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「何か誤解があるようですね、アルト殿下」

「誤解であればいいんだがなあ――イリスの監視役を増やす体で、実の兄が暗殺者を寄越そうとしているだなんてことが、現実にあるとは思いたくもない」


 冷徹に冷え切った緑の瞳に見下ろされ、ヒヤリと背筋に悪寒が走った。

 もしかして、オレについて既に調べがついているのか?

 いや、だがし、まだ暗殺者を雇っただけだ。具体的な命令は下していない!


 きっとオレたちの会話など何も理解できていないだろうイリスに取りなしてもらえないかとそちらを見やったが、ダメだ。

 イリスの耳を塞いでいるのはパウラか? チッ! エルフに命じられているのか。使えない女め!!


 そしてこの異様な雰囲気すらものともせずに食べ続ける妹よ。

 相変わらずだな。


「……元気そうでよかった」

「さっさと俺の疑問を解消してくれないか? ハインリヒ殿。よそ見をしている暇などないだろう」

「申し訳ございません、アルト殿下。久方ぶりにまみえた妹が相変わらず可愛らしくて思わず見とれてしまっておりました」

「それはわかる」

「殿下ッッ」


 従者のエルフが苦渋の滲んだ顔で突っ込みを入れている。

 なるほど、ここから突き崩せるか。


「わかっていただけますか? そうおっしゃっていただけるのは初めてかもしれません。イリスほど可愛らしく美しい娘はいないというのに、見る目のない者たちばかりで」

「まったくその通りだ」

「殿下ッ、場を誤魔化すための虚言ですよっ!」

「いや?? これは嘘偽りのないオレの本心ですが??」

「見ろアーロ。この目、スタンピードが来ても鍋の蓋を開けはしないと宣った時のイリスとうり二つだ――ウッ」


 急にアルト王子が胸を押さえて苦しみだした。

 アーロと呼ばれたエルフに睨まれるが、オレは何もしていないぞ!?


「どうなされましたか? アルト様?」

「ヴェリ……ううっ……よく見るとこの男、イリスにとてもよく似ている……!!」

「でしょう。イリスは絶世の美貌を持つこのオレとよく似てとても美しいのです」

「ハインリヒ様はナルシストでいらっしゃるので……」

「おいっ、聞こえているぞパウラ!!」


 しかしこのアルト王子は見る目があるな。

 イリスの美しさを理解している。それに、この様子だと……。


「たとえイリスによく似ていようとも、イリスに害をなす者に容赦するつもりはないッ!」

「暗殺者はイリスの護衛のために用意したのです。アルト殿下」

「その言葉を信じろというのか?」

「信じて……いただけませんか……?」

「しゅんとした顔はやめてくれッ! 俺がイリスにひどいことをしている気分になるッ!!」


 イリス、お前はもしかしてすごい女だったのか?

 昔、末は豚箱か傾国の美女かと思ったものだが、傾国の美女の方だったのか。


「もしや、殿下はイリスの愛らしい外見に惑わされているだけでなく、イリスの中身もご存じの上でイリスを愛してくださっているのですか?」

「あ、愛……っ、いや、まあ……その、な……!」


 慌てふためくアルト王子の後ろで、未だに耳を塞がれているイリスはお腹をさすりながら満足げな顔をしている。

 腹一杯、満足いくまで食べたらしい。

 リーンバルト王国では、こんなにも可愛らしい姿は中々見られなかったな。


「……殿下になら、イリスをお任せできるかもしれませんね」


 何か問題を起こしても、帝国の王子であるアルト王子がいれば大体解決してもらえるだろう。

 ならば、オレがこれ以上気を揉む必要もないのかもしれん。


 邪魔なのは勿論だったが、大罪を起こす前にイリスの兄として責任をとって始末しておかなくてはならないと思っていたが……。

 この重責を、押しつけなくとも喜んで引き取ってくれる者が現れた以上は、全力で乗っかってもよいのかもしれない。


「不肖の妹ではございますが、どうか今後ともイリスをよろしくお願い致します」

「あ、ああ。……任された」


 アルト王子が頷いた。

 よし。なんとかうやむやにできた気がするぞ。

 ……そして何故だか、胸にぽっかりと穴ができたような心地になるな。何故だろうか?


