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オリーブの花かげに  作者: 入峰いと
お仕事、婚活
9/27

 奥方様のお居間の、小ぶりのテーブルについているのは私と奥方様の二人だけ、女中は壁際に控えている。やわらかいモーブ色を基調に整えられたお部屋には、ほのかにポプリとなにかの香水の匂いがたちこめ、息を吸っても余計に胸が苦しくなるようだ。

 

 奥方様から、ビートンさんとの縁組をほのめかすお言葉が出たこと自体は、別に不思議ではなかった。私は二十一歳。適切な身分の未婚男性にでくわするたび、まずは結婚相手としてどうか、という視点から手早くふるいにかけなくては、手遅れになってしまう。


「どうもありがとうございます」


まず奥方様のお心遣いに感謝しなくてはいけない。そして、ビートンさんについて。彼は、私がこれまでお近づきになった男性のなかで、一番話しやすい方には違いない。けれど先方が必要としておられる結婚相手としての資質には、私ではそぐわないはずだ。


「ビートンさんは立派なお方ですが、私のような者では、お話ありましたような牧師の夫人として、果たして勤まりますかどうか‥」


私の評価については奥方様は、何もおっしゃらなかった。ただ、ビートンさんについて、厳しいことを言われる。


「あれは家柄は申し分ないのよ。ただ、副牧師では収入がねえ、いえ、うちが俸禄を出しておいてこういうのもなんだけれど、ブルクスアイド家とは釣り合わないでしょうし」


私はどうお答えすれば失礼にならないのかわからなくなってしまって、お茶のカップを覗き込んだ。奥方様はお茶に添えて出されたクッキーを半分に割って召し上がると、


「それだったら、ビートンのことは、あなたをあてにしないで、教区の近くのお嬢さん方に打診してみようと思うのよ。それでよいかしら?もしあなたにその気があるのなら、もちろん、決して悪いお話ではないと思うけれど、飛びつくほどではないでしょう?いいわね?あなたのほうはそうね、今度、私のお友達と音楽会にでも行きましょう。何人か若い人たちも集まることになっているから。」


楽しそうにすらすらとお話しになる。私からは何も申し上げなくても済んでしまった。ただ、


「どうぞよろしく、お引き廻しください」


と、頭を下げておいた。奥方様は鷹揚にうなずかれて、女中をさし招き、お茶を下げるように命じられた。お話はおしまいらしい。私も立ちあがって退出の許しを得た。自分の部屋に戻りながら、奥方様がクッキーを半分しか召し上がらなかったことがなんだか不思議で、「小鳥のように食べる」という表現を思い出した。


 私はずっとお屋敷に閉じこもっていたわけではない。父から小切手をもらっていたので、銀行に出かけて換金した。実家ではこまごました買い物は女中まかせで、大物はお店の人に来てもらうか、誰かと一緒に町まで出向くかだった。こちらでは自分の女中がいないのだから、自分ひとりで買い物をすることになる。若い女性が独りで歩いていても、首都でならわざわざ見咎めるような人はいない。


 首都のお店にはなじみがないので、お屋敷の家政婦に相談して、適当な百貨店を教えてもらった。スカートの量が少ないシルエットが流行ってきているのと連動して、帽子が大きくなってきているので、私も新しく帽子を作ることにしたのだ。お屋敷から、百貨店まではタクシーを呼んでもらったが、帰りは自分でタクシーを拾うのは怖くて、おずおずとバスに乗った。それに、独りで喫茶店に入ってお茶をいただく勇気はまだない。それでも買い物を終えた私は、すっかり首都になじんだような気になっていた。


 奥方様も、お話になったとおり私を連れて出かけてくださるようになった。もちろん貴族の方の集まるような場ではない。一度は公園へ散歩に、一度は音楽会の後軽いお食事会、そこでは私と同じように連れてこられた男女がいて、奥方様とたち年配の身分あるご婦人が縁組を後押ししてくださるのだ。


 最初の時に公園でエスコートしてくださったPと言う方は、内気な性質らしく、話し始めた言葉が、文の最後までたどり着かずにどこかへ消えてしまうのだった。こちらから推測してお言葉を補うのも失礼な気がして、相槌をうつだけにとどめていたら、結局会話が一向に弾まず、後半はもう黙ったままになってしまった。誰よりも早く散歩道を一周したので、他の方々が追いつかれるまで、あんなに所在無かったことはない。私が気後れしすぎていたためかもしれない。そのとき、これではいけないと思った私は、新しい帽子をあつらえることを決めたのだった。


 その次の、音楽会のときにもP氏は見えられたが、私は別の方、R氏とご一緒することになった。R氏は、言葉遣いが厳しい方で、音楽の音色について、もちろん主宰者である奥方様たちの耳に入らない程度にだけれど、批判的だった。実家では誰も音楽に熱心ではなかったので、私もピアノのお稽古ぐらいはしたものの、音楽のよしあしはあまりわからない。


「金管が弱い」


とR氏がおっしゃってもぴんと来ないので


「まあ、そうですの、どういうところで判断なさいますの?」


とお尋ねしたら、


「イタリアの楽団を聞きなれていると、全然違います」


というお返事をいただいた。


「イタリアにご旅行なさいましたのね、素敵ですこと」


「3年ほど暮らしておりましたので、旅行と言うよりは、ほぼ住人のようなものです」


そこから、皆様とレストランにに移動して、夕食をいただいた間も、R氏は私にイタリアの思い出を話してくださったが、合間合間に、出てきた料理を批判なさるのだった。お話を伺いながら、私ばかりお料理をいただくわけにもいかず、程よく口に運ぶのが難しくて、私はお食事をいただいた気がしなかった。


 お開きになると、R氏は奥方様と私が乗るタクシーを見つけてくださり、お別れの挨拶の時には私の手を握って


「また、お会いしましょう」


とおっしゃった。奥方様は、ご機嫌よくその様子を見ておられた。


 お屋敷に帰るとすぐに


「お茶をいただきましょう」


と、奥方様のお声がかかった。例によってお居間でお話があるということだ。帽子と手袋、上着を女中にまかせてお居間に腰を落ち着けると、サンドウィッチと、小さいけれど肉のパイがでて、お腹がすいていた私は有難くてため息が出そうになった。とはいえ、奥方様の前なので、お行儀よく、少しずつしか頂けない。奥方様はしばらく私にお時間をくださったあと、おもむろに、


「ブルクスアイド、Rさんと話があいそうね」


と微笑まれた。

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