする。
だからこそ、重宝してはいるのだが。
「フローラ嬢の美貌に惑った、と」
「うるさい」
その時、ノック音に会話が中断された。
入室の許可を与えれば、ジベティヌス公爵家の専属管財人が面会を求めているという。フローラ嬢より先に彼に会うことにした。
◇◇◇◇◇◇
ジベティヌス公爵家の専属管財人を名乗った男は、年の頃は50過ぎ。鋭利なナイフを連想させるやせ型の神経質そうな男だった。
「初めてご尊顔を拝する栄誉を賜り、恐悦至極に存じます。私はジベティヌス公爵家の管財人、ヒュー・アボットと申します。陛下より男爵位を賜っております」
「仰々しい挨拶はいい。質問に答えよ。貴君は、ジベティヌス公爵家に仕えて長いのか?」
「住み込みで、先祖代々お仕えさせて頂いておりますが、恐れ多くも先代さまより勉学の機会を与えて頂いたので学問を修め、現在、公爵家の会計や財産管理を任されております。私自身はお役に立ち始めてから20年ほど勤めております」
「ならば、ジベティヌス公爵家内でフローラ嬢がどのような扱いを受けていたのか知っていよう? 捜査の一環だ、話せ」
ヒュー・アボットは暫く迷う風情をみせたが、何度が逡巡を示したあと、ぽつりぽつりと口を開いた。実際この目で見てはいない、伝聞も含めてのことだ、自分は加担していないと念を押して。