13.自由を手にした踊り子【終】
トマス親子が面会に来た日、脱出の決行日を決めた。
その日からヤンは女装し、騎士団棟の下級メイドとして潜入した。
3日後の決行日には小柄なヤンがハウスメイド姿に扮し、日中堂々とフローラの部屋のベッドメイキングの為と称し入室した。
彼女の部屋の前で警護していた衛兵は、毎日必ず入る清掃のハウスメイドのことは、いつものことだと認識していた為、怪しい人物だという判定を下さなかった。
小柄で痩身な上、女顔のヤンが女装慣れし過ぎていて、なんの違和感も与えなかったせいもある。
ベッドにはフローラ自筆のメモとオーロラの遺髪を置き、まだそこに人が寝ているような形に細工した。
シーツでその身を覆い隠し、膝を抱え丸くなったフローラは、一見リネンの山でしかなかった。ヤンはそのリネンの山を抱え、堂々と部屋を出た。
痩身で小柄なヤンだが実は力持ちだ。
フローラを抱え上げるくらい朝飯前にできる。
傍目には小柄なハウスメイドがリネンの山を抱えて移動している姿にしか見えなかっただろう。
リネンルームに立ち寄り、フローラを貴族令嬢の姿から、ランドリーメイドの衣装に着替えさせた。フローラ自身が着ていた衣装は洗濯物として自ら抱え込み洗濯場に持ち込んだ。
もともと下級メイドと呼ばれる立場の人間は貴族たちの目に触れる事を許されない。
舞台裏をヒトサマの目に晒すのはご法度なのだ。
だから人目を避けこそこそと行動したところで、それは普通の姿だった。
持ち込んだシーツや衣装を洗濯場に置き、その場に洗濯するために置いてあった庭師が着る泥だらけのツナギに衣装チェンジした。
大きな帽子を被ることで顔に影を作り、フローラの長い髪はふたつのおさげの三つ編みしてわざと身体の前に垂らした。
その姿でヤンと共に(当然彼も庭師の女装をしている)外に出て、今度は城の残飯や廃棄処分物の入った籠を背負って焼却炉へ向かった。
そこは城からだいぶ離れた場所にある為、警備をしている兵士たちと何人もすれ違った。
彼らは既に王太子の命をうけフローラ・ジベティヌス嬢の捜索に当たっていたが、彼らが捜索対象にしたのは『髪を隠している貴族女性』だったため、長い髪を三つ編みにし堂々と晒していた庭師の女性には職務質問などしなかった。公爵令嬢が泥だらけになっている姿など想像しなかったせいもある。
かくして城のはずれまで移動した彼らは、旅芸人一座の人間が手配した馬に乗り、城から脱出し一座のキャラバンに合流したのである。
◇
「ラウノ爺たちは置いて来ちゃったけど、大丈夫なの?」
キャラバンはのんびりゴトゴトと草原を進む。
既にエイーア国の国境は超えた。追手も来ない。
「ラウノ爺とトマスとエイダは、もうちょっと時間が経ってからくるよ。堂々と『退職届け』を書いてね。『王太子の想い人』になっちまったお嬢があの国を抜ける方がよっぽど大変だから優先しただけさ」
ヤンはのんびりと寝転んでフローラの問いに応えた。
ただの従業員だったトマスたちは暫くは公爵家の使用人としてそのまま勤務する。
だが、いずれ公爵家の実権を握るはずのカペー伯に追い出されるだろう。そうでなくとも、『お仕えしたお嬢様がいらっしゃらない今、ここで働くのは思い出が辛すぎます』とでも言って辞めるのは簡単だ。使用人が辞めるときの定番、次の仕事場への紹介状なんてものも要らないし。
とりあえず合流場所は決めてある。
「それならいいわ。ジベティヌス騎士団に潜入していた者も同じ? そう、それならいいの。ところでこのキャラバンはどこに行くの?」
「さーてね。東の方へでも行こうかって聞いたぞ。エイーア国はビイロ帝国と戦争になりそうだし、そうなるとビイロ帝国へも行かん方がいいし……って」
「そのビイロ帝国にエイーア国の情報を流していたのは誰でしょう?」
「はて? どこかの旅芸人一座のお仕事でしたかな?」
