■■放棄
とある国に属する貴族の家の子の令嬢がおりました。
彼女には婚約者がいますが、彼女と婚約者の間には愛がありません。何せこれは政略結婚。二人ともこの婚約関係は貴族としての役割と割り切っていたためあまり問題視されませんでした。
しかし、別の問題が発生しました。
あれはそう、二人が学院に通い始めた頃の事。
彼女の婚約者が学院で出会った少女に恋をしてしまいました。彼女と婚約関係を結んでいる上に、その少女は彼女や婚約者よりも身分の低い家の者。とても許される恋ではありません。
それなのに婚約者は彼女の事を放置して浮かれた様子でその少女と逢い引きしていました。婚約者本人は隠しているつもりでしたが、彼女にはすでにバレています。
婚約者の浮気に彼女は怒り、すぐに父にその事を報告すると父も婚約者と少女に対して怒りを感じ、すぐに浮気の証拠を集めさせ婚約者の家から慰謝料を請求しようと動きました。
証拠集めが順調に進んでいる中、学院創立記念パーティ当日に婚約者と少女がこんな話をしていたと報告がありました。
「今日、僕達が愛し合っている事を皆に教えよう。その後、君に改めてプロポーズさせてくれ。」
「まぁ、嬉しい! いつまでも一緒にいましょうね。」
と、大変嬉しそうに話をしていたそうだ。
それを聞いた彼女はパーティの最中に婚約者と少女が付き合っている事を宣言するつもりなのだろうと考えつきました。学院創立記念パーティには重鎮の方々がわざわざ挨拶にいらっしゃる。それなのにその人達の前で醜態を晒すつもりなのかと彼女は憤怒し、すぐに二人を取り押さえるよう言いました。
しかし、パーティには大勢の人がやって来ているため人の流れが激しく、婚約者と少女を見張っていた者達は二人を見失ってしまったと報告します。
彼女は学院の中でも特に優秀な生徒であるためこの後すぐにパーティの挨拶に行かなければならないため、彼女には他の人達に婚約者と少女の事を伝える事ができません。仕方がないので婚約者と少女の事を伝える役目を別の人に任せ、彼女は急足でパーティが行われている広場へと急ぎます。
そして予定の時間通りにパーティにいる人達に向けて挨拶を行いながら内心では婚約者と少女を引っ叩きたいと思っていました。
そして、この後予想通り広場に彼女の婚約者と少女が現れると広場の真ん中で声高らかに彼女との婚約破棄を宣言し、その直後に少女と結婚する事を宣言。
しかしそんな事は認められず、逆に彼女や周囲の人達から二人の非常識な行動を咎められ、さらに彼女がトドメと言わんばかりに今まで集めてきた婚約者の不定の証拠をその場で暴露。
彼女を貶めようとした夢見がちで愚か者の婚約者と少女は彼女達によって撃退されるという展開に
なりませんでした。
そう、何も起きませんでした。
パーティは何事もなく終わり、重鎮の方々の挨拶も滞りなく済み、パーティの参加者達は各々に料理や交流を楽しんで帰っていった。
彼女はいつ婚約者と少女が広場にやって来るのだと思いながらパーティに参加していましたが、結局パーティが終わった後でも二人はやって来ませんでした。
それでは報告で聞いた二人の会話はなんだったのだろうかと彼女は首を傾げます。
もしかしたら途中で二人が捕まったのかと思ったが二人を探していた者達から広場周辺に二人の姿を見ていないと報告された。
さすがにこれはおかしいと思った彼女は教師達にも二人の事を話し、教師を含めた多くの人達が二人の捜索を行いました。
そのおかげで二人は発見されました。
見つけられた時、二人は着飾って学院にある庭の花壇の前で並んで手を繋いで横になっていました。そして二人の間には一冊の本と手紙が置かれていた。
そして二人とも手を繋いでいない方の手には小瓶が握られている。
後日調べた結果、小瓶の中身は王族殺しの暗殺者が使用した事で有名な猛毒だった。
二人の死因は毒物服用による中毒死でした。
◆◇◆◇◆
二人のそばに置いてあった一冊の本。タイトルは【シルバーとクロノの恋物語】で内容は悲恋物語。
シルバーとクロノの二人はお互い愛し合うのだが、二人の間には身分という壁があり、さらにシルバーには婚約者がいる。その婚約者はクロノに対して嫌がらせをし、シルバーに近づくなと脅迫する悪役だ。他にも様々な困難が二人を襲うが、二人は愛し合うのを止めない。
そして話の最後に二人は初めて出会った場所で毒を飲み心中する。二人の愛に負けた人達はせめて死後は一緒になれるようにと二人揃って埋葬される。
それが【シルバーとクロノの恋物語】。
それを読んだ婚約者と少女は物語の者達と自分達の境遇を重ね、いつしかシルバーとクロノの事を憧れるようになった。
そして、シルバーとクロノのようになろうと学院創立記念パーティが行われている時にシルバーとクロノと同じように毒を飲んで心中した。
二人が遺した遺書にそのような事が書かれていた。
学院の者達は二人の心中の事はなるべく外部に洩らさないようにしようとしたが、二人が心中したその翌日にはすでに話は貴族平民問わずに広まっていた。
物語の登場人物と同じように許されない恋をした二人が毒を飲んで心中した。
その話聞いた人達はこう思いました。
なんて素晴らしいんだ! と。
二人の心中は美談として多くの人達の間で語り継がれ、二人が心中するきっかけとなった【シルバーとクロノの恋物語】の本が飛ぶように売れていった。
冷静な者達が見たら異常に見えるほど熱に浮かされる人々。しかし、異常はこれだけにとどまらない。シルバーとクロノの、二人の真似をして心中する恋人達が続出したからです。
深刻な事態と判断した王は今すぐ心中をするなと国民達に命令しますが、効果は今ひとつでした。
いくら厳しく取り締まっても心中する者達は後を絶ちません。
噂を聞きつけて二人が使った毒物を仕入れてやって来た闇商人を捕まえても毒物を使った心中を止められません。
【シルバーとクロノの恋物語】を禁書にして燃やしてもすでに写本があちこちに出回ってしまっているためあまり効果的ではありませんでした。
そうこうしているうちに、王の親族の何人かが心中をしました。
誰にも心中を止められません。
国が崩壊するのは時間の問題でした。
◆◇◆◇◆
彼女は明かりをつけずに自室のベッドの上で寝転ぶ。その目の下にはうっすらと隈がある。顔色も悪い。
何せ彼女はここしばらくの間昼夜問わず多くの人達から糾弾されてきた。理由はもちろん二人の事だ。
人々は彼女の事を【シルバーとクロノの恋物語】に登場する悪役令嬢を重ね、人々は彼女の事を二人の邪魔をする憎むべき女として認知されてしまった。そのせいで彼女はこの連日寝る暇もないほどその対応に追われていた。
精神的にも肉体的にも疲弊した彼女はふと、手の中にある物を少し強く握る。彼女の手の中にあるのは二人を、そして多くの人達の命を奪った毒が入った小瓶。それが売られているところを見た時、彼女は買ってしまった。
薄暗い部屋の中彼女はしばらく小瓶を見つめた後、起き上がりすぐ近くにあるクローゼットの中の一番奥にしまった。
この日は使わなかったが、そう遠くない日に彼女は小瓶の中身を使うだろう。
それほどまでに彼女は追い込まれていた。