11.あの夜の真相
あの夜。
ジベティヌス公爵は一度本邸宅に長女と次女を戻した後、妻ともども談話室にいるようにと言いつけ人払いをし、フローラの離れに初めて足を踏み入れた。
その離れの小屋は、生まれ育ったのが『城』だという公爵閣下の理解の範疇では確かに『小屋』で、とても公爵令嬢が住む邸ではなかった。
だが、生まれてから親子三人で慎ましく暮らした記憶のあるフローラにとっては、なんだか居心地のよい空間だった。実際、裕福な平民が優雅に暮らせる一軒家という外観の建物だったから。
その『小屋』に初めて足を踏み入れた公爵は絶望した。
フローラが虐げられていることを実感した。
八年前に正妻に預けた時は幼女だったフローラ。
だが15歳になった彼女は、まさに彼が愛したオーロラに生き写しで、オーロラ本人が虐げられているような錯覚を受けた。
こんな事、あってはならない。ジベティヌス公爵閣下の愛した人間が蔑まれるなど!
彼はフローラに尋ねた。お前をイジメた人間は誰だ。名を言え。おとうさまが成敗してくれる。
フローラは、しばし考えて答えた。
『お義母さまと、お義姉さまたち……そして、お義兄さま、も……わたくしに、その、嫌なことを、します……』
『イヤな、こと?』
『わたくしは、半分でも血が繋がっているからって言ってるのに、嫌だって言っても、聞いてくださらなくて……むりやり、わたくしを……』
そう言ってウソ泣きをしてみせた。
母から演技のすべてを教えられていたフローラにとって、涙など自由自在に見せることができる。
そしてこの日の為に、次女グロリアの部屋に証拠となる彼女の日記を捏造して隠しておいた。
異母姉の筆跡は彼女たちに手紙の代筆を強制されているうちに覚えた。
母オーロラの形見を持っていないことに気がついた父が日記帳を見つけ、彼女らを折檻すればいい。そんな思いで仕掛けた罠だった。
当然、グロリアに取り上げられたと証言したネックレスなどない。フローラが自分で外し、グロリアの机の引き出しに仕込んでいたのだ。
まさか、あれについていたチャームが大事なものを入れた金庫の鍵だなんてフローラは考えてもいなかった。
だが、公爵はフローラがネックレスをしていないことなど気がつかなかった。そしてそんな些細な証拠など必要としなかった。
目の前でオーロラに生き写しの愛娘が泣いている。
その事実だけで彼の逆鱗に触れてしまったらしい。
公爵は激怒した。
本邸宅の西翼は、公爵の家族だけが住まう場所だが、その夜は公爵本人によって人払いされ水を打ったように静まり返っていた。
その静まり返った館内を、愛刀を手にした公爵が進み、ヤンが恐る恐る公爵の後をつけた。激怒した公爵の様子に恐れおののいたフローラが、ヤン(小柄で身の軽い彼は尾行術や潜入に長けている)に尾行を命じたのだ。
公爵は談話室にいた妻と娘を無言のまま次々に屠った。
彼に謝罪しようと待ち構えていたようだった夫人と娘二人は、突然の凶刃に為すすべなく倒れた。
次に、体調不良で自室で寝込んでいた長男を襲った。
息子は特に念入りに刺していた。愛娘を汚した憎い輩を始末する行為だった。
そこに息子への愛情など一切感じられなかった。
ヤンは公爵の行いを目撃したあと、慌てて自分が目撃したすべてをフローラに伝えた。
自分の妻子を平然と屠った公爵閣下。彼はこのあとどう出る?