幌付きの荷馬車の中で、フローラはヤンと顔を合わせて無邪気な笑い声をあげた。
フローラは公爵令嬢としての自分を捨てた。もともと、そんな自分は似合っていないと思っていたし、公爵家の誰からも否定されてきた。
だがあの邸で一番公平だったのはジベティヌス公爵夫人だったなと、今になってフローラは思う。
夫人はフローラを見るのも嫌がったが、彼女に危害を加えようともしなかった。
彼女に教育を施し、衣食住の保証をした。
ただ、無関心だっただけだ。夫人は娘たち誰にも公平に無関心だった。
長男にはそれなりに気を遣っていたようだが、それは彼が次期公爵だから。それ以上の愛情をかけているようには見えなかった。あくまでもフローラが感じたことであって実情は違うかもしれないが。
衣装が異母姉たちのお下がりになったのは、異母姉たちの画策だ。
夫人はちゃんとフローラの分も予算を割いていたが、彼女の分のそれを使い込んだのも異母姉たちだ。
あの婚約発表の日、夜会へフローラを出席させたのも異母姉のどちらかだろう。フローラにと白いドレスを持って来たのはヴィクトリアの侍女だったし、夜会の場で踊り子らしく踊れ、これは奥様からの伝言ですと言ったのはグロリアの侍女だった。
本当にあの姉妹は仲良くフローラをいじめてくれた。
だれからも否定された姿など、一時の仮装となにも変わらない。
だからそんな姿などに、なんの未練もない。
今のフローラは旅芸人一座の舞姫。ただの踊り子になったのだ。
それは、彼女の母親が心の底で渇望していた姿であった。
母オーロラはジベティヌス公爵を愛していた。
それ以上に日々不安定な旅芸人としての生活から、定住の地を与えゆっくり子どもを生む機会をくれた公爵に感謝していた。
自分自身を一番好きだったはずのオーロラは、熱烈に彼女に愛を注ぐ公爵をいつの間にか好きになった。
毎日同じベッドで目覚め、愛する人と共に生活し、自分そっくりの娘を育てられる日々を愛した。
だが、心の奥底で自由に振る舞った日々を渇望していた。
そうでなければ娘に歌や踊りを伝授しなかっただろう。
いつか、流浪の民に戻る。そう思っていたからこそ、娘にもそのような教育を施した。歌や踊り、演技、自分が一番可愛く見える仕草、そして自由自在に涙を流すさま。すべて実母が伝授した。
フローラから見て、ふたりの『母親』はあまりにも対照的な人生を送った。
ジベティヌス公爵夫人は政略結婚で愛情のない相手と結ばれ、彼の子どもを生み、彼が外で作った娘を受け入れた。
すべての人間に無関心だった彼女は、その夫でさえどうでも良かった。
愛など二の次で、貴族としての自分が一番大切だったような人。
仕事として父と出会い、愛に生き、けれど自由を渇望した実母。
貴族としての矜持だけを胸に、プライドを重視した義母。
フローラはこれからどんな人間と出会い、どんな選択をし、どんな人生を歩むのだろう。
自分の膝に重みを感じたので何ごとかと見れば、ヤンがフローラの膝を枕に寝始めたところだった。
彼の鬱陶しくかかっていた長い前髪を撫であげれば、はっきりした美しい瞳がフローラを見上げる。
虐げられ続けた日々も彼がいたから乗り越えられたのだと思い至った。
泣きながら逃げ込んだいばらの植え込みの向こう側には、いつもヤンがいて慰めてくれた。
もうこっそり隠れて会わなくてもいい。
なんだか嬉しくなったフローラは、形のいい額にそっと唇を落とした。
「‼‼……お嬢っ‼……いまっ」
真っ赤になって荷馬車の隅に逃げるから可笑しかった。もうちょっと膝の上にいてくれてもいいのに。
フローラの見上げた空は快晴。
風は心地良く、彼女の前途を祝っているかのようだった。
【完】
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