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ビートンさんがお見えになったので、その日の午餐は奥方様と3人でいただくことになった。奥方様とビートンさんは教会のことやら、牧師夫人の関節炎のことなどを話されて、私は黙ってのんびりとお食事をいただいていたのだが、急に私が話題になっていることに気がついて鶏肉から顔をあげた。
「ブルクスアイドが御前のご研究のお手伝いをよくしてくれれば、ビートンは教会のほうに専念できるはずではなかったの」
「それは仰せのとおりでございますが、ちょうど御前様は新しい分野のご研究に着手なさいましたので、図面を大量に描く必要が出てまいりまして。ブルクスアイド嬢は不慣れでいらっしゃいますし、私も牧師館に戻りましたので、やはり二人でかかりませんと」
「ブルクスアイドが図面を描けないものかしら」
「奥方様、恐れながら、私がここまで3年修行いたしましたものを、一朝一夕に実現するのは難しいことと存じます」
とビートンさんが答える。奥方様は
「レイチェルが元気なら教会の心配などしないけれど、寝たり起きたりでは、牧師も勤めに差し障るでしょうし、ビートンがもう少し働いてくれないと困りますよ」
とため息をおつきになった。ビートンさんは笑って、
「奥方様、牧師様の気性はご存知でしょう。奥様がお休みのほうが却ってお元気なくらいで、お勤めに差し障りはございますまい」
といわれた。
「そうかしら」
奥方様は納得されていない御様子だったが、ビートンさんは
「それはそれとして、ブルクスアイド嬢の活躍に期待いたしましょう。どうです、こちらに来られて、半月ほどですが、お体の調子はいかがですか」
と話題を転じる。私は
「はい、あの、皆様によくして頂けるお陰で、支障ございません」
と答えた。奥方様は
「最初に来た日は、心配したものですが、あの日だけでしたものね。本当に自動車と言うものは、変な匂いがして、私も嫌になることがありますよ」
とおっしゃる。
「なるほど、昨今の若い女性からは失われた繊細さでございます。最近では、自ら運転をなさろうかという女性もあるそうですが、ブルクスアイド嬢はいかがですか」
ビートンさんの言葉に、私は、
「と、とんでもございません。万一運転を誤ったらと、思うだけでも、恐ろしくなりますわ」
と、あわてて打ち消しした。
「自動車ではなく、学問の領域ならばいかがでしょう。女性の大学もできたことですし。ブルクスアイド嬢のような方がもっと増えて、研究者の雑用を引き受けていただける時代になれば、私たちはもっと大切な仕事に集中できるようになるのではないでしょうか」
私がどう答えようか考える間に、奥方様が、
「教養ある若い女性が、いつまでも結婚せずに居てくれるものとあてにできるかしら」
と反論された。結婚せずにずっと研究のお手伝いをできるなら、それはそれでやりがいのある人生かもしれない。
「修道女のように」
と、私は口に出してしまった。唐突な言葉に、奥方様とビートンさんは不思議そうな顔をなさったので、私は恥ずかしくなった。
「あの、結婚をせずに、お仕事ができれば、と、思いましたの」
私が、とぎれとぎれに説明をすると、奥方様はお笑いになった。
「ブルクスアイド、まあ、子供みたいなことをいうこと。女性がいつまでも結婚せずに男性のそばで働くなんて」
ビートンさんも
「もちろん修道女は特別です。確かに世間の人に認められるのは難しいでしょうな」
といわれた。おかしなことを言ってしまった。どうして私はこう、会話がへたなのだろう、と、身が縮む思いがした。
午後はもう少しラテン語をやってから、ビートンさんが次に図面を書く品をチェストから探し出して荷造りをすることになった。女中に一人来てもらって、ビートンさんが選んだ品を壊れないよう新聞紙で包んで納めていく。私は、破片の隅に小さく書き込まれた符丁をノートに書き写していった。ほとんどが焼き物の破片で、絵が描かれているわけでもなく、地味なものが多かった。
「ギリシアの壷絵のような美しいものはございませんの?」
と私がお尋ねすると、ビートンさんは
「このたびの論文は、古代の普通の人が使った皿や瓶の研究ですからね。装飾用の華美な焼き物の研究は、多くの人が実施していますので、新しい分野はこういうものにならざるをえません」
と教えてくださった。それでもギリシア風の絵のある皿を数枚選ばれて、
「これは後世の模作ですが、比較のために」
と箱詰めを命じられた。
「今朝、うちのものが割ったお皿と、たいして違うようには見えませんね」
と、女中が、新聞紙で包みかけていた破片を取り上げて、ためつすがめつ見た挙句にそう言った。
「その違いがわかるのが学者だよ。ただ、こういう、一かけらではなく、全体があればもっとわかりやすいのだが」
「全体の大きさでしたら、こういう縁の破片があれば、なんとなく」
私は手にしていた皿の破片を用箋に伏せて、縁の曲線にあわせた円形を描いた。
「もちろん直感的に大体の大きさはわかりますが」
といいながら、ビートンさんはその用箋を手にとって、破片とあわせてごらんになったが、一度テーブルに置かれて、眼鏡を拭いてから、チェストのひきだしに向き直って、
「これも同じ皿かもしれませんね」
と、別の破片を出してこられた。色と曲線の感じは似ている。私の書いた円形の上に、その破片をあちこちおいて見られて、
「ああ、ここの焼き色がつながりそうだ」
と声を上げられた。二つの破片は直接つながるわけではないが、こうして同じ円形の上に並べてみると、特徴的な黒い焦げの入り方から、同じ皿の破片だったということがしっくりくる。
「こうして考えるのはなかなか効果がありますね。これは正式に図面にしますので、包んでください」
ビートンさんが用箋にさっと略図を書き込み、符丁をメモされるのを尻目に、私はチェストの中を検分した。
「似た色の破片が他にもありましてよ」
いくつかの破片を選び出して、私はビートンさんに向き直った。
「縁を含んでいないと、どこにあたるのやら、見当がつかないのでは?」
「お皿は、底が厚くて縁が薄くなりますでしょう。厚みで、なんとなく」
ビートンさんはポケットから、物の厚みを挟んで計る、小さな物差しのようなものを出された。
「試してみましょう」