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10.フローラ・ジベティヌス公爵令嬢の失踪

今回、ちょい長め

 

 それが発覚したのは、いつものとおり、テオドール王太子がフローラとのお茶の時間を楽しむため、彼女の部屋にお茶道具一式を用意させた時であった。


 お茶の準備をする為パーラーメイドが公爵令嬢の部屋に入室したが、昼過ぎになってもベッドで寝ているらしいフローラに気がつき寝台の天幕越しに彼女に声をかけた。

 だが返事がなく、フローラが体調でも崩して倒れているのではと(いぶか)しんだメイドが天幕を寄せて中を確認すれば、そこには誰かが寝たような形跡はあったが、美しく編まれた金髪が覗く寝台だけで、公爵令嬢の姿はどこにもなかった。

 当然、大騒ぎとなり、すぐさま捜索隊が組まれた。


 最初は誘拐かと思われたが、彼女が使っていた部屋は不審人物の出入りを確認されていない。常に衛兵がその扉前にいたから、それは確かだ。

 それ以上に謎なのが、いつ、彼女が部屋を出たのかすら()()()()()()ということだ。


 部屋は騎士団の使用する棟の三階の角に位置し、ベランダなどない。

 窓はあるが開閉できない嵌め殺しの窓ガラス。空気の入れ替えをする為の小さな開口部分はあるが、人の出入りはとても不可能な大きさだ。

 しかもこの部屋には暖炉の設備がなく、煙突等人の通れる大きさの侵入経路はない。

 この部屋を監視するための隠し部屋は存在するが、今回隠し部屋はしっかり施錠されており、人が立ち入った形跡はなかった。


 フローラ・ジベティヌス公爵令嬢は煙のように忽然とその姿を消してしまったのだ。


 彼女が使っていた寝台を前に、王太子は頭を抱えた。

 衣服等、彼女が使用していたものがそのまま残された部屋は、あるじだけが不在でまるで王太子の心の中を表すように空っぽで物悲しかった。


 騎士団によりすぐさま現場検証が行われた。

 ベッドはクッションなどを使い人が寝ているような形で盛り上げられ、明らかに彼女の不在を胡麻化すような工作がなされていた。

 ベッドの上には綺麗に編み込まれリボンで結ばれた長い金髪(その色合いからフローラの物だと推測された)と、彼女の母親の形見だったという花の形のチャームがついたネックレス。

 そして彼女の自筆であろうメモが残されていた。


 王太子はそこに残されたメモを読み上げる。


(いさか)いのもとになるわたくしは、ここに居る訳にはまいりません。お世話になりました。わたくしのことは、どうか捨て置いてくださいませ。ひらに、ご容赦を』


 達筆であった。筆跡がその主の性格を表すとするのなら、彼女の残した文字から伺える彼女の性格は、優雅で繊細。そして心映えの美しい女性なのだろう。フローラ・ジベティヌス公爵令嬢という人は、姿形ばかりでなく、その中身でさえ完璧に美しいのだ。


「髪を切って……失踪したのか? そんなに、私から逃げたかったのか? 私を……厭うたか」


 王太子は呆然とし、また酷く落胆した。

 あの長い見事な金髪を切ったのだ。失踪するために、もしかしたら少年のような姿に擬態しているのかもしれない。あるいは、髪を隠す修道女のような恰好か。フードで身体をすべて隠している者も怪しい。


 王太子の命によりフローラ・ジベティヌス嬢の捜索は行われたが、彼女の行方は杳として知れないままとなった。


 失踪翌日、ジベティヌス公爵家にフローラの直筆(残されたメモと同じ筆跡)で、すべての相続権を放棄し叔父のカペー伯に一任する旨の手紙が届いた。

 そのことからも、誘拐ではなく、誰かに強要された訳でもなく、フローラ自身の考えで失踪したのだと結論づけられた。


 しかしその後、フローラ嬢の完璧な失踪は異母姉(ヴィクトリア)の呪いのせいだと、上流貴族のあいだに面白可笑しく噂されるようになった。

 異母姉であるヴィクトリアがフローラ嬢を虐げていたのは、あの婚約発表の夜会のときに単なる噂ではなく本当のことだと周知された。

 そしてヴィクトリアが王太子の婚約者という地位に固執していたことと、彼女の死後すみやかにフローラを大切に保護していた王太子の態度も。

 自分の死後、すぐさま王太子を誑かした悪女だから呪われ魔界に召喚されたに違いない。

 