 まあいい。高い金を払って雇った暗殺者だが、本当にイリスの護衛をさせるしかないな。

 嘘だと思われたら今度こそ殺されかねない。


 アルト王子から解放されると、次はアーロというエルフとヴェリというエルフが殺到してきた。


「兄殿、本当にあなたの妹は不肖の妹ですからな……!?」

「存じております」

「食べ物に関する執着は目を瞠るものがあります」

「昔からそうでした」


 驚いたことに、イリスは既に存分に迷惑をかけた後らしかった。

 それでもこの状況か。兄は純粋にすごいと思うぞ。褒めて使わそう。


 だからエルフの子を産んでくれ……あわよくばその子を王太子にしてくれよ……?


 そうすれば、オレは帝王の外戚として、強大な権力を振るうことができるのだからなァ!!


***


「嘘だ……何かの間違いだ……!」

「そう、そうです! ヴァルター様のおっしゃる通り、きっと何かの――!」


 リーンバルト王国のテーブルに逃げてきた僕たちは、すぐに僕たちが遠巻きにされていることに気づかされることとなった。


「あれがアルト様のパートナーの故国の……」

「イリス様は婚約破棄の上、国外追放された身だとか……」

「なんてひどい。普通の女性なら立ち直れませんよ」


 野次馬どもめ。おまえたちはイリスを知らないからそんなことを言う!

 イリスが傷つく? あるものか。

 イリスと婚約状態にあるだけで僕が一定時間ごとに継続ダメージを負い続けていたんだぞ!!


「アルト様はリーンバルトに制裁を下そうとしたそうですが、心優しいイリス様が庇われたそうですわ……」

「そうそう、婚約者を奪った妹を庇って」

「奪われて困るような婚約者でもなさそうですがね。所詮は弱小国の王太子」


 リーンバルト王国は、弱い。人間だけの国だからそれも当然。

 だからこそ、工夫を重ね、少しでも帝国の上流階級に多いエルフに気に入られようと努力してきたというのに、どうしてこうなったんだ!?


「しかも先程、エルフ絹で作られた最高級のドレスを貧相と言っていたとか」

「あれはアルト王子からの贈り物だったらしいですよ。失言ですね」


 イリスが着ていたらどんな高級品でも全部エプロンの代用品にしか見えないんだよ! あの女の辞書には食べることしかないのだからな!!


 あの女が若干黒いシミをつけながら着ていたドレスが世界樹の木綿で作られたエルフ絹であると看過できなかった僕が悪いというのかッッ!?


「ヴァルター様! お姉様たちが……ッ!」


 リリーが悲鳴のように言うからそちらを見やると、信じられないことにイリスがエルフを引き連れてリーンバルトのテーブルに近づいてきた。

 せっかくのエルフの訪問だというのに、嬉しくは思えない。

 復讐でもするつもりかッ、イリスめ!!


