2.夜会での醜聞
「もとより!」
赤ワインに塗れながら、なお美しい金髪の下から向けられた瞳はきらきらと輝き、フローラの可憐な容姿を引き立てた。彼女の発する声さえも可憐で、耳に心地よい旋律を奏でる。
「もとより、この場はお義姉さまと王太子殿下の為の宴。わたくしはお義母さまに、お二方のための余興となるよう、舞を所望されこの場に参りました。ひとさし舞ったら失礼します」
この夜のパーティーは、公爵家の長女ヴィクトリアと王太子テオドールの為の宴。
誰もが祝いの言葉を今夜の主役に贈った。
デビュタントも果たしていない15歳の三女は、最初から壁の花だった。
それを目ざとく見つけワザと悪目立ちさせたのは、ジベティヌス家の黒髪の姉妹だ。
良識ある者は眉を顰めた。何もそこまでしなくても、と。
だが、この場にいた大多数の人間は娯楽に飢え、刺激的な事件を求めていた。弱々しい立場の人間を一方的に貶める。それも可憐な美少女が虐げられ、格好の餌食にされる。
はずだった。
「ですが」
金髪の美少女はその場にいる、全ての人間へと視線を向けた。思いのほか、強い視線で会場中を見渡す。まるで女王陛下が臣下を見渡すように。
堂々としたその態度に、誰もがみな息を呑んだ。
「不義の子、卑しい女の子と申しますが。
その『不義』を成したのはどこの何方なのか、問いたい。
わたくしは好き好んでここに生まれた訳では無い。
叶うなら生まれてきたくはなかった。
勝手に産ませておいて、勝手に卑しい女の子と蔑む。
まこと身勝手なのはどこかの殿方の方ではありませんか?
さて、その身勝手で不義を行ったのがどこの殿方なのか、皆様、ご存じですか?
ご存じの上で、わたくしを蔑んでいましたか?
わたくしを蔑むという行為は、同時にどこかの殿方の不義を追求し、蔑んでいるのと同義。
わたくし、確かに卑しい女の腹から生まれましたが、どこかの殿方の種が無ければ生まれませんでしたわ。
どこの種ですか?
お義姉さま。教えて下さいまし。
愚かにも、わたくしの母に劣情をもよおした身勝手で卑しい父親の名を」
その場は水を打ったように静まり返った。
流麗な声でもたらされた彼女の問いかけは、会場中の誰の耳にも届いた。
当然、目の前にいる異母姉妹にも。
だが、自分が一方的に蔑む相手だったはずの異母妹の予想外の反論に、拳を握って震えるばかりで言葉もない様子だった。
ヴィクトリアは当惑した。
まさか、いつも弱々しく俯くばかりだったこの異母妹が声をあげて反抗するとは。
事あるごとに虐げられ、公爵家長女と次女に踏み躙られるばかりの存在だったはずなのに。
今宵、ヴィクトリアは准王族として正式に認められた。ゆくゆくは国一番の女性となる。これからも確実にお前は見下される存在なのだと教え込むつもりだったのに。
ここでバカ正直に答えれば公爵家当主を公の場で侮辱することになる。
それも自分の父親を。
未来の王太子妃に、そんな選択はできない。
沈黙が答えだった。
「どなたさまも、わたくしの質問にお答えいただけませんのね……残念ですわ」
会場中をゆるりと睥睨したあとのフローラの呟きは、どこか揶揄うような響きだった。
彼女は異母姉からの返答など最初から望んでいなかったように、あっさりと踵を返した。
「では……舞います」
屈辱に震える異母姉にぽつりと告げたあと、彼女は靴を脱ぎ捨てた。広間の中央に出ると自然と人が避け、空間ができる。
間髪入れず高い飛翔を見せ、独特のリズムで足を踏み、舞を披露した。
それは、独特な舞だった。
パートナーを必要とせず、高尚でありながら煽情的。
抒情的でありながら好戦的。
白い裸足が刻む独特のステップは、会場にいるすべての耳目を惹きつけた。
白いドレスに飛び散った赤ワインの染みのせいで、まるで血を流しながら舞う鳥のようにも見えた。
それはこの国の踊りではなく、遠く東の国で見られる神に捧げる舞だったがその知識がなければわからない。
わからないが、誰もが初めて見るその舞に魅了され、声もなく見入っていたとき。
「オーロラ‼ オーロラ‼」
突然の男の叫び声に、フローラは足を止めた。
「おとう、さま……」
現れたのは血相を変えたドゥリオ・ジベティヌス公爵だった。彼はズカズカと広間中央に進むと、自分の娘を突き飛ばす勢いで押しのけ舞を舞っていたフローラに近づいた。
「あぁなんと、……こんなにもオーロラそっくりではないか……お前は……フローラ、か? こんなにそっくりに成長するとは……」
感極まったような声を出す公爵。頬は紅潮し瞳を潤ませ、まっすぐに彼の三女フローラを見つめる。
両手を広げ一歩ずつ近寄る度に、フローラは一歩ずつ後ずさる。
「来ないでっ!」
三女は悲鳴のような声を上げた。公爵は足を止める。
「あなたは、誰、ですか?」
鈴を転がすような美しい声で、フローラは目の前に立つ男に尋ねた。
「何を言っているのだ? お前はフローラだろう? 私は父だよ、お前のお父様だよ」
笑顔を作りながら、だが意外な質問にショックを隠し切れない様子で公爵は狼狽える。
「いいえ。わたくしが昔、おとうさまと呼んだ人は……わたくしを慈しんでくださった方は……いません」
フローラは厳しい瞳を男に向けた。
「フローラ?」
「かあさまが死ぬ前、わたくしに言いました。自分は8年間愛されて幸せだったと。自分は病気で死んでしまうけど、お父様には自分の代わりにフローラを愛して下さいとお願いしたと。でも――」
フローラは自分で自分の身体を抱き締めた。まるで寒くて凍えてしまうから、その寒さから自分の身を守るように。
きっと彼女の感じた寒さは物理的なそれではなく、心の中に抱えた氷河なのだろう。誰もがそう感じた。
「かあさまが死んでからの、この8年間、わたくしにお父様なんていませんでしたっ」
それは悲鳴のような声だった。聴く者の耳にも彼女の慟哭が伝わった。
「わたくしは、いつも考えていました。いつか、お父様がわたくしに会いに来てくれる。この地獄のような生活から救ってくれる、わたくしを愛してると言ってくださる、と」
麗しい藍色の瞳からぽろぽろと涙が零れた。幾筋も零れるそれを拭うこともせず、フローラはまっすぐに目の前の男を睨みつける。
まるで敵だと言わんばかりに。