 そう宮廷スズメどもがまことしやかに噂を流した。


 公爵令嬢であったヴィクトリア・ジベティヌス嬢は正式に王太子の婚約者として貴族院に登録されたあと亡くなった為、彼女は准王族として葬られた。当然服喪期間は3年と長い。(一般貴族は1年)

 彼女の伴侶になるはずだったテオドール王太子にもその服喪期間は義務付けられた。


 その喪が明ける迄は、ヴィクトリア嬢の呪いを恐れた令嬢たちがこぞって辞退したため、王太子の次の婚約者の決定までかなりの時間を要したのだった。






 ◇






「ほんとっ、ふざけているわよね! あの父親は! なんていうか極端! 融通が利かない。ほどほどが出来ない。思い込んだら一直線のイノシシ野郎よ!」


「お嬢。口調が戻ってるぞ。苦労して身に付けた公爵令嬢のネコが」


「もう脱いだのよ。いらないわよ、お嬢様の体裁なんて」


 旅芸人一座の長いキャラバンの列がごとごとと草原を進む。

 その隊列の幌馬車のひとつに、フローラと彼女の御者を務めていたヤンがいた。

 すっかり異国の装束に着替えた彼らは公爵家の令嬢とその御者だった面影など微塵もない。


「こっちもさぁ、小さい頃の記憶があるじゃない? あの人、あれでも昔は優しいお父様だったのよ? それが、かあさまが亡くなったらコロっと手の平返しよ。私のことなんてお義母さまに預けたっきりで顔も見に来ないのよ? 憎まれ口の一つや二つや三つや四つ、言いたくもなるってものよ! まさかそれがヴィクトリア義姉さまの婚約お披露目の場になるとは思わなかったけどさ。

 義姉さまたちもね、会えば胃の痛くなるような嫌みばっかりだったからさ、一度くらい反撃して愚痴を本人に言ってやりたかっただけなのよ。あの場に私を呼んだのも義姉さまたちの仕業に違いないしね! まさかその現場に公爵閣下が居合わせて、あんなに怒るなんて思わなかったわよ」


 ゆったりしたパンツ姿で胡坐(あぐら)をかくフローラの姿は、公爵家に居た頃叩き込まれた淑女としての作法など忘れたかのようだ。後頭部で一つに結び、三つ編みにされた()()()がゆらゆらと揺れる。

 彼女は十日間も王宮の騎士団棟に軟禁されており、日中ほとんど誰との接触も許されていなかった。

 それから解放された今、おしゃべりが止まらない。


 それに付き合うヤンは、幼い頃から彼女の従者として仕えていた気安さから彼女をお嬢と呼ぶ。

 女顔で痩身の上に小柄なヤン。長い前髪で顔の半分を隠して陰気な印象を与えるが、彼の心根が優しいことをフローラはよく知っている。彼女は本物の兄のようにヤンを慕っていた。


「娘の婚約発表の席なんだから、公爵が顔出すなんて当然じゃねぇの?」


 同じ幌馬車の中に積まれた荷物の中からリンゴを取り出して皮のまま齧りつくヤン。フローラも彼を真似て同じようにリンゴを齧った。公爵家にいたころなら出来ない行動だ。


「公爵は領地経営と軍務省のオシゴトのことしか頭にない朴念仁の仕事人間だと思ってたから、来るとは思わなかったわ。あぁ、違うか。仕事人間だから上司の息子(おうたいし)のお祝いの席に来た、が正解なのかな」