「リリー、改めて久しぶりですわ~! 会えてうれしいですわ~!」

「え、あ、はい……お姉様」


 イリスはリリーには比較的甘い顔をする。

 迎合しておけ、と合図すると、リリーは戸惑いながらもイリスの抱擁を受け入れていた。


「また細くなったんじゃなくて? リリー」

「そっそんなことないですよ!? お姉様の気のせいです!」

「いいえ。痩せてしまっていますわ。絶対にBMIが18を下回っていますわ。信じられませんわ!」

「えっ、えっと、あの……?」

「たっくさん食べさせてあげないといけないようですわね……?」

「ヒイッ!?」


 ニヤリと笑うイリスと涙目になるリリー。

 すまないっ、リリー! 君が目の前で邪な女の魔の手に落ちようとしているというのに、僕には助けることができないッ。


 ……僕もまた、大いなる危険にさらされているようなんだ。

 エルフの王子が、僕に迫る。


「おまえがイリスと婚約破棄した男か」

「……リーンバルト王国の国益に関わることでしたので、いかな帝国の王子とはいえ口出しはご無用に願います」

「いや、正直気持ちはわかる」

「えっ」

「国外追放も、まあ、わかる。俺も好きにならなかったら処刑していたかもしれないしな」


 おい、イリス、おい。

 なんて危ない綱渡りをしているんだ。僕は君との婚約を破棄して国外に追放したが、死んでくれとまでは思っていないぞ。


「だからな、その。おまえはイリスの命を狙ったわけでもないし、礼を言いに来たんだ。イリスを放流してくれたこと、感謝している」

「……どう、いたしまして……?」


 放流って言ったぞ、このエルフ。

 しかし、この様子だと本当なのか。

 先程聞こえた気がした台詞は、やはり僕らの幻聴ではなかったということか。

 エルフが女を世界樹に例える。

 ほとんど求婚に等しい、と聞いたことがある。


「……あの、どこか、頭を打たれたりしたのですか?」

「幸い頭は無事だ。初対面で腹のあたりに体当たりはされたが」

「イリスッ! 命を大事にしろよッ!!」

「まったくだ。俺が惚れたから助かったものを。無謀がすぎる」

「あの、どうしてイリスなんですか? 大丈夫ですか? 直前に強い衝撃を受けて錯乱してしまわれたとか」


 ついつい無礼な言葉が口からまろび出てくるのに、何故か控えるエルフの従者たちはうんうん頷いてくれるばかりだ。

 君たちから見てもおかしいんだな? 絶対に何かが間違っているよな??


「イリスは確かに問題児だ」


 アルト殿下が言い切った。

 すごいな。恋する女性に問題児という言葉を使うことって、あるのか。


「だが、元気でいいじゃないか。おまえたち短命種同士だと、いちいち付き合ってられないと思うのかもしれないが……あと数十年だけの出来事と思うと、一瞬一瞬が尊いんだ」


 それは、長命種であるエルフだからこその感慨なのかもしれなかった。


「アルト様、今何か限界オタクのようなことを言いました?」

「言ったぞ、イリス。おまえの話だ」

「わたしの話でなんで限界オタク用語が出てくるんですの? わたしはただちょっぴり食いしん坊なだけの美少女ですわ!!」


 言いながら、リリーの口にスプーンを突っ込むイリス。

 リリーは泣きながら食べている。食べさせられているのはリーンバルト王国の男だけが常食している鶏胸肉のバターミルク煮だ。

 なんという酷いまねを。これは女の子が食べるようなものではないのに!


「美味しいでしょう? バターの脂で舌が蕩けるようでしょう? 柔らかく煮込まれたお肉の旨味がミルクに染み出しているでしょう……? こんなに美味しいものがあるのに女の子には食べさせないだなんて、理不尽極まりないと思いますの。リリーもそうは思いません?」

「ううっ……うっ、美味しい……でも太っちゃう!!」

「大丈夫ですわ。女の子はちょっとふっくらしているくらいが可愛いんですの……健康診断でA判定が出ているなら、痩せる必要なんて本来微塵もないんですわ……!」

「いやあ! 太りたくない! 食べたくない! でも美味しいっ!!」

「この世にはもっと美味しいものがたくさんあるんですわ。いっぱいお食べ……」

「うわああんっ! 美味しい! 美味しい! 太りたくないのに食べちゃうううう!! お姉様の馬鹿ああああああッッ!!」

「いっぱい食べるリリー、とっても可愛いですわ……!」


 あ、悪魔め……!

 こうやってイリスは僕の母上までも太らせたんだ。

 この女のせいで、母上の背中の肉は未だにコルセットに乗るんだ……!!


「俺も! 俺もイリスにあーんしてほしい!!」

「私も食べてみたいです! そのバターミルクに浸かった鶏肉は美味しいのですね? 私はあなたの舌を信じていますよ!!」


 殺到するエルフたち。後ろで一人遠い目をしているが、大丈夫か。

 僕にはあなたの気持ちがよくわかるぞ。


 遠巻きに見られていたリーンバルト王国だが、徐々に人が戻ってきた。

 エルフたちが楽しそうだからかな。その中心には何故か僕の元婚約者のイリスがいる。


 もしかしたら、僕らはイリスによって救われもしたのかもしれない。

 国外追放は、やり過ぎだったかもしれないな。だが。


 まったく後悔していないし、もう戻ってこなくていいからな……!

 エルフの王子とお幸せにな!!


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