恐らくは平然と証拠となる死体の処理を部下に命じ、惨劇となった部屋を整えさせ、愛するオーロラ生き写しに成長したフローラと暮らそうとするだろう。
……もしかしたら、それ以上を、妻の役目までもを、彼女に望むかもしれない。
おぞましい予想だが、絶対無いとは言い切れない。相手は妻子を皆殺しに出来る、愛する女のことしか頭にない狂人だ。あんな、自分の意に添わなければ簡単に『始末』するような男、生かして置いたらいつかフローラ自身の身体も命さえも危うくなるのではないか。
「どうする? あの狂ったおやじにいつまで付き合う気だ?」
ヤンを始めとする、オーロラの時代から付き従った人間は昔からフローラに逃亡を勧めていた。
こんな虐げられる生活など捨て、もとの旅芸人の一座に、自由な生活へ戻ろうと。
本命の仕事もほぼ終えた今なら、楽に抜け出せると。
彼らの進言を聞き入れなかったのはフローラ自身。
彼女はひとめ父親に会って文句を言いたかった。その機会を伺っていた。
踏ん切りがつかずグズグズしていたら大変な事態になってしまったのだ。
フローラは考えた。
公爵は愛する人間を監禁するタイプの男だ。(それ以外には無関心で放置する)
母オーロラは彼と生活し、彼に囚われて幸せだと言った。
そこに嘘はないと思う。母と父と三人で暮らした日々は、確かに穏やかで愛に満ち溢れた日々だったとフローラも記憶している。
だが自分は母ではないのだ。
母と同じ立場で父の側にいることは出来ない。
母が父に愛された八年と同じ期間、フローラは親族に虐められる日々を耐えた。
その八年間のどこかで父親が会いに来る日を夢見ていた。
が、そんな日は来なかった。
あの夜会のとき、公爵は踊っている自分が母に見えたのだ。
踊り子だった母に。
今でも彼が求めているのは、あくまでもオーロラなのだ。その証拠に彼が発した第一声は母の名だった。
娘として愛して欲しかったが、彼が求めていたのは愛する女ただひとりだった。
娘など、ただの付属物。愛情を注ぐ対象ではなかったのだ。
父に対する幻想が粉々に打ち砕かれた瞬間だった。あれは『父』ではない。ただの『男』なのだ。
じっと耐えた八年間と彼の心情を理解したことで、『父』への愛も希望もついに擦り切れた。
フローラは、あのどうしようもない父だと思っていた男に、自分の現在の状況を伝えたかっただけなのだ。お前のせいで、お前の愛した女の娘は不幸になっていると訴えたかっただけ。
あの夜会のとき、言いたかった言葉は言い切った。言い切った以上、彼に望むものはもう何もない。
もういらない。父だと思った男にまつわるもの、全て。自分のこの身があればいい。
もう自分の未来の為に、自分の足で立ち上がろう。
「ヤンのいうとおりだわ。もうあんな糞親父に未練も無いし、この地に用はない。撤収しましょう」
だが彼はすんなりと娘を解放しないだろう。特にオーロラと瓜二つになった現在を知ってしまった今となっては。
公爵に見出される前の母は旅芸人一座の舞姫だった。
定住の地を持たず、あちこちを彷徨う流浪の一族。
その実、舞姫を隠れ蓑に、金さえ積まれれば各地、各王国に潜入し情報を売り買いする諜報工作員の集団だった。
もともと彼らがこの国を訪れたのも、他国の皇族からの依頼があったからだ。
その為にオーロラはこの国の軍務省のトップを務めるジベティヌス公爵に近づいた。そのまま恋に落ちてしまったのはオーロラにとって大誤算であったが。
だがそのお陰でジベティヌス公爵家内部に潜り込むことに成功した。
計十六年かけた壮大な諜報活動であった。
今ではジベティヌス騎士団内部にも一座の人間が紛れ込んでいるくらいだ。
「わたしたちの自由を勝ち取るために、邪魔者を排除するわ。――ヤン、手伝って」
「承知」
幸いダンスや舞、発声、演技、その他諸々母の手により一から教わっている。
そして父母の馴れ初めやさまざまなエピソードも。