「あの夜、城から公爵邸に戻ったあとの公爵、殺気に溢れておっそろしかったもんなぁ……わざわざお嬢の離れまで様子を見に来たし。初めて離れに来て、ショックを受けた顔してたな……。いやぁ、確かにお嬢に言われてあとをつけて監視していたよ? そしたら公爵自ら夫人や娘を次々と刺していくから恐れ入ったよ。

……で、お嬢はなんで()()()()()したんだ?」


「あんなことって?」


「わざわざ公爵閣下の憎しみをアレクサンダー坊ちゃまに集中させたこと」


「あぁ。だって()()()()私がアレクサンダー義兄さまの名前を出さなかったら、無罪放免になっちゃうかなぁって。義兄さま、夜会に出てなかったし。どうせ怒られるならみんなまとめて怒られればいいのよ! って思っただけ。まさか刃物持ちだすなんて想定外よ!」


「確かにあの兄妹にはいろいろ嫌みを言われていたけど、()()()()だったよな? 本当に襲われたわけじゃないよな?」


「当たり前よ! アレクサンダー義兄さまはお綺麗な顔のヤンのことがお好みだったんだもん。あんたが私を大切に扱う度に嫌みが激しくなって、もう、女の嫉妬か? って辟易としたわよ。そんな義兄さまが女の私に()()()()()()()でしょ」


「え? 俺のことを? お坊ちゃまが?」


「そうよ。やっぱり本人は気がつかないものなのね。あんなに熱い視線を送られていたのに」


「……知らなかった」


 呆然としながらもリンゴを食べる手は止めない。


「ご本人は隠しているみたいだったから、仕方ないかもね。それにアレクサンダー義兄さまの大本命は王太子殿下だったし」


「まじ?」


 ヤンはその大きな目が落ちるのでは? と心配になるほど目を見開いてフローラの顔を見つめた。


「そうよ。だから婚約発表の日、アレクサンダー義兄さまは寝込んでいたのよ。失恋決定日ですもの」


 フローラはあっさり頷いた。ヤンに嘘はつきたくないし、そもそも嘘など通じない。

 彼は不思議なくらいフローラの気持ちを察してくれる。

 それこそ、いばらの木陰で泣いていた少女の頃――いや、それ以前の別邸にいた幼少期の頃から。

 長い前髪で顔を半分隠しているが、その顔立ちが驚くほど秀麗なことはフローラだけが知っていればいいことだったのに。


「あー。なるほどー、そっちの人だったのか。じゃあお嬢に不埒な真似はしないわな」


 やっと納得したようだったが、自分がアレクサンダー義兄に襲われたらどうする気だったのかしら、などとフローラはこっそり考えた。見かけは痩身で小柄で美少女めいたヤンだ。簡単に押し倒せそう、などと思われなくて良かった。

 相手が。

 ヤンは力も強いし剣の腕もそこそこある。この旅芸人一座の軽業師として一流の腕をもつラウノ爺(公爵家では庭師に化けていた)の一番弟子なのだ。反撃され庭に埋められたかもしれない。


「そうそう。よっぽどジベティヌス騎士団の団長の方が身の危険を感じたわよ。なんとか躱していたけど」


「あぁ、あの団長サン。よくお嬢に夜這いかけようとして、俺やラウノ爺さんが庭に仕掛けたトラップに見事に引っかかってくれる愉快なお人だったなぁ。……今回の騒動の責任を取らされるらしいぞ。強制労働だって聞いた」


「治安維持できなかった責任ってやつね。誰かが取らなきゃ、だもんね。ま、私としてはいい気味だわ」


「俺もいい気味って思うぞ。あいつ、俺が女顔だからってバカにしやがって、ムカつく……って、あれ? 坊ちゃんが俺のこと好きだったからって言ったよな? それを知っていたってことはつまり、お嬢がやきもち焼いたってことになる? ……お嬢?」


「……しらないっ!」


 フローラは赤い顔をしてそっぽを向いた。





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