序章:1:出会い(終わりを阻みしもの)
(最後となって以降、幾つの星が生まれ、還っていったか。どれ程の生き物が生まれ、滅していったか。
その最後も終わりにしよう)
苔むした岩が滑らかに重なる窟の中程、己を最後、と表した一頭の老竜が身を横たえていた。
その首根には一本の矢。老竜のゆるやかな呼吸に合わせ上下している。
竜の身体は大きく、矢傷自体は僅かなもの。
しかし、竜は老い、その生涯を終えることと決めている様子。
鱗はもろもろと剥がれ、矢傷から広がる肉の腐敗は進み、一部肩骨が白々と剥き出し、薄暗い窟の光を鈍く反射している。
終わりへの眠りに就くため、老竜は深々とひとつ息を吐き、その意識を深淵へと沈めようとした。
その時、耳が僅かな異音をとらえ、老竜の眠りを阻んだのだった。
(あれ?こんな場所あったかな??)
歩きなれた森を散策していた少年は不思議に思い、一度その歩みを止めた。
しばらく当たりの気配を探ったが、危険と彼に告げるようなものは感じられない。
年相応の好奇心にも後押しされ、少年は窟の中へと歩を進めた。
その足音は革靴、木靴のものではなく、素足のそれでもない。
彼の両膝から下は鉄で作られた義足であり、歩を進める役はその両脇で挟んだ木杖が担っていた。
しばらく乾いた木杖と鉄鎧にも似た義足の音が交互に窟の中に響いていたが、杖がなにか硬質なものに当たり少年はその歩みを止めた。
(何だろう、大岩?)
いや、硬質ではあるが石とは異なる様子である。
杖で輪郭をなぞり、少年はその小山のような隆起に手を添えた。
(温かい、鱗。…竜?)
それまで歩を進めることに集中していた感覚が情報を得ようと広がっていく。
と同時に濃い血の匂い、肉の腐る匂いが彼を飲み込む。
吐き気を催して当然と思われたが、少年の感覚はそれらの匂いの原因を探ることへと向けられており嘔吐する様子はない。
(手遅れになりませんように、どうかこの竜が死んだりしませんように)
出血を確かめ、腐敗した肉の範囲を確かめとなぞっていた手が露出した骨に触れ、少年はそう願った。
竜は使役動物であり、産業動物である。
大きく分け、飛竜、地竜といるが、どちらも人を乗せ、物を運び、その肉は食用ともなりうる。
皮や鱗は靴や鞄、兵士の防具に用いられ、牙や爪、骨を薬として用いる国もある。
遥か昔には野生の竜もいたと書物には記されているが、今はそのすべてが人間の支配下にあり、品種改良の名の元、それぞれの都合に合わせた姿かたちへと交配が重ねられている。
竜を放ち、追い立て、矢で射る遊びは【竜追うもの】と呼ばれ、帝国貴族の嗜みとして頻繁に催されていた。
その事を知識として知っていた少年は、この竜が【竜追うもの】から逃げたうちの一頭だと考えたのだった。
巨大な身体の竜である、傷に触れられ、痛みでひとたび暴れ始めれば、少年に御すことなど不可能。しかしその事実に思考が及ばぬほどに少年は竜の命をつなぎたいと必死なのだ。
(人間の子供か……。)
己の眠りを拒んだものの正体を知り、老竜はさもつまらないといった様子で視線のみを少年へと向けた。
突如この星に生まれ、大地を海を我が物顔でうろつき始めた生き物、人間。
今や竜という存在が何者であったか失念し、己たちがこの星の支配者であると、神というものの代行者であると謳うもの達。
(最後が終わりゆくこの時に、その傍らに在るのが人間の子供であるのは、相応しい事なのかも知れん)
老竜は人間に捻じ曲げられた竜でもなく、それらが知識として持つ野生の竜でもなかった。
それは、
水であり、土であり、火であり。
地そのものであり、天そのもの。
(お願い!生きて!!助かって!!)
少年は竜の深く緩やかになっていく息遣いを感じ、焦った。
彼に出来ることは竜の意識にすがる事。そして、手で探りあてた矢を止血しつつ抜き去る事のみ。
(いかないで!友達に、僕と友達になって!)
なんと稚拙な、だが何と純粋な想いだろうか。
最後が終わるのは、もう少し先にしてみようか。
老竜がそう考えたのは、気まぐれによるものか。
それとも